50代、自分の「好き」を棚おろし。人生後半もずっと好きでいると決めているもの【フリーアナウンサー住吉美紀】
物心ついた頃には、シアトルで樹々に囲まれて暮らしていた。幼い頃から、木にまつわる思い出がたくさんある。住んでいた家の裏庭には、見上げてもてっぺんが見えないほどの大きな針葉樹があり、リスが頻繁に幹を駆け上がった。秋冬になると巨大な松ぼっくりが落ちた。笠の棘の間から取り出した羽のついた種を、高いところから何度も落としては、クルクルと舞わせて楽しんだ。 家の正面側には、広い芝生の広場があり、そこにも巨大な木がいくつもあった。中でも、下の方で何股にも幹が分かれた不思議な形の木に、弟と毎日のように登って遊んだ。枝に跨がり、鳥の声を聞きながら過ごした、葉に守られた秘密基地のような空間の安心感が、今も目をつぶると蘇る。 父は家族といても、木を意識した言動が少なくなかった。木の扉や調度品などがあると、手で「コンコン」とノックして、中が詰まっている一枚板か、それともベニア板を合わせたものかをチェックする癖があり、「ソリッドやな」とか言っていた。また、聞いてもいないのに「これはヘムロックや」「ダグラス・ファーやな」と使われている木の種類を発表し、木目を愛おしそうに撫でていた。仕事で、水場に筏のように並べて浮かべられた丸太の上を、渡り歩いて検品している写真も、よく見せられた。 思春期の親への反抗も、私は「木」を通してだった。カナダの高校の授業で環境問題について学んだことをきっかけに、木を伐採する父の仕事は環境破壊をしている、心が痛まないのか、と10代ならではの純粋さと熱さで父に楯突いた。 時には、書物に私の論点を補強する一節を見つけ、赤線を引き「この論点にちゃんと反論できるんですか」と付せんまで付けて、父に渡した。議論好きだった父は、そんな私を煙たがるどころか、むしろ面白がった。「そうかそうか、オマエも突っかかるほど成長したのか」と口角が上がる父を見て、こちらは真面目に言っているのにと、さらに反発した。 林業はむしろ健全な森を保つのに役立つケースも多いことを知ったのは、父が亡くなった後だった。改めて、30年近く、専門分野に誇りを持ち、仕事の対象に愛情を持って働いた父に、敬意の気持ちが湧いた。父が急逝したときは、すぐに火葬してしまう棺も「ちゃんとしたのを選ばないと、お父さんに怒られちゃうね」と、合板ではなく、一番立派なソリッドウッドの棺を選んだ。