兄の仕送りで強豪・浪華商へ 〝かわいがり〟で対外試合禁止も「最後の1年間だけは」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲(84)<6>
浪商には2学期から行くことになった。転校した直後、すでに(31年9月21日から)1年間の対外試合禁止になっていた。上級生の下級生に対する暴力事件でした。それも承知して入った。昔は上級生が下級生を〝かわいがる〟といういじめが日本全国であった。高野連(公益財団法人日本高等学校野球連盟)もうるさかったですからね。とにかく2年生の秋に頑張れば、3年生の春、夏と1年間だけは出られる。その1年間を目標に入ったんです。
下宿先は野球部長兼監督の中島春雄先生に紹介してもらいました。「頑張れよ」と優しく接してくれた。1年後のため、普段の練習だけでなく、その後のランニングや夜間練習も欠かしませんでした。とにかく甲子園に行くためと、倒れるくらい苦しい練習に耐えました。
2年生の夏休み、浪商OBで立教大で杉浦忠さん(南海=現ソフトバンク)の1歳下の片岡宏雄さん(中日など)がグラウンドにやってきた。先輩には直立不動です。逆らうことはできません。「お前が張本か、投げてみろ」って。すでに300球くらい投げていた。さらに300球は投げたかな。翌日、肩が上がらなくなった。中島先生の所に相談に行きました。「先生、肩が…」と言うと「よかったよ。お前はピッチャーに向かん。打者をやれ」って。悔しかったけど、泣く泣く投手を断念しました。でも後々のことを思えば、その判断は間違っていなかった。中島先生と浪商への転校で兄貴を説得してくれた松本商の横田先生の2人は、私の大恩人です。(聞き手 清水満)
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