「アメリカ二大政党制の岐路」(2)民主・共和両党の「リベラル」「保守」分極化 上智大学教授・前嶋和弘
共和党と民主党との妥協のない対立については、前回で触れたティーパーティ議員の躍進という短期的な要因がありますが、それよりもさらに長期的で根が深い「政治的分極化」という大きな潮流が根底にあります。「政治的分極化」とは、民主党と共和党のそれぞれの中でのイデオロギー的凝集度(つまり「リベラル」と「保守」)が高くなり、さらに両党の立ち位置が大きく離れることを意味します。この現象が一気に進み、両党の間に妥協の余地がなくなってしまっているため、「動かない政治」「決まらない政治」が固定化してしまっています。 【写真】(1)ティーパーティがもたらした妥協なき政治
かつては重なる部分もあった両党
政治的分極化以前の1980年代初期くらいの段階では、民主党と共和党は政策的にかなり重なる部分もありました。どちらの政党も「中道保守」的な部分を残しており、政策的な妥協も日常茶飯事でした。主要な法案の賛否で、半分くらいの議員が対立党と同調する法案を成立させるようなこともかつてはありました。欧州の多くの国のような激しいイデオロギー対立はあまり見られませんでした。当時のアメリカの政党政治の様子は今となっては“おとぎ話”のようです。30年ちょっとの間で政治的分極化が進み、大きく状況は変わりました。
「南部」の変容が分極化の一因に
それでは、政治的分極化という長期的な政党政治の変容がなぜ起こっているのでしょうか。その理由には様々ありますが、分かりやすいのが、1980年代くらいから一気に進んだ南部の変容です。それ以前は、民主党は南部を中心とする保守派とリベラル派が混在する政党でしたが、この民主党の保守派議員(「サザン・デモクラット」)たちが次々に引退するか落選し、共和党の議員に議席が奪われていきました。必然的に民主党の中でリベラル派の占める割合が増えていきます。 一方で、共和党側も大きく変わっていきます。「サザン・デモクラット」の議席を奪った南部の共和党議員の多くは、保守色の強い層がほとんどであり、共和党が一気に保守化しました。そもそも、共和党は結党当時(1854年)、北部を基盤とする奴隷制反対を訴えた政党であり、次第にリベラル派は減っていきましたが、「ロックフェラー・リパブリカン」(1970年代の副大統領の名前から)と呼ばれる穏健派も北東部を中心に1980年代までは存在しました。しかし、「ロックフェラー・リパブリカン」たちは、引退するか、民主党に議席を奪われていきます。