「うわ~なつかしい~」「よく走ってたよね」広告戦略が秀逸!軽三輪ブームの立役者[懐かし名車旧車]
荷台付き二輪車、ひいてはリヤカーをルーツとするオート三輪は、戦前まで運転免許がいらなかった。戦後になって免許取得が義務付けられるものの、それでも安価で小回りが利き、税金面でも有利なオート三輪は、日本の戦後復興を大いに支えたものである。しかし、道路の整備が進み、自動車に高性能が求められるようになると、オート三輪は転倒しやすいなどの理由で一気に衰退していってしまう。その最後の時代に光り輝き、軽オート三輪ブームに火を付けたのがミゼットだった。 【画像】「なつかし~!」「今見ると斬新なデザインだね」ダイハツ ミゼットの写真とスペック 【ダイハツ ミゼットDKA型(1957年標準型)】●全長×全幅×全高:2540mm×1200mm×1500mm ●ホイールベース:1680mm ●車両重量:300kg ●エンジン(ZA型):強制空冷単気筒2サイクル249cc ●最高出力:10HP ●最高速度:60km/h ●最小回転半径:2.1m ●燃料タンク容量:10L ●最大積載:300kg ●トランスミッション:前進3段/後進1段●タイヤサイズ:5.00-9(4P)●乗車定員:1名 ◎新車当時価格:18万4000円 ◆当時の日本でもっとも小さく、小回りが利く、経済的な3輪トラックだった。 ◆サイズ的には、バイクの延長ともいえるサイズ。サイド部は幌が用意されていた。 ◆ひとり乗りのシートにまたがりバーハンドル(二輪からの乗り換えでも戸惑わない)を操作。変速レバーはシート直前で、操作はしやすいとはいえなかった。 ◆最大積載量は300kgだが、小回りが利き商店街の小口運搬車には最適だった。当初月産500台の計画だったが、MP型のピーク時には月産8500台を記録。
人気タレントを使ったテレビCM戦略は、ミゼットから始まった
クルマのCMにタレントが登場するのは、今では当たり前のこと。旬のタレントと新型車の取り合わせは、時に大きな話題にもなる。その先駆けとなったのが、ダイハツが1957年に発売した軽オート三輪車のミゼットだった。起用されたのは、当時、家庭に普及しつつあったテレビで一躍人気者になったコメディアンの大村崑さん。 1958年の春から大阪テレビで始まった全国ネットのコメディドラマ番組『やりくりアパート』を、ダイハツは一社提供。その中で、大村さんが共演者と「一番小さいクルマ~」「ミゼット!」「一番小回りの利くクルマ」「ミゼット!~」「一番安いクルマ~」「ミゼット!」とかけ合いで連呼する生CMが話題を呼んだのだ。 事実、ミゼットは当時の日本でもっとも小さく、小回りが利いて、経済的なトラックだった。酒店やクリーニング店といった、街の商店の小口配達はもちろん、郵便局や消防、電力会社などの現場でも重宝され、パトカーとして使われたミゼットもあった。そうして、ミゼットはCM放映開始の翌1959年1月にはたちまち生産累計1万台を達成。さらに1年後には5万台、その年の10月には10万台の生産を記録するほどの大ヒットとなった。 1957年に登場した当初のDKA型は、排気量わずか250cc。ドアもない吹きさらしのキャビンにオートバイのようなバーハンドルの1人乗りだった。1959年秋には自動車らしい丸ハンドルやドアを備えた2人乗りのMP型へと進化。同年暮れには排気量も305ccに拡大され、スタイルがキュートになったことも人気に拍車をかけた。 ダイハツがミゼットの開発に着手した1953年当時の軽自動車規格では、2ストロークは240ccまで。1955年に360ccへと拡大されたが、ミゼットは開発初期のサイズのまま、可能な範囲で排気量を拡大しただけで発売された。それが、一番小さく、小回りが利いて経済的という売り文句ともなった。 MP型は左ハンドルも作られ、北米に輸出されて広大な工場内の構内車などに使われた。東南アジアや中東にも輸出。タイでは今でも、それをベースとしたトゥクトゥクと呼ばれる三輪車が現地の中小メーカーによって作られ、タクシーとして活躍している。ミゼットが登場した当時の軽自動車は、庶民のマイカーとしては高価で、市場の将来性はまだまだ危ぶまれていた。しかし、ミゼットによって、まずは手軽な商用車として人々に認知され、前後してスバル360が登場したことで、日本人の暮らしに根づくのだ。 【ダイハツ ミゼットMP4型(1962年標準型)】●全長×全幅×全高:2885mm×1296mm×1510mm ●ホイールベース:1810mm ●エンジン(ZD型):強制空冷単気筒2サイクル305cc ●最高出力:12HP ●最高速度:80km/h ●最小回転半径:2.6m ●燃料タンク容量:15L ●最大積載:350kg ●トランスミッション:前進3段/後進1段 ●タイヤサイズ:前5.00-9-4P/後5.00-9-6P ●乗車定員:2名 ◎新車当時価格:22万8000円 ◆丸ハンドルに鋼板ドア、2人乗りのシートと大幅な進化を遂げたMP型。 ◆シートはソフトなラバークッション。スライド式のサイドウインドウと開閉式の三角窓を採用。荷箱(当時は荷台をこう呼んだ)は後部扉がチェーン開閉式。 ◆350kgの積載でも、最高速度65km/hで走った2サイクル305ccエンジン。