「44歳離婚→47歳再婚」は筋肉のおかげ…同一人物とは思えない中年男性のビフォーアフター
■鏡に映る自分を見て驚愕 大切なものを失う気がした 私がボディビルを始めたのは44歳のとき、2014年に離婚したのがきっかけでした。我が子とも離れて暮らさなければならなくなったので、離婚後は孤独で、まるで心にポッカリと、穴が開いたような状態でした。 【写真】筋トレを始める前と後の白石さん 家に一人でいると後悔の念と自己嫌悪に苛まれるので、家に帰りたくなくなり、憂さ晴らしに飲み歩くようになってしまったのです。 「今夜は3軒ハシゴした」なんてこともザラでした。それが8カ月ほど続きました。お酒は元来、大好きで毎晩のように飲んではいたのですが、あまりにも酒量が増えたので、会社の上司にも「アルコール依存症になったんじゃない?」と、心配される始末でした。 そんなある日、自分の姿を鏡で見て、愕然としました。「オレ、ただのデブのおっさんになってるじゃん!」と。自堕落な生活の報いだったのでしょう。自分では気づかなかったのですが、周りの人には、きっと劣化していく僕の残念な姿が見えていたのでしょう。 「このままじゃ、ヤバい。ダメ人間になって家族だけじゃなく、仕事やほかの大切なものまでも、失ってしまうんじゃないか」と、危機感を抱きました。そこで、約20年ぶりに本格的に運動を再開し、「ダイエットしよう」と考えたのです。 私は、もともとスポーツが好きで、小学生から高校生までは水泳、大学ではアメリカンフットボールに打ち込みました。大学卒業後も、社会人のアメフトチームで一時プレーしていました。 大学では体育学を専攻したくらいなので体格もよく、体力には自信を持っているつもりでいました。それだけに、当時の変わり果てた我が身に、ショックを受けたのです。 スポーツクラブには加入していたので、久しぶりに足を運んでみました。すると、館内に掲示してあったポスターが、目に飛び込んできたのです。 「ベストボディジャパン」という、年齢別の肉体美を競うボディコンテストを告知するポスターでした。「よし、この大会に出よう!」と、その場で決めました。「カッコいい体になって、別れた子どもにも自慢したい」と、思いついたのです。 ■減量中でも酒を飲む 厳しいルールは逆効果だ ポスターを見つけたのが12月、全身写真を含む書類選考が3カ月後の3月だったので、焦りました。しかしいま振り返ってみると、それがかえってよかったのだと思います。“3カ月”という期限があったので、ウエートトレーニングやダイエットに全力投球できたからです。 その結果、3カ月で10キログラム以上痩せることができ、写真選考も通過し大会にもエントリーできました。残念ながら決勝には残れませんでしたが、手ごたえをつかめました。 体は正直です。トレーニングを始めると、体が見違えるほど変わっていくのが実感できました。 初めは家族を失った寂しさが紛れるので、トレーニングに集中できたのですが、そのうちに体形が変わるという“結果”が出るのが嬉しくなり元来、熱中しやすい私の性格も手伝って、筋トレにのめり込むことができました。とはいえ、当初はやみくもにウエートを増やしたり、炭水化物の摂取を制限したりと我流だったので、ボディメイキングの効率は悪かったと思います。 インターネットで調べたり、ジムの筋トレ仲間に教えてもらったりしてトレーニング法を改善した結果ボディビル大会の成績も上がっていきました。 もう一つ、筋トレと同時期にサーフィンを始めたのもよかったと思います。サーフィンは想像以上に難しく、運動神経には自信があったものの、最初は海でサーフボードにも立って乗れませんでした。 しかし、それが悔しく、必死に波に食らいついていったのが奏功したのでしょう。波に乗れるようになると楽しくて、すっかりはまってしまいました。いまでは毎週末のように、サーフィンに出かけています。ハードなスポーツなので、体づくりにも役立っています。