なぜ、幸齢者が世界で一番賢い国は日本なのか?【草野仁×和田秀樹⑤】
草野仁の“太陽のようなパワー”はどこから生まれるのか。東大の先輩・草野と後輩・和田秀樹が“人間のエネルギー”に迫る。『80歳の壁』著者が“長生きの真意”に迫る連載。5回目。 【写真】草野仁×和田秀樹、対談の様子
日本の幸齢者は優秀
和田 草野さんの割り切り力や柔軟な応対力は、やはり幼少期からのものですか? 草野 私は終戦から4年8ヵ月を経た昭和25年に小学校に入学しました。長崎県の島原という小さな田舎町です。当時も給食はありましてね。コッペパン1個と脱脂粉乳1杯だけの寂しいものでしたが、周りもみんな同じだから特に不満もない。それよりも、グラウンドで遊ぶのが楽しみだったので、一番に食べ終えて飛び出していくんです。ドッジボールなんかをよくやりましたね。 和田 活発だったのですね。 草野 小学校の頃は、学校は遊び場だと思ってました(笑)。 和田 でも、東大に入る(笑)。 草野 ただ、世の中の風潮や、先生、親から受けた影響は大きいと思います。常に「日本は資源のない国だ。人間こそが資源だ。ひとりひとりが才能を伸ばし、社会に役立つように努めよ」ということを言われていました。周りがそうやって吹き込むので「ああ、そうなんだ」と思いながら育ったんです。 和田 当時はそうでしたね。草野さんやその上の年代の方は、そうやって努力を積み上げてきた世代ですよね。 草野 はい。その象徴は昭和39年の東京オリンピックです。終戦から開催までの19年間に、国も経済もいい形で復興していきました。国中が「自分たちが頑張った。それを世界中の人に見てほしい」という思いで溢れていましたね。全国各地で「花いっぱい運動」なども広がりました。国民の努力の積み重ねが表現されていたと思います。 和田 活力を実感できる時代でした。 草野 はい。だけど、日本が少しずつ豊かになってくると、今度はゆるんできましてね。「こんなにあくせくやることはない。もうちょっとゆるめよう」という方向に進んでいきました。そして他の文明国なら絶対にやらない”ゆとり教育”が始まります。せっかくいい形に積み上げていたのに、それを崩してしまったような気がします。 和田 高度成長は今の幸齢者の努力の上にあるわけですよ。その意味では、お年寄りが世界で一番賢い国は日本なんですよ。だけど、1995年に日本人の中学2年生の数学力が台湾と韓国に抜かれたんです。ゆるんできたツケが回ったんでしょうね。その1995年に中学2年生だった人は今43歳です。もちろんそれがダメだと言いたいのではありません。事実として40代の人は、韓国や台湾の同世代と比べ、学力で負けてるわけです。だからITで勝てない。 草野 残念ながら、それは事実ですからね。