立浪ドラゴンズ甲子園で10連敗、竜党が思い出す後楽園球場"人工芝"の悪夢
阪神甲子園球場が誕生100年という記念すべき歴史を刻む中、中日ドラゴンズは、2024年シーズンこの球場で1度も勝つことができなかった。こちらは何とも淋しい歴史を刻んでしまった。(敬称略) 【動画】「よく捕った!」石川昂弥がナイスキャッチ!【2分44秒】
屈辱の甲子園10連敗
台風10号が過ぎ去った9月3日からの阪神タイガース3連戦、初戦の先発投手は、今や最も勝利を期待できる高橋宏斗(※「高」は「はしごだか」)だった。しかし、タイガース打線の攻撃によって、7イニングで3失点。試合は作ったものの、0点台だった防御率も今季初めて1点台になり、敗戦投手となった。 翌4日は、夏の甲子園優勝投手である小笠原慎之介が先発した。竜打線が初回に2点を先制するも、その裏に6点の大量点を奪われて逆転され、そのまま負けた。甲子園での最終戦となった3戦目は、大野雄大が粘投を見せたが1対2で敗れて、ついに0勝10敗1分となった。甲子園で勝ち越したシーズンは、2018年(平成30年)森繁和監督時代が最後となった。苦手な球場になっている。
後楽園で勝てない竜
記憶は半世紀近くさかのぼる。そして、当時のことを知る竜党の脳裏に浮かぶキーワードは「人工芝」である。1976年(昭和51年)讀賣ジャイアンツの本拠地である後楽園球場がグラウンドを人工芝にした。日本の球場では初めてのことだった。そしてこのシーズン、ドラゴンズは後楽園球場での巨人戦で勝てない日々が続く。 筆者は当時から日記にドラゴンズの戦いを綴っているが、読み返してみた。夏ぐらいからこんな記述が増えていく。 「堂上照が好投、田尾タイムリー、しかし人工芝で何と9連敗」(8月22日) 「田尾がプロ初ホームランの2ラン、しかしタカマサ(鈴木孝政)打たれて12連敗、後楽園で今シーズン無勝」(9月19日) 結局、後楽園球場では0勝12敗1分という成績で、一度も勝てなかったのである。
決して弱いチームではなかった
1976年のドラゴンズが弱かったのかと言えば、決してそんなことはない。与那嶺要監督の5年目。2年前には20年ぶりのリーグ優勝を果たし、前の年にも広島東洋カープと最後まで優勝を争っての2位。戦力としては、そのメンバーがほとんど残っていて、開幕前は優勝候補に挙がっていた。 打線には、高木守道(※「高」は「はしごだか」)、井上弘昭、トーマス・マーチン、島谷金二、木俣達彦らが並び、その中で、谷沢健一が初の首位打者に輝いた。ドラフト1位ルーキーの田尾安志も後半に向けてレギュラーとなり、新人王に選ばれた。 投げる方では、鈴木孝政が2年連続の最優秀救援投手に、最優秀防御率のタイトルも獲得した。左腕の松本幸行15勝、星野仙一10勝、そして三沢淳9勝と先発陣も揃っていた。