【オニール八菜連載vol.2】ふたりのアルブレヒトと! 夢を叶えて初役で踊ったジゼル。
役作りのためのリサーチ、その楽しみと苦労。
今回ジェルマン・ルーヴェと配役が発表された予定通りの3回の公演に加え、ドロテ・ジルベールの怪我による降板ゆえユーゴ・マルシャンとも彼女は1回踊ることになった。稽古に際しては彼女のコーチで元エトワールであるフローランス・クレールとシャルル・ジュードが踊った映像だけでなく、イヴェット・ショーヴィレ、アリシア・アロンゾ、カルラ・フラチなどのビデオも見たという。 「ちょっとヴィンテージっぽい(笑)! みんな踊り方が違っていて......あ、彼女だからこうするのだな!というように、それぞれの映像を見るたびに思いました。この人のように自分もしてみようということではなく、自分のジゼルを探すことがどれほと大切なことかと、これらのビデオから学ぶことができました。リサーチをして役作りをするのはとても楽しいこと。今回私にとっていちばん大変だったのは第1幕のキャラクター作りです。ごくナチュラルに演じたいと探ってみたのですけど、自然すぎると何を言いたいのかが見えなくなってしまう。"物足りない"と"やりすぎ"の中間を探る......これはおもしろい仕事でした。私がイメージしたジゼルは、アルブレヒトにとても恋をしていて、そして踊るのが大好きな娘。このことを意識しました。そしてジゼルは村娘なので、たとえば階層の高い人に対するお辞儀の仕方なども農民の家の娘らしく......礼儀知らずというのではなく、彼女の育ちを感じさせるように。最初から最後まで農家の娘ということを忘れないよう心がけました」
『ジゼル』の第1幕の見どころは、なんと言ってもアルブレヒトの真実を知った後の狂気のシーン。彼女が亡くなり幕が降りるまで、観客はジゼルから目が離せなくなる。ダンサーによる表現の違いが興味深いシーンなのだ。 「これもいろいろなダンサーのを見ていますが、やはり自分らしくできないことには嘘っぽくなってしまうので、フローランスとじっくりと稽古をしました。自分らしさ......それはどう言ったらいいか......狂ったというより、誰が誰かわからない、どこに自分がいるかわからないというような感じ。他人に何かを見せるというのではなく、自分の頭の中で起きてることなので大げさにせずに。何が起きたか最初はわからなくて、少しずつ、ああこういうことがあったなというように。腕がなぜか上がっているけど、どうしてだろう......ああ、こういうことがあったんだわ、というように頭の中で回想がひとつひとつ......という感じに演じました」 いちどリハーサルスタジオでフローランスと稽古をした時ピアニストがいなかったので、自分が持っていたYouTubeのビデオの音楽を使うことにしたそうだ。それは当時若かったフローランス・クレールをイヴェット・ショーヴィレが指導する映像だったため、ショーヴィレがフローランスに語る言葉が聞こえてくる。その上に稽古場で八菜さんを指導するフローランスの言葉が重なって、なんだか奇妙でおもしろかったという思い出が残っている。パリ・オペラ座における継承を物語るひとつのエピソードだ。 第2幕のジゼルはウィリ(精霊)である。宙を浮遊するような踊り方が要求され、演技面では人間的な感情を表さない。とはいえ、精霊たちがウィリとともに墓に戻ることでアルブレヒトの命が救われる、夜明けを告げる鐘が鳴るシーンは例外だ。ジゼル役のダンサーたちは顔を少しだけ上げて安堵の表情をかすかに浮かべることが多い。しかし彼女は顔を上げることなく、うつむいたままミルタの前で精霊であることを貫いていたのが印象的だった。第2幕についてはどのような役作りをしたのだろうか。