バレーボール界に一石投じたエド・クラインの指導美学。「自由か、コントロールされた状態かの二択ではなく、常にその間」
「楽しむ」を促すコーチングの美学
――日本の「まじめにやろうぜ」という空気があまり好きではないと発言されていたことがあります。それは部活で始めた競技が生涯スポーツになりづらい部分や、観客動員の伸び悩みにもつながっているように思いますが、どのような形が理想でしょうか。 クライン:日本人の「まじめにやろう」「指導者や先輩の言うことに従おう」という文化については、私なりにいろいろと文献を読んで学び、中国から来たという説もいくつかの文献で目にしました。孔子が中国の社会で年下が年上を敬うルールを設定して、それが文化として日本に流れ込んだ形です。それは役に立つ時もありますが、「ルールに従いすぎる」ということは、自然体の部分を阻害してしまいます。 一番大事なことは、創造性のある選手たちが新しい手段を使ってプレーし、新しいものを生み出すことです。何が言いたいかというと、あまりにも多くのルールを持つことは、個性を生かすことを阻害してしまいます。指導者によっては、ルールを守らせることで選手の表現を止めてしまう人もいます。例えば、フランス人は自由を好むので、そういうやり方をすると絶対にうまくいかないのではないでしょうか(笑)。 ――自由な表現を促しながら、チームをまとめるのは大変そうです。 クライン:もちろん、完全に自由を与えるべきではないと思います。一定の制約を与えることによって、チームを一つの方向に向ける必要はあると思いますから。ただ、ルールでコントロールしすぎて、選手が自分の表現をできなくなってしまった場合は、落ち込んだり、最終的に競技をやめるケースも出てくると思います。これはスポーツに限らず、どの業界にも言えることだと思います。 コーチングの美学としては、一定の制約を与えつつ、選手が自分自身の表現ができる範囲を保つことが重要です。「自由か、コントロールされた状態か」の二択ではなく、常にその間だと思います。例えば、若い選手ならよりコントロールするほうに尺度が近づくと思いますし、経験のある選手には、より自由を与えることになると思います。 ――その指導の原点には「楽しみながら成長する」という目的があるのですね。 クライン:スポーツはもともと楽しむためのゲームとして作られたものです。ですから、まず「楽しんで遊ぶ」ということが重要だと思いますし、特に小さい子どもたちに関してはそれが何より重要だと思います。大人も直感的に楽しんでいると思いますが、お金を稼いだり、勝敗や名誉を考えるので「まじめにやろう」が強く出てきてしまうと思います。私自身はそういう環境でも楽しむことが、高いレベルでプレーする唯一の方法だと思います。