娘の学費を稼ぐため 家族それぞれ別の国に暮らすネパール人女性の昼食
豪州にいる夫とオンラインでつながる絆
食後に出された1杯のチヤ(ミルクティー)を飲みながら、リトゥさんのこれまでの歩みをざっと振り返ってもらった。 もともとネパールのカトマンズ出身。夫と娘の3人暮らしをしていたが、とりわけ娘の教育のためさらなる高収入を求めて夫婦でオーストラリア行きを決意。しかし2人で申請したものの、大使館からビザが発給されたのは夫だけで、なぜかリトゥさんにはビザが下りなかった。 「本当は夫婦そろって住むのが一番だけど。でも娘の教育費を稼ぐためには別々になるのも仕方ないじゃない?」 その後リトゥさんは進路を日本に切り替えた。日本で働く友人たちのアドバイスも大きい。夫は賃金の高いオーストラリア、自分は日本で共に働き、ネパールに仕送りすることを決めた。そしてカトマンズ市内の日本語学校で基礎を学び、そこと提携している仙台市にある日本語学校へと進学。1年後、同市内のビジネス系専門学校に進み、山梨県の大きな温泉旅館へと就職した。 「温泉旅館にはネパール人の従業員が6人もいて。一緒に寮で生活していましたよ。山梨の田舎で、もちろん周りにはネパールの食材屋さんなんか全然なかったけど、オンラインで何でも買えるから。新大久保のネパール食材店から月に数回、6人分まとめて買ってました」 今や日本全国どんな場所に住んでいようとも、オンラインでインド・ネパール食材が手に入る。一昔前には考えられなかった変化である。 「温泉旅館での勤務時間は長かったけど、日本人のスタッフさんたちは皆優しかった。自分たちで作ったネパール料理も食べられて、仕事のあとには温泉入り放題なのもよかったね。楽しかったですよ」 「温泉入り放題か、うらやましい……」 運搬作業とスパイシーな食事とで汗まみれになった私は、大自然に囲まれた露天風呂を想像して思わずつぶやいた。 実はネパールにも温泉はある。中でも有名なのが、ヒマラヤ山脈のふもとタトパニという集落にある温泉で、日本同様、肌寒い時期になるとネパール人湯治客でにぎわう。日本と違うのは入浴時に全裸になってはいけないこと。ネパールで温泉に入るのには最低限、下着は着用しなければならない。とはいえ、富士山ならぬヒマラヤを見ながら入る温泉はさぞ格別に違いない。 「そんなにいい職場だったのに、どうして辞めちゃったんですか?」 疑問に思って私は聞いた。 「そこで働いていたネパール人の同僚が東京で働きたいって言って。彼女に付き添ったんですよ。私ももう少しいい給料が欲しかったし」 こうして東京に出てきたリトゥさんは、港区を中心に複数の支店を持つフランス料理店に仕事を見つけた。確かに賃金こそ上がったものの、仕事は忙しくストレスも多い。何しろ通勤に片道1時間半もかかる。住み込みで働いていた時はゼロである。だから今でも「やっぱり温泉で働いていた方がよかったかな」と思うことが少なくない。 ちなみにリトゥさんたちが勤務していた山梨県の温泉地には、その後ネパール人をはじめとする外国人が学ぶための日本語学校が設立された。留学生たちのアルバイト先は当然、温泉旅館となる。学校を作れば留学生のアルバイト要員は確保できる。地方の温泉施設や介護施設は、それほどまでに人材不足が深刻なのだろう。日本語学校を作って外国人留学生を誘致しようという動きは山梨県以外にも出始めているという。 カトマンズにある私立の小学校に通うリトゥさんの娘さんは、将来歯科医を目指している。学業も優秀で、クラスでも成績は上位なのだそうだ。 「オーストラリアの大学を探しているけど、日本にも外国人が行ける大学はありますか?」 リトゥさんが聞いた。ためしにその場でネット検索すると、ズラズラッと外国人用の英文の募集要項が出てきた。それらのリンクをリトゥさんに送り、リトゥさんはそれを娘と彼女の通う学校の先生に転送した。電話で1校1校確認し、要項を送ってもらっていた時代に比べるとずいぶんと便利になったものだ。 「そうだ、ダンナにも教えなきゃ」 そういうと、オーストラリアで働く旦那さんとオンライン通話をはじめた。話はすぐに脱線し、昨日今日何を食べたという話題になった。隣にいる私もスマホ越しに紹介され、「オーストラリアに行ったら一緒にゴハン食べましょう」などと手を振ってあいさつを交わす。 テクノロジーで人と人との距離が縮まったといわれる現代。しかし仕事や学業の機会を求めて世界中を視野に入れているネパール人にとって、われわれ日本人よりもはるかに地球は小さく狭いものなのかもしれない。スマホで夫と無邪気に長話をしているリトゥさんを見て、ダルバートで満たされた腹をさすりながら私はそんな風に感じた。 ■著者プロフィール 小林真樹 インド食器輸入業 インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。現在は商売を通じて国内のインド料理店と深く関わっている。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)『食べ歩くインド』(旅行人)。最新刊は『インドの台所』(作品社)。
朝日新聞社