相鉄かしわ台駅、地元民は知っている「2つの顔」 降りたことある?東口は長ーい通路を歩いた先に駅舎がポツン
■管区長が語るかしわ台駅 かしわ台などの駅長を務めるのが海老名管区の森脇隆治管区長。2006年に相模鉄道の社員だった父親の「背中を見て」中途入社したという。駅や本社での勤務、星川の管区長などを経て、7月に海老名管区長に着任した。 JR線や東急線と直通が始まったのは星川駅にいたころ。「見たことのない駅からの乗車券やICカードの入場記録の清算の対応があった。相鉄線から乗車する場合も、JR・東急の直通で行くのか、横浜で乗り換えるのか、案内するルートに複数のパターンがある」。
かしわ台については、同駅から通勤・通学で出かける利用者が多く、住民以外で訪れる人は「工業団地への通勤や通院、『おふろの王様』に行く方、それに車両センターを見学する当社の関係者」が目立つ。 「東口と西口を間違える人はたまにいる程度」という。東口駅舎と通路については「ほかの駅と同様、日々駅員が掃除をしつつ巡回して設備に問題がないかチェックしていますが、かしわ台は守備範囲が広いのが特徴です」。 長い通路は相鉄の輸送力増強の歴史と深い関係がある。現在、相鉄本線で小田急江ノ島線との乗換駅である大和から西は、相模大塚、さがみ野、かしわ台、そして海老名という順に各駅が並んでいる。かしわ台の東口駅舎が建つ場所にはかつて「大塚本町」という駅があった。『相鉄グループ100年史』によると、1946年3月1日に柏ケ谷駅として開設、翌月に大塚本町に改称されている。
経済成長真っただ中の沿線開発で輸送需要が拡大。車両増備に対応するため、1967年に柏ケ谷に電車基地が完成、星川にあった電車区・車掌区や検車区が移転してきた。 単線区間が残っていた相鉄本線は、1966年に相模大塚―大塚本町間、1967年に大塚本町―電車基地間が複線化。海老名までの全線が複線化したのは1974年のことだった。1950年代末は最大で4両だった電車の編成も、1970年には7両、1975年には8両まで伸びた。