《ススキノ首切り事件》ここへきて瑠奈被告が「無罪」になる可能性…2回目の精神鑑定が決定、弁護側の「意図」とは
精神状態を理由に裁判が行われないことも
「精神鑑定が終わり、鑑定書が出来上がった後、弁護側も検察側もその内容を確認し、内容の信用性を検討したり、鑑定結果をもとに責任能力の有無、程度について検討する必要があります。私もこれまで何度も鑑定書を読んできましたが、その過程では、通常、多くの時間を要します。記載されている内容を理解、評価するために、専門的な書籍にあたったり、別の専門家の意見を聴いたりすることもありました」 責任能力の判断は3つ。 まず、精神障害の有無、内容。次にそれが当該犯行にいかなる仕方で影響したか。最後に認定される具体的な影響の仕方を前提にすると、弁識、制御能力の欠如や著しい減退があるというべきか、を評価して行うことになる。 このうち精神障害の有無と内容、それが犯行にいかなる仕方で影響したのか、に関しては、精神鑑定の領分となる。最後の項目については精神医学の領分ではなく、事実の法的概念へのあてはめなので、最終的には裁判官が判断すべきこととなるのだ。 瑠奈被告の裁判の争点は事件当時の責任能力の有無だが、その精神状態は日に日に悪化していることを修被告自身が証言している。時間が空くことで、瑠奈被告に精神状態の変化が出る可能性がある。 一般論としては、精神状態を理由に裁判自体が開かれないことも考えられる。これは刑事訴訟法314条には、「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続きを停止しなければならない」と定められているからだ。瑠奈被告の事件が該当するかどうかは別として、一般論でいえば、この条文に該当する事態となれば公判手続きを停止することになりえるというのだ。
瑠奈被告に刑事責任能力がないとみなされたら……
「刑事責任能力は、犯罪の実行行為当時に、事物の是非善悪を弁識する能力またはその弁識に従って行動を制御する能力があったかという問題であるのに対し、訴訟能力は、裁判の時点で自分の置かれた状況を理解し、適切に防御権を行使することができる能力があるかという問題です。責任能力と訴訟能力とでは、同じく被告人の『能力』を問題としていても、何に関する能力が問題となるかが異なっているのです」 では、もし仮に瑠奈被告に刑事責任能力がないと判断された場合はどうなるのだろうか。 「心神喪失であると判断されれば無罪となりますし、心神耗弱であると判断されれば刑が減軽されることになります。医療観察法に、責任能力が理由となって刑事責任を問えない状態で重大な他害行為を行った人に対する制度が定められています。 心神喪失又は心神耗弱の状態で重大な他害行為を行い、不起訴処分となるか無罪等が確定した人に対しては、検察官が、医療観察法による医療及び観察を受けさせるべきかどうかを地方裁判所に申立てを行います。 検察官からの申立てがなされると、医療機関で入院等なされながら鑑定が行われ、裁判官と専門家らによる審判で、対応が必要か、具体的にどのような対応が必要かを判断することになります。 その結果、入院の決定を受けた人に対しては、指定された医療機関で、専門的な医療の提供が行われるとともに、退院後の生活環境の調整が実施されます。 入院でなく、通院による医療の決定を受けた人や退院を許可された人については、保護観察所の社会復帰調整官が中心となって作成する計画に基づいて、原則として3年間、地域で、指定された医療機関よる医療を受けることになるのです」 このような法制度となっている以上はやむを得ないものがあるのかもしれない。 刑事責任を問えないと判断されながらも医療観察法による措置をとることもできない。または完了した者が早々に社会で生活を再開する可能性について地域住民らが不安を感じることもあるだろう。なにより、被害者、遺族の心情を思うと、いたたまれないものがある。 自分自身や家族を傷つけた被告が、刑事責任が認められず、不起訴や無罪になったら、遺族の怒りは収まらないだろう。 「責任能力の有無を判断するということはとても難しいことだと思います。いかなる精神疾患があったのか、またそれが行為にどのように影響したかという点に対する評価が、鑑定医によって異なることもありますし、鑑定結果に対する裁判官の評価も一審と控訴審で異なることもあるのです」