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ガンという壁も越えてみせる! 阪神タイガース・原口文仁選手

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
昨年12月23日、地元の寄居町での野球教室が終わって記念撮影に応じる原口選手。

 1月24日の午後3時、阪神タイガースの原口文仁選手(26)はこの日に立ち上げたばかりのツイッターで、自身がガンと診断されたことを報告しました。その10分後には球団からも「原口選手は大腸ガンの診断を受けましたので、チームを離れて近日中に手術を行い、治療に専念していくことになりました」と発表されています。※原口文仁選手の公式ツイッターはこちら→https://twitter.com/fumihit94

 決して字を書くことが得意ではない原口選手なのに、ツイッターでは直筆の文章をしたためました。そのメッセージ全文をご紹介します。

 

「少しでも夢や希望を与えられるように」

いつも応援して頂き、ありがとうございます。

皆様にご報告があります。

プロ10年目を迎えるにあたり

昨年末、人間ドックを受診したところ

ガンと診断されました。

この姿を早く見られますように。
この姿を早く見られますように。

病名を聞いた時はさすがに驚き、

動揺したのも事実です。

しかし今は、プロ野球選手という立場で

このような病気になったことを

自分の使命だとも思えます。

同じガン患者の方々

また、そのご家族の方々にとって

少しでも夢や希望となれるよう

精一杯、治療に励みたいと思っています。

今後の予定としては

近日中に手術を受け

そのあとリハビリに励んで

早期の実戦復帰を目指します。

僕には、大切な家族や

応援してくださるファンの方々、

共に闘う仲間がいます。

常に前だけを向いて進んでいきます。

どうか、これからも応援の程

宜しくお願い申し上げます。

          2019.1.24

           原口文仁

野球の神様も見ておいてほしい―

2016年1月、初めて伊賀で俊介選手と一緒に自主トレを行いました。ここから始まった1軍への道。
2016年1月、初めて伊賀で俊介選手と一緒に自主トレを行いました。ここから始まった1軍への道。

 自主トレの様子も公開されず、年が明けてから何の情報も伝わってこなかったので、心配された方も多いでしょうね。そこへもってきて、23日に発表された沖縄キャンプ参加メンバーに名前がなかったため、さらに不安を募らせたファンの方もいらっしゃると思います。それでも、まさかこんな病気だとは…。

 夕方5時に谷本修球団副社長兼本部長の話を聞けました。まず「本人が一番悔しいというか残念だと思うんですけど、彼もコメントを見る限り前向きにやっていこうとしているようなので、その気持ちに応えられるよう、こちらも早く戻ってくれるのを祈るだけです」という言葉。

2016年11月、初めて球団事務所で契約更改。緊張の面持ちです。
2016年11月、初めて球団事務所で契約更改。緊張の面持ちです。

 詳しい病状について聞かれ「説明は受けているんですけど、個人情報を含むので差し控えたい」という説明があり、続けて「もともと球団の定期健診で、精密検査を受けた方がいいんじゃないかというのがオフにあり、本人が人間ドックを受けに行って年明けに判明したということ。フィックスしたのは最近です」とのことでした。

 今後どのようなサポートを?「治療に専念するのを邪魔しないことですかね。球団として。あとは、やっぱり去年のシーズン中も球場へ真っ先に来て、非常に研究熱心だった。野球に打ち込んでいる姿も素晴らしいものがありますので、そういう姿を野球の神様も見ておいてほしいなと思います。一日も早く戻ってきてくれることを願っています」

2016年12月、地元に帰って野球チームの子どもたちと触れ合う原口選手。
2016年12月、地元に帰って野球チームの子どもたちと触れ合う原口選手。

 原口選手は早期復帰ということを記していますが、球団としても何とか早く戻ってこれそうかなという見通しですか?「ぜひそうあってほしいなと思っています。こちらから言えることは一日も早く、元気な姿を見せてほしい」

 なお本人には「医療担当の者が会っていますよ。私は会っていないんです」と谷本本部長。そのあと「本人もまったく予想していなかったと思うので、年賀状でもそんな素振りはなかったし。かなりショックは受けていると思うんですけど、それでも前を向いてやっていこうとしているので、こちらとしてもできることは限られますが、応援していきたいと思います」と話しました。

信じればかなう、かなえられる!

 「だって、越えられない壁はやって来ないから」

2017年10月のフェニックス・リーグ。高山選手が向けたカメラに反応しています。
2017年10月のフェニックス・リーグ。高山選手が向けたカメラに反応しています。

 いつもそう言ってきた原口選手ではありますが、今度ばかりは簡単にいかないかも…と思うほど分厚くて高い壁ですね。私も知った瞬間は驚き、信じられなかった。でも、悲しいという感情は湧きませんでした。泣くことじゃない。何も変わらない。そう思ったからです。

 

 これまでも、腰を痛めたり骨折したりという様々な困難をはねのけた原口選手が、ここで倒れるもんか!病気でさえ、何か意味があるのだとポジティブに捉えるだろうと。思った通りだったと、本人のメッセージでそれを確認できました。プロ野球選手である自分がガンを患ったのは、きっと世の中の役に立てと言われているのだという発想。宣告を受けてからの短い時間で、そこへ至った原口選手はやっぱりすごいですね。

 それには、きっと大きな存在があるから。おそらく人生最大のピンチに彼を信じて闘うことを決めた奥さんと、もうすぐ“あんよ”ができそうな可愛い娘さんがいます。ライオンの雄が全力で家族を守るように、原口選手もここで挫けるわけにいかない。そんな大切な家族や、支えていただいている方々、応援してくださるファンの皆さんを思って、立ち向かう力をチャージしたんでしょう。

昨年の野球教室にて。手伝ってくれた幼なじみや後輩たちも、きっと心配しているかと。早く安心させてあげたいですね。
昨年の野球教室にて。手伝ってくれた幼なじみや後輩たちも、きっと心配しているかと。早く安心させてあげたいですね。

 10年近く見てきた原口選手という人に、引き算は存在しないなと確信しました。すべてが足し算か掛け算。マイナスはない気がします。前にしか進めないところを見ると、ひょっとしてバックギアがついていないんですね。そんな人のところに病が長居するわけない!と思いませんか?

 考えてみると、10年目を迎えるにあたって初めて人間ドックを受診したことも、精密検査を勧められたことも、そこでガンが見つかったことも、すべて偶然の積み重ねと言えます。前向きな原口選手が呼び込んだ偶然。この闘いに勝って振り返った時、みんなで「ああよかった」と微笑み合えるはず。「やっぱり原口選手は“持って”いましたね」って。

 限りないプラス思考の中で、退院したらトレーニングを開始して、いつグラウンドに戻り、どこで実戦復帰できるかというスケジュールまで、もう組んでいるはずですよ。さらには1軍での今季初打席をも、原口選手の頭にはきっと鮮明に描けているでしょう。そこで打っちゃいますか、ホームラン!

原口選手の直筆。この言葉がきっと自分と周りを支えてくれますね。
原口選手の直筆。この言葉がきっと自分と周りを支えてくれますね。

 だから、大丈夫です。皆さんも心配しないでください。もっともっと強くなって戻ってくる、私はそう信じています。原口選手自身が書いた、この言葉を唱えながら待ちましょう。

 ※2016年、支配下選手に復帰して1軍で大活躍した時の記事です。→《阪神タイガース・原口文仁選手が迎えた雄飛の時 ―その強さは たゆまぬ努力の証―》

 ※昨年12月の野球教室の記事はこちら。この時はまだ病気を知りませんでした。→《阪神タイガース・原口文仁選手の10年目は『勝』》

    <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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