Yahoo!ニュース

検索結果

10
  1. 命が惜しくない奴は来い! 張飛が曹操軍の前で仁王立ちした「長坂橋」は、今どうなっているのか?
     中国の湖北省にある当陽(とうよう)市。『三国志』の舞台としておなじみの地名だが、街のど真ん中、車が行きかうロータリーには趙雲(ちょううん)の黒い騎…
    歴史人ライフ総合
  2. 策に溺れる? 軍師・陳宮は、なぜ呂布に信用されなかったのか
     193年、曹操は徐州(じょしゅう)に攻め込んだ。いわゆる「徐州虐殺」。歴史書(武帝紀や後漢書)には数十万人の領民、あるいは多数の者を殺めたとある。
    歴史人ライフ総合
  3. 劉備の采配ミス? なぜ「夷陵の戦い」で黄権は軍師として使われなかったのか
     黄権(こうけん/?~240)といえば、はじめは「蜀の文官」として登場する人物だ。益州(蜀)の劉璋(りゅうしょう)のもとで主簿(しゅぼ/帳簿や庶務の…
    歴史人ライフ総合
  4. なぜ劉備は呉を攻めた? 諸葛亮も趙雲も止められなかった「夷陵の戦い」の原因
     西暦221年から222年にかけて起こった夷陵(いりょう)の戦い。蜀の皇帝・劉備がみずから大軍を率いて攻め込むも呉の名将・陸遜(りくそん)に大敗。こ…
    歴史人ライフ総合
  5. 孫権に説教しつづけた頑固おやじ、張昭は「嫌われ役」に徹したのか?
     三国志ファンの間で、張昭(ちょうしょう/156~236)の人気は決して高くない。その理由のひとつに、彼が小説『三国志演義』で「戦争ぎらいの保守派」…
    歴史人ライフ総合
  6. 孫堅を倒し、孫策や孫権を20年近くも苦しめた荊州の大ボス。黄祖とは何者か?
     三国の一角、呉の皇帝となる孫権(そんけん)には、不倶戴天(ふぐたいてん)というべき敵がいた。劉表の将であり、荊州北部・江夏郡※(こうかぐん)太守を…
    歴史人ライフ総合
  7. 「俺を三度も殺すやつがいるか!」吉川英治『三国志』で3度も昇天した魏将・張郃の悲劇とは?
    …■正史・演義で活躍のブレが少ない貴重な魏将  魏(ぎ)の名将・張郃(ちょうこう/?~231年)を知る人は多いであろう。張遼(ちょうりょう)や徐晃(じ…
    歴史人ライフ総合
  8. 曹操と孫堅を連続撃破! 呂布より戦上手な董卓軍のエースは、なぜ不遇の扱いなのか?
     西暦190年に結成された、反・董卓(とうたく)連合軍。都を牛耳る暴君を倒そうと、名だたる勢力が董卓包囲網を築きあげたが、諸侯は兵を損ずるのを恐れて…
    歴史人ライフ総合
  9. 関羽が華雄を斬り、呂布が大暴れした「汜水関・虎牢関の戦い」は創作だったのか?
    …「そもそも天下の大勢は、分裂が長ければ必ず統一され、統一が長ければ必ずまた分裂する・・・」という、味わいぶかい書き出しで始まる小説『三国志演義』。し…
    歴史人ライフ総合
  10. 三国志イチの酒飲みは張飛ではない! 曹操や諸葛孔明が息子に示した「酒の飲み方」とは?
     三国志の英雄・曹操は酒を好んだ。宴会で上機嫌になると大笑いして杯や碗に頭を突っ込み、酒で頭巾をビチャビチャにしたという逸話が『三国志』(引用の「曹…
    歴史人ライフ総合

トピックス(主要)