「俺を三度も殺すやつがいるか!」吉川英治『三国志』で3度も昇天した魏将・張郃の悲劇とは?
■正史・演義で活躍のブレが少ない貴重な魏将 魏(ぎ)の名将・張郃(ちょうこう/?~231年)を知る人は多いであろう。張遼(ちょうりょう)や徐晃(じょこう)と同様、外様ながら指折りの功臣にのぼりつめた元勲のひとりである。 彼がいかに優れた将軍だったか。それは正史『三国志』と『三国志演義』とで、その活躍にほとんどブレがないことで証明される。「演義」にかかると、おしなべて魏や呉の武将の活躍度合いは弱くされがち。最期も史実通りでない死を遂げるなど、パッとしない傾向がみられるが、この張郃は例外というべき厚遇を受けている。 「演義」の活躍でいうと、初っ端に張遼と一騎討ちで互角に打ち合ってその武勇を発揮。その後も趙雲・馬超・張飛と戦場で相まみえ、勝てずに敗走こそすれ、武器をとっての戦いでは彼らとほぼ互角に打ち合うほどの強さだ。 定軍山では「張郃を討てたならば、夏侯淵を斬った手柄の十倍に当たる」と、歴戦の劉備が彼を高く評価。これは史書『魏略』にもとづく言葉だ。そして最期は諸葛亮による北伐を防衛するため前線に出陣し、そのさなかに木門道で矢を受けて倒れる。張郃を討ったことは蜀漢側にとっての大戦果として後世に喧伝されるほどで、その存在の大きさがわかろう。 ■しかし、吉川英治『三国志』では・・・ しかし長年、日本の三国志小説のスタンダードの地位を保ってきた吉川英治『三国志』では、なぜか張郃が散々な目に遭う。問題の場面を2つ、抜粋してみよう。 “一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。 養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降ってきた。 猛然、張郃の勢を、うしろから粉砕し、趙子龍と協力して、とうとう敵将張郃を屠(ほふ)ってしまった。”(孔明の巻「泥魚」より) “趙雲は躍り立って、 「天この若君を捨てたまわず、われに青釭(せいこう)の剣を貸す!」 と、歓喜の声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、張郃の肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。”(赤壁の巻「宝剣」より) 一度目は趙雲が劉備の陣営に新加入して間もないころで、彼の戦功を読者に印象付けるため。二度目は趙雲最大の見せ場ともいえる長阪坡。まだ名のある将を討っていない彼が、この大舞台での「大物食い」を果たすにふさわしい場であったことは間違いない。そして231年の第四次北伐(木門道)で史実通りの「三度目の死」が描かれるのである。 実は一度目、二度目は撃退されただけで死んでいなかった、張郃は不死身のごとく回復したのだという見解もあるが、描写を見る限り無理があろう。もちろん原典『三国志演義』ではいずれの場面でも死亡せず、撤退するにとどまっている。 ■吉川本人も気付いて苦笑い? 吉川英治は、なぜこれらのシーンで張郃を「殺した」のか。まず、本人がそれに気づいていたかどうか。担当編集の記述が残る。 「(宮本)武蔵の一回分がどうしても書けないこともしばしばあり、そんなときは家全体が重苦しい雰囲気に包まれた。しかし三国志はリラックスして、楽しんで書いておられた」 「馬上からバラリンズンと斬殺した人物を、後の場面で活躍させて、飛んだ失敗したよと、吉川さんが苦笑したようなお愛嬌もあった。」(萱原宏一「"三国志"のころ」/『吉川英治とわたし』『吉川英治全集』27巻などに所収) 吉川三国志は1939年(昭和14年)から開始された新聞連載小説で、しかも当時の吉川は連載を3本も抱え、多忙のきわみであった。 当時、吉川が原著としていたのが『通俗三国志』で、これは一般的な『三国志演義』より少し古いバージョンの和訳本である。「通俗」では、張郃は前述のシーンで趙雲に二度打ち負けて敗走する展開になっており、吉川はこれを自分流の文章に直して書き進めていたと思われるが、筆の勢い余って殺してしまったのだろう。 しかも長阪坡の下り「紅の光! ――それは忠烈の光輝だといってもいい。紫の霧! ――それは武神の剣が修羅の中にひいて見せた愛の虹だと考えてもいい。」といったあたりは痛快で、筆が躍るに任せて書き上げたものとみられる。 さすがに曹操のような主要人物を殺すわけにはいかないが、趙雲に出くわした張郃がその血まつりにあげられた、ということに相違ない。そのような「立て板に水」のような勢いが、新聞連載には必要だったというところだろう。 死んだ人がいつの間にか生き返って再登場するなど、そのようなミスは昭和の週刊の少年漫画などにもよくみられた。同じ例として、袁術の配下・楽就(がくしゅう)も呂布に一度討たれながら、その後にちゃっかりと再登場している。 演義で「おれを殺すやつがいるか!」と叫んだのは魏延だが、吉川英治『三国志』で良くも悪くも目立つ存在になった、張郃や楽就の心の叫びが聞こえてくるようである。 ■漫画版やゲームにおける張郃 「演義」の張郃は強いには強いが、目玉を射られる夏侯惇や、関羽と仲のいい張遼のような見せ場はない。かといって許褚のような酒がらみの失策もなく、仕事を卒なくこなすだけに個性がない。そういった部分が悪いほうに作用して複数回の死亡シーンを描かれる羽目になってしまったのかもしれない。 漫画版の横山光輝『三国志』では、吉川版のミスは織り込み済みだったのか、張郃が死ぬのは一度限り。長阪坡の場面では吉川版と同様の鉄球使いが現れるが張郃とは名乗らず別人扱いとなっている。実際に登場する張郃本人は原作通り、なかなかシブい活躍を見せる。 また余談となるが、三国志を題材としたゲーム『真・三國無双』シリーズ(コーエーテクモゲームス)の張郃は、なぜかナルシストというべきか艶やか、華麗な容姿と性格を持つ中性的なキャラクターに設定されている。そうした設定に明確な理由づけはないようで、良くも悪くも原作では無個性な武将だからこそアレンジも自由にしやすかったのかもしれない。
上永哲矢