見解記事末尾にある“性的同意の本質は、「契約」ではなく「コミュニケーション」です”という指摘はとても重要だと感じます。 そもそも日本では性交渉について「いやよいやよも好きのうち」といった言説を許してきた時代が長く、被害当事者や支援者たちが「いやよいやよはイヤなんです」と声を上げて、被害者にとって酷な立証を迫る司法の現実や、その法の改正を訴えた経緯があります。また、法改正に伴い、社会の中にある意識を変えていくことが必要でした。 ここ5〜6年で「性的同意」という言葉はニュースでも頻繁に報道されるようになりましたが、それ以前には明確な同意を確認することはむしろ野暮であるという空気がありました。 これまで「性的同意」という言葉を知らなかった大人にこそ、この意識の改革は必要ですし、この言葉は人を縛るものではなく、むしろお互いをよく知るためのコミュニケーションの豊かさのために必要だと考えます。
コメンテータープロフィール
ライター/主に性暴力の取材・執筆をしているフェミニストです/1980年東京都品川区生まれ/Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット大賞をいただきました⭐︎ 著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)/共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』(合同出版)/2024年5月発売の『エトセトラ VOL.11 特集:ジェンダーと刑法のささやかな七年』(エトセトラブックス)で特集編集を務める