「夜間中学校」という言葉は知っていても、実際の姿を知っている人はほとんどいないのではないだろうか。全国には今、300以上の「自主夜間中学校」やそれに類するものがあり、文部科学省も最近は「公立夜間中学」の拡充に乗り出している。実は日本には今も、未就学者が12万8千人以上おり、潜在的な対象者も含めると、夜間中学は全く足りていない。戦後の混乱期は思うように昼間の学校に通えなかった子どもたちのために、現在は不登校の子どもや外国人のためにも。移り変わる「夜中」の今を追った。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
夕方6時から、会館の和室で
千葉県松戸市の松戸駅を出て徒歩10分ほどの場所に、市勤労会館はある。ある夕方、そこに足を運んだ。鞄を提げた何人かがドアに吸い込まれていく。みんな階段を上り、靴を脱いで和室に入った。「松戸自主夜間中学校」の会場だ。ここに「中学校」があるとは、通りを足早に行き交う人たちは思いもしないだろう。
ふすまを開けると、畳の上に長机が並び、十数人が向き合っていた。10代の若者も高齢者もいる。その一角で「じゃあ、これから数学します」という声がした。その主はネパール人のチェトリ・スニタさん(15)。元中学校教諭の福田勝彦さん(62)と向かい合っている。
スニタさんは松戸市内の公立中学校を卒業したばかりだ。仕事のため先に来日した両親を追い、2016年7月に日本へ来た。ところが、日本語が分からず、中学校の勉強についていけない。そのため、ここに通い始めたという。
「パパと見に来て、入ることにした。週に1回は学校に日本語の教室があったけど、もっと勉強したいと思ったから。漢字も、初めは書けなかったけど、こっちに来て少しずつ書けるようになって。それから、中学校の数学が苦手で(今はここで)数学も勉強してる」
日本語の日常会話に問題はなくなったが、依然として漢字に困っているという。この自主夜間中学校に通い、自分から小学校の漢字ドリルを続けているのはそのためだ。ここに通って2年余り。学校の勉強も分かるようになり、公立高校の入試にもパスした。「(外国人の入試は)作文と面接だけだったから」と謙遜するスニタさんのそばで、指導する福田さんはこう言った。
「スニタもね、本当によく頑張りましたよ。今の日本では、学校は当たり前の場所ですよね。でも、夜中には心底、学びたい、という人たちが集まっています。そういう人が努力をして、自分の夢をかなえていく。(教えるほうも)とても気持ちがいい」
数学の教員だった福田さんは定年退職後、ここで教えるようになった。ほかには、例えば、中国出身の張安達さん(18)も担当する。張さんは幼い頃、エンジニアの父親の仕事の関係で来日。数年後に帰国したが、日本の大学への進学を目指してこの2月に再来日し、「松戸」に通い始めた。今は、微分積分などの高校レベルの数学を習っているという。
入学資格は「学びたい」だけ
松戸自主夜間中学校は、NPO法人「松戸市に夜間中学校をつくる市民の会」の運営だ。火曜と金曜の午後6〜9時が「夜間部」、金曜午後は夜間に通えない生徒向けの「昼間部」。教師と生徒の「1対1」が多く、英語や数学、国語などに加え、音楽も教える。
法律に基づく義務教育の学校ではないため、中学の卒業資格を得ることはできない。その代わり、学習内容に縛りはなく、意欲を持つ生徒に大きな不都合はない。本人が「この3月で巣立ちたい」と思ったら、そのタイミングが卒業だ。そして、卒業式に当たる「出発(たびだち)の会」を毎年開き、送り出す。
1983年の開講以来、「松戸」には1800人以上が在籍した。今は10〜70代の約50人が学び、スタッフは20~30人。「自主」のため公費の援助はなく、元中学校教諭らがボランティアで教えている。
NPO代表の榎本博次さん(68)によると、会がこの自主夜間中学校を始めた当時から、公立の夜間中学は東京都内に集中しており、松戸市から越境通学する人たちがたくさんいた。それを知った教師らが松戸市内にも「公立」を求める運動を始め、ほぼ同時に「自主」を開設したという。
「行政に開校を求めてもいつ実現するか分からなくて……。だったら、『教育を受ける権利』を市民の手で保障しようと動いたわけです。入学の条件? 『学びたい』という気持ちだけです。年齢や性別、国籍、学歴などは一切問いません」
対象者12万人超 文科省「増設」に乗り出す
「松戸」のような自主運営は、「自主夜間中学」「識字講座」などの名で各地に存在する。文科省の2014年調査によると、全国で計307件。ただ、青森、岩手、宮城、富山、山梨、鳥取、山口、香川、佐賀、長崎の10県はゼロだった。「公立」も8都府県に31校しかない。
夜間中学の入学希望者になり得る未就学者(学校に在籍したことのない人や小学校を途中で退学した人)は全国で今なお、12万8千人以上もいるのに、である。
これら未就学者に学びの機会を確保するため、文科省は最近、公立の夜間中学を各都道府県に1校は設置できるよう、自治体への財政支援などに乗り出している。
直接のきっかけは、2016年に成立した教育機会確保法だった。文科省教育制度改革室の田中義恭室長(43)は「この法律が超党派の議員の方々の動きで成立したのは大きかった。夜間中学の推進に向けて一層の力を得ました」と話す。
夜間中学は、日本の歩みを映す鏡のような存在でもあった。戦後の混乱期には、昼間に働くことを余儀なくされた学齢期の子どもたちが学ぶ夜間学級として、各地の中学校に付設された。1955年ごろには全国で80校以上あったという。その後の経済成長で国民が豊かになるにつれ、当初の役割を終え、数も減った。
いま、生徒の主役は外国人だ。2017年度の文科省調査によると、公立全31校の生徒計1687人のうち、8割が外国籍。うち、4割を占める中国がトップで、以下、ネパール、韓国・朝鮮と続く。
田中室長は言う。
「税金を使う夜間中学で外国籍の方を受け入れることに、違和感を覚える人もいるかもしれません。でも、夜間中学では、言葉だけでなく、日本で生きていくための基礎的な知識を得ることができます。外国の方が日本社会に適応する手助けになりますし、これは社会の安定や発展にもつながると考えています」
そして、「圧倒的多数は外国人」という生徒の顔ぶれも姿を変えていくかもしれない。不登校などで十分な教育を受けられないまま卒業した「形式卒業者」、および、不登校の学齢期生徒についても、「公立夜中」は受け入れるよう、文科省は15、16年と立て続けに各地の教育委員会に通知したからだ。
フリースクールなどと並ぶ多様な教育の受け皿。そこに「公立夜中」も加わり、既卒者らの学び直しの場にもなりそうだ。
「もう、モグリや脱法じゃない」
全国夜間中学校研究会の事務局長、都野篤さん(57)はこうした動きを「夢を見ているようです」と表現する。全国の教職員らで組織するこの会は1954年の発足以来、毎年全国大会で要望書を採択し、関係省庁などに夜間中学の環境改善を訴えてきた。実に半世紀以上。「夢のよう」という表現も都野さんらには大げさではない。
「要望の内容は初回からほぼ変わっていないんです。法整備をしてください、と。夜間中学は存在の法的根拠が脆弱なまま存続してきたんですから」
実は、夜間中学が役割を終えたと言われるようになった1966年、行政管理庁(当時、現・総務省行政管理局・行政評価局)は「夜間中学早期廃止勧告」を出したことがある。勧告はその後も取り消されていない、と都野さんは言う。
「長い間、私たちにはこれがトラウマでした。夜間中学は『モグリ』『脱法』という批判がずっとあって……。教育機会確保法ができるまで、それに悩まされました」
都野さん自身も、東京スカイツリー間近の公立中学校で夜間の教壇に立っている。20年ほど前に初めて夜間中学に赴任。それ以来、希望して夜間畑を歩んできた。
「初めは驚きましたよ。教員の自分も全く知らない世界。(敗戦後の)引き揚げ者の方などいらっしゃって、へぇ、こういう人たちがいるのか、と。夜間中学の設置はお金の問題もあり、簡単にはいかないでしょう。でも、教育機会を必要とする人が1人でもおられる以上、これからも活動していかなければと思っています」
法成立後、初の公立が開校へ
教育機会確保法の成立後、全国初となる新設校の一つは、実は松戸市にも生まれようとしている。目標は2019年4月。市教育委員会教育改革室を訪ねると、千葉貴子室長は大忙しだった。昼間の中学校をつくるのとは、わけが違うという。
「夜間中学は、学習指導要領に基づいて授業を行うんですけど、(法律上は公立であっても)学齢期を超えた生徒を対象とするため、義務教育じゃないんですね。そういう構造があるので、課題を一つずつ、独自に検討しなければいけない。すごく難しい」
公立の夜間中学は長い間、新設がなく、有効な先例もない。同じ千葉県内や関西の既存校を視察し、指導方法や設備のスペックなどの参考情報は得た。一番の課題は教員数の決定だという。
「一般の公立小中ですと、学齢簿で入学する児童生徒数が分かり、学級数が決まり、先生の数が算定できます。夜間中学にはそういうものが存在しない。夜間中学も通常の学校と同じく、県費で先生を配置するわけですが、先生の人数決定が難しくて」
一般にはほとんど知られていないその存在をどうPRするかも、課題として残っているという。
「学びのニーズは多様化しています」
横浜市立蒔田中学校の事務職員、大多和雅絵さん(37)は夜間中学の研究者でもある。学校の仕事を続けながら夜間中学校をテーマに研究し、博士号を取得した。文科省による「夜中」拡充も高く評価している。
ただ、注意すべき点もあると大多和さんは話す。
例えば、修業年限の問題。多くの公立夜間中学は「原則3年」としているが、これで十分かどうか。場合によっては、さらなる「形式卒業者」を生む恐れもあるという。
「学力レベルや学習ニーズは多様化しているんです。小学校の学習内容から学び直す必要のある生徒、日本語教育から必要とする外国籍の生徒……。こうした中で、義務教育課程の学力を全員が3年で身に着けて卒業することは、容易ではありません」
だから、多様な教育の「場」だけでなく、学習の状況に応じて生徒自身が授業内容を選択できる形も必要ではないか、と大多和さんは言う。一斉授業だけではなく、例えば、通信教育といったスタイルも活用してはどうか、と。
松戸市で「自主」を運営する市民の会も、似たような発想を持っている。同じ松戸市に公立の夜間中学ができても、「自主」の継続には意味がある、と。代表の榎本さんは「公立のアンチテーゼになればいいんです。新しい公立の比較対象となって、(双方にとり)さらに良い学びの場づくりに役立てるのでは」と話す。
実際、「松戸」には入学資格や修業年数に制限がない。だからこそ、生きていくために必要な勉強に没頭できる人は、ここに数多くいる。中学校にほとんど通わず、「形式卒業者」となっていた32歳の女性もそのひとりだ。彼女は2014年4月から丸4年、通っている。
「父の金銭トラブルや暴力の問題がある家で育ちました。小学校のころから不登校気味で、勉強ができてなくて……。それでも中学校を(形式的に)卒業。高校にも進学したんですが、家庭の問題が悪化して退学したんです。その後、精神的、経済的に苦しくなって、10年以上、引きこもってしまって。ここに通い始めてからは、中1のプラス・マイナスの計算から勉強しました」
勉強を再開してから、高校に行きたいと思うようになり、現在は定時制高校に通っている。それと同時に、義務教育で抜けた部分を補うために「松戸」でも引き続き勉強しているのだという。
引きこもり時代の名残で、人前では今でもマスクを手放せない。それでも「今、こうしていられるのは幸せ。一歩踏み出したことで、いろんな世界が見えてきました」と言い、自立への道筋を見据えている。
「不登校のまま引きこもっている人はまだたくさんいるでしょう? 夜中にはそういう人にこそ来てほしい。ここには、私のほかにも引きこもっていた人がいて、私が『30代で高校に通っている』と言ったら、『自分も行きたいな』って。彼もやっぱり形式卒業した人で、社会に出ていじめられちゃったりした。中学校を味わったことがないから、『公立の夜間中学ができたら行ってみたい』って。通うことができたらさらに、彼にも将来の夢が出てくるかもしれない。頑張れ!って思います」
益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。
英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号。