世界を変えます──。そんな言葉を気負わずに語る30代経営者たちがいる。彼らが取り組むのが、福祉分野のものづくりだ。競技用義足、チェアスキー、電動車いす。最新の技術やデザインを用いることで、使いやすく、「カッコいい機器」を開発している。ハンディキャップのある人が喜んで使いたくなる機器が広まれば、きっと世界は変わる。そう信じて、ものづくりに取り組む経営者たちの姿を追った。(ノンフィクションライター・三宅玲子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
(文中敬称略)
カッコいいもので「障がい」のイメージを覆す
白銀の雪を散らして滑走するボディがしなる。選手とボディの一体化による俊敏な動き、最高時速が120キロにも達する疾走感。
2018年平昌パラリンピックでも行われる「アルペンスキー」のチェアスキーだ。
チェアスキーは下肢障がい者のために考案されたアルペンスキーの一種で、スキー板に椅子のようなシートを取りつけて座位で滑る。
このチェアスキー日本代表の機器を開発しているのが埼玉県寄居町の「RDS」だ。田園風景の中に立つRDSのスタジオ(研究施設)の敷地には、通勤用に使う国内外の高性能エンジンの車がずらりと並ぶ。
RDS代表取締役専務の杉原行里(すぎはら・あんり、35)は語る。
「高性能でカッコいいものをつくりたい。チェアスキーで『障がい』のイメージを覆して、ボーダーを超えることを目指しています」
そんな思いのもと、集まった社員30人の平均年齢は31歳。難関大学理工学部の出身者もいる。 スタッフは「事業のスピードが速くておもしろい」ことが、RDSを選んだ理由だと話す。
快適性の高い福祉器具を低コストで
自動車の研究開発やレーシング分野を中心に手がけるRDSは、大手自動車メーカーのデザイナーだった杉原の父が1984年に創業した。アルミやチタンなどを造形できる金属3Dプリンターをはじめ、高性能で高価な機械がスタジオにそろう。
父ががんに侵され54歳で他界したのは2005年のこと。その後、2009年に杉原も事業の道に入ることになった。自身が経営に関わるようになって、杉原はRDSで新しい分野を探した。その一つが、福祉や医療と工業が交差する医工連携分野。その中からチェアスキーに取り組み始めた。
シートや車体を覆うカウル(空気抵抗を減らす風防)は選手の身体にフィットする設計で、F1や航空宇宙で多く使用される炭素繊維強化プラスチック(ドライカーボン)を使い、高強度、超軽量を実現した。
パラリンピックメダリストで、平昌パラリンピック代表選手の森井大輝(37)が、より性能に優れたチェアスキーの開発を依頼するべくRDSを訪ねてきたことが、RDSがチェアスキー開発に携わるきっかけとなった。
もっと速く滑りたいという熱意に打たれ、最新のモーションキャプチャーや3Dスキャナーを使用し、森井の身体の動き方の可動域をデジタルに測定。人間工学的見解を踏まえて解析し、身体機能を最大限に引き出す設計で開発したのが、森井が平昌パラリンピックで使用するチェアスキーだ。
ただし、RDSにとって森井のチェアスキーを開発した目的は、そのものを販売することではない。
高性能なチェアスキーの開発によって得たノウハウを、一般ユーザー向けの製品に生かすことだと杉原は言う。
「例えば、自動掃除機の『ルンバ』は、地雷除去機のメーカーが地雷除去機の仕組みを応用してつくったものだそうです。同じ考え方で、僕らは自動車関連の技術力や開発力を応用して、もっとスピーディにユーザーにフィットする医療補助具を提供したい」
2012年には、ドライカーボン素材により310グラムの世界最軽量松葉杖を製作。翌年のグッドデザイン金賞を受賞している。
先端分野の開発のための最新設備と先端技術を使えば、身体のデータを可視化することができる。それによって、プロダクトと人間の関係は変わるのだと杉原は言う。
「例えば、靴。これまでは5ミリ刻みで売られている靴に自分の足を合わせる汎用品が中心でした。でもこれからは足の形を緻密に計測した数値に合わせて、オーダーメイドで靴をつくることができる。そんな技術を医療や福祉分野に導入すれば、ユーザーの選択肢と快適性は確実に上がります」
医療と工業の連携で、個人向けの快適性の高い福祉器具を製作し、スピーディに届けたいという。
ものづくりで起業する30代たち
ものづくりで起業する30代が現れ始めている。彼らの目が向けられているのは、テクノロジー、デザイン、そして福祉分野だ。
共通して「福祉用具をつくっているつもりはない」と言う彼らは、福祉や障がいという言葉の裏側にかくれる、健常者の側の固定観念を取り払うことをめざしている。
女性が左手で軽く操作すると、電動車いすはクルクルッと円を描き、スーッとスムーズに前進していった。
「車いすへの社会の先入観を取っ払う力があるんです」
電動車いす「WHILL」で会議室に現れた木戸奏江(24)は言った。
横浜市鶴見区の横浜サイエンスフロンティア地区。木戸は電動車いす製造ベンチャー・WHILLの社員であり、同社が開発するWHILLのユーザーだ。木戸は、筋ジストロフィーのため20歳で歩行困難となり市販の電動車いすを使い始めた。
「その途端、『車いすに乗っているかわいそうな人』と周囲の目が変わりました。これには戸惑いました」
だが、WHILLに乗ってみると、まったく逆の反応となった。駅で見知らぬ人から「カッコいいですね」「どこで買えるんですか?」と話し掛けられるようになった。
行動の自由も広がった。全方位に回転できるタイヤは5〜7.5センチまで段差を乗り越えられる。
「以前は外出する際に必ず目的地の駅周辺の段差を事前にネットで調べていましたが、今は不安なく出掛けられます」
木戸は大学3年の時にネットで電動車いすのWHILLを見つけ心を奪われ、メールでインターンシップを志願。奈良県から単身上京した。卒業と同時に正社員となり、現在、マーケティング業務に携わっている。
WHILLを創業したのは、元日産のデザイナー、ソニー、オリンパス出身の技術者の3人だ。日産出身でCEOの杉江理(すぎえ・さとし、35)は言う。
「僕らは車いすのネガティブなイメージを取り払って、誰もが乗りたくなる移動手段になることを目指しています」
学生時代から知り合いだった杉江ら3人は、就職後の2010年、ほかの友人たちと「ものづくりで世界を明るく」をテーマに集まるようになる。途上国の車いす開発支援を具体的に検討するなど、社会課題を技術で解決するような議論を行っていた。
ある時、車いすの男性から「100メートル先のコンビニに行くのを諦める」と聞いた。段差などの物理的なバリアと、差別的な視線という社会的なバリア。それらが車いすユーザーの外出を難しくしていると知り、彼らは2011年、クラウドファンディングも活用して600万円を捻出し、「カッコいい車いす」をつくってプロトタイプを東京モーターショーに出品した。
直に触れるものをつくることを大事にしたい
そこでプロジェクトは終わるはずだった。ところが、 車いすメーカーの社長から「製品化するつもりがないなら今すぐやめろ」と叱責された。
「その言葉で3人とも本気になりました」
2012年、持ち寄った1000万円を元に3人で、WHILLを起業した。コンセプトは「パーソナルモビリティ」だ。
翌年、まだ製品化も資金調達も実現していない時点で本社をアメリカ・シリコンバレーに移した。日本の電動車いす市場は年間約2万台だが、アメリカは約55万台。国内市場だけでは投資を集められないと判断した。杉江が言う。
「海外市場を取りにいかないと事業は成立しないと思いました。アメリカで売りますというのにアメリカにオフィスがないのでは投資家に信用してもらえない。だから本社をアメリカに移したんです」
米国本社に常駐を始めた時、杉江はまだ英語が話せなかった。量産前の売り上げ見込みが立たない中、2年間オフィスに寝泊まりしてしのいだ。
だが、2014年7月、約100万円という価格で最初のモデルを発売すると、50台が予約段階で完売。初めて「これでやっていけるかも」と自信を持てた。
2015年、台湾の工場で最初のモデルの量産を開始した。現地パートナーを探すにあたってはミーティングの度に相手の社長と酒を飲み、距離を縮めた。この工場での通常の契約は数万台からだが、交渉時の発注数はわずか500台。それでも社長が話に乗ったのは、今後成長が見込まれるヘルスケア市場への期待と、自身に車いすユーザーの娘がいたことが大きかった。
国内外のベンチャーキャピタルから30億円超の資金を調達した。社員はその後の3年余りで日米合わせて約60人になった。
2018年2月には羽田空港で、健常者も含めた空港利用者の空港内の移動手段としてWHILLを使った実証実験が行われた。この事業を杉江は「インフラモビリティ」と表現した。
「羽田空港をはじめ、歩道でみんなが使える移動体になれば、もっと社会は便利で快適になります」
ものづくりはITなどのソフトウェアに比べて収益が少なく、リスクは高い。だが、ものづくりが自分たちの原点だと杉江は言う。
「直に触れるものをつくることを僕らは大事にしたい。 インフラモビリティの分野では、今後さまざまなサービスに関わっていくことになると思いますが、何らかの形でものづくりは続けていくつもりです」
ハンディキャップの概念を変える力
東京湾臨海地区の屋内ランニングスタジアム。
「2020年の東京パラリンピックで、僕らは世界最速の記録を出しますよ」
ロボット義足開発ベンチャー、サイボーグの創業者である遠藤謙(39)はそう宣言した。同社は、競技用義足を開発している。
ロボット工学者の遠藤は、2005年から7年間、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボでロボット開発技術を研究。帰国後、ソニーコンピュータサイエンス研究所に籍を置きながら2014年にサイボーグを起業した。
元陸上選手の為末大とともに、下肢の一部を失った陸上選手のための義足「板バネ」の開発に従事。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、トヨタ自動車所属でサイボーグの板バネを使っている佐藤圭太(26)が400メートルリレーで銅メダルを獲得した。
「世界最速ってワクワクするでしょう? この夢に共鳴した企業がスポンサーとして支援してくれています」
カーボン素材を圧縮してつくる板バネの成形技術は東レが全面協力。これまで運営や開発費用として集めた資金は、東レなどの支援企業の協賛金に加え、経産省や東京都などの助成金だ。
開発のきっかけは、高校の後輩が骨肉腫により脚を切断したことだった。慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程で二足歩行のロボット開発を研究していた遠藤は、後輩のために義足をつくりたいと考え始めた。2004年秋、学会で来日したMITの教授、ヒュー・ハー(53)と知り合う。
ハーは、ロボット義足の世界的な研究者だ。「登山の天才」と呼ばれていた17歳の時に遭難事故で膝から下を両脚とも切断。それがきっかけで、ハーはロボット工学分野に進んだ。ハーに会った翌年、遠藤はMITメディアラボに留学する。
ハーのもとで学んだ7年間がサイボーグの原点と、遠藤は言う。
「ヒュー・ハーのもとに集まる研究者たちの自然な接し方には、脚がないことの壁がなかった。その感覚がすごく未来的でした。以前はどこかに障がい者を助けるという意識がありましたが、そうではなく、義足をつくることがワクワクする、ものすごくおもしろいことだとはっきり言えるようになった」
現在は2020東京パラリンピックに向けての対策も怠らない。
為末が競技用義足を装着した選手の練習を観察し、速く走れるために必要な動きをコーチング。遠藤はその助言を実現するために板バネを改良していく。
「その結果、スピードが伸びるという得難い経験を選手と共有できる。スポーツというエンターテインメントを実感します」
義足ランナーの人数は限られるため、2016年の販売数は20本に満たない(1本50万〜60万円ほど)。しかし、遠藤は売り上げを伸ばす方向での経営を考えていないという。
「僕の強みは量産や商業化ではなく、最先端の技術の開発です。それが世界最速の義足です。実現すれば脚がないというハンディキャップの概念を変える力がある」
福祉に取り組むこと、ものづくりをすること。どちらもリスクがあり、ためらいを覚えても不思議ではない。だが、だからこそ、挑戦するおもしろさを見いだしている30代がいる。
新しいものづくりが始まっている。
三宅玲子(みやけ・れいこ)
1967年、熊本県生まれ。ノンフィクションライター。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年、中国・北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「Billion Beats」運営。
[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝