2017年10月の衆議院選挙で当選した女性は47人。当選者の10.1%と、政治分野における「女性活躍」の実現にはほど遠い。報道機関の政治記者も長らく「男の仕事」だったが、近年、大手メディアで女性の政治部長が誕生している。政治という男社会で生き抜いてきた辛苦、リーダーになって思うこと、政治報道の現状――。旧知の仲だという毎日新聞、日本テレビ、フジテレビの3社の女性政治部長に座談会で語ってもらった。(ジャーナリスト・秋山千佳/Yahoo!ニュース 特集編集部)
政治部長就任は「青天のへきれき」
日本テレビ・小栗泉 私は1988年入社で、政治部に配属されたのは1992年ですね。1996年からはキャスターとしての仕事の傍ら、選挙報道を担当する選挙本部を兼務していたこともあります。私がお二人と一番違うのは、いったん会社を辞めた経験があることです。2007年に退社して、フルブライト交流事業(日米教育委員会による国際交換プログラム)でジョンズ・ホプキンス大学院ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院の研究員としてアメリカ・ワシントンで1年間過ごしました。帰国後、会社の「再雇用制度」第1号として、2009年に復職したんです。その後、政治部に籍を置きながら番組でニュース解説をしていた今年、急に「政治部長をやってほしい」と。自分のキャリアプランの中でまったく思い描いていなかったし、青天のへきれきでした。
毎日新聞・佐藤千矢子 私は男女雇用機会均等法が施行された翌年の1987年の入社です。長野支局に3年いて、東京本社に異動する時は社会部志望だったんですが、すでに複数の女性記者がいて「これ以上、女はいらない」と。それで行き場がないぞと思っていたら、政治部から「女性も面白いからとってやろうか」と引っ張られた。それがまさに私の青天のへきれき。当時の政治部長は、自民党の派閥の中枢に食い込んで下手をすると政治家と癒着しているような、そういう従来の政治記者のあり方をぶち壊したいと考えている人でした。1990年に思いがけず政治記者人生が始まってしまった。
もうひとつの青天のへきれきは、やっぱりこうして政治部長になったこと。毎日新聞は今年4月に女性で部長になったのが私(政治部長)だけじゃなく、社会部長、科学環境部長、生活報道部長と東京で4人、大阪の地方部長も入れて5人います。
──会社はどういう意図だったのでしょうね。
佐藤 新聞業界は曲がり角に来ているので抜本的な改革をやらないといけないし、今までの発想を変えてほしい、という期待なのだろうと解釈しています。全国紙で女性の政治部長は初めてだそうです。
──テレビだと、フジテレビの渡邉さんが初の女性政治部長でしょうか?
フジテレビ・渡邉奈都子 そうですね、たまたま。とはいえ、私にとってお二人は大先輩で、付き合いも長いです。私は1991年に入社して、政治記者になったのは1993年7月です。政治部は特に希望しておらず、しかも「自民党の記者クラブに行け」と言われて、よくわからない世界にびっくりしていたんです。そうしたら、自民党の記者クラブに、テレビ局でただ一人女性の先輩として(小栗)泉さんがいらっしゃって、それはもう温かく迎えてくださった。(佐藤)千矢子さんは女性政治記者の先駆者。泣く子も黙る(自民党の最大派閥だった)経世会の担当でバリバリやっていらした名物記者でした。
小栗 なっちゃん(渡邉さん)はものすごい馬力で、ヤマタク(山崎拓・元自民党副総裁)さんのところにものすごく食い込んでいて。
渡邉 一緒に取材しましたね。直近では2013年からドイツのベルリン支局長として、国際政治というよりテロの取材が多い2年間を送りました。で、4年任期のつもりだったので、折り返し地点だと思っていた時に「政治部長をやってくれる?」という連絡があり……、わけがわからず「はぁ?」と。戸惑いながらも、2015年8月に政治部長になりました。そのとき私の同期の女性も外信部(現・国際取材部)の部長になったんです。そちらも社内初で、今後の女性活用を考えて、とか何らかの意図があったのかもしれませんね。
「女はいいよね」という声も
政治記者の仕事は政治家とともにある。新聞・テレビ各社の政治部は、閣僚や政党など有力政治家を担当する「番記者」を配置。取材は公式の記者会見にとどまらず、「ぶら下がり取材(取材対象者を囲んで行う取材)」や「記者懇談会(取材対象者が記者を集めて行うオフレコを基本とした会合・懇談)」、他社に先んじて情報を得ようと深夜や早朝に取材対象者の自宅を訪れる「夜回り・朝回り」などをこなす。選挙になれば、休みも吹き飛ぶ。定期的な休みや生活リズムが取りづらく、体力も要求されるため、男性向きの仕事と見られてきた面がある。
──皆さんの駆け出しの頃には、女性の政治記者は少なかったですか。
佐藤 1990年に海部(俊樹)内閣の官邸クラブに100人弱の記者がいて、女性は11人。1割くらいですね。
今でも忘れないのが、海部さんが東南アジアを歴訪した時のことです。女性記者が5、6人同行したんですよ。そうしたら首相秘書官が「お前らメディアは総理大臣をバカにしているだろう!」と怒ったんです。つまり、大事な総理の外国訪問の同行に女性記者をつけるのはけしからん、と。
一同 えー!
佐藤 そういう時代だったんですよね。もう一つ、私がある議員の懇談に出た時、同業他社の男性記者に「佐藤さんは女性だから声のトーンが高い。懇談の空気が乱れる」と言われました。「私、しゃべっちゃいけませんか」とショックで。ちょっと前までそういう時代があったということですね。
小栗 ちょっとした独自ネタを出すと、口の悪い男性の番記者仲間から、「女はいいよね」と言われましたね。「女は顔も名前もすぐ覚えてもらえて、ネタももらえていいよね」と。
渡邉 それは100万回くらい言われました。確かにすぐに覚えてもらえるのは得だと思います。けれど記者というより「女の子」という目でしか見てくれない人だっている。結局、男性並みに記者として認められ、しかも独自のネタを取るには、正直言って、男性以上に勉強して、夜回りや朝回りも絶対に負けないようにやらなきゃいけないと思っていました。「女はいいよね」と言われるたびに。
──最近だと、女性記者の割合はどのくらいなのでしょうか。
渡邉 今、フジの政治部では記者が男女半々です。女性のほうが多かった時もあります。だからもう男性記者がどれだけ女性を理解してやるかというような問題じゃなく、当たり前のように力を合わせていますね。
小栗 日テレの政治部はこの機会に数えてみたら、女性が3分の1でした。
佐藤 毎日の政治部では数えたら12%でした。新聞社のほうが遅れていますね。そもそも今、政治部を希望する記者も少ないです。追い立てられる部署はかなわん、と。ただ、うちの今年(2017年)4月入社の新入社員は、女性が半数を超えました。今まさに会社が働き方改革を進めているので、女性記者も働きやすくなりますし、政治部でも女性が増える方向にいくでしょうね。
「セクハラ……昔はありましたよね?」
──目下、日本でも世界でも職場などでのセクハラに対して声があがるようになっています。男性議員から女性記者へのセクハラはありましたか。
小栗 昔は……(と2人を見つつ)、ありましたよね?
佐藤、渡邉 (沈黙ののち、笑い)
佐藤 もう亡くなった大物議員ですが、おっぱいを触るのが大好きな人がいました。彼は小料理屋に行くと、仲居さんの着物に手をつっこんで触っているような人だったんです。ある時、私がたまたま隣に座ったら、ふざけて「佐藤さんのおっぱいも触っていいかな」と手が伸びてきた。そこで「ちょっとでも触ったら書きますよ」と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました。ペンの力ってすごいなというのと、毅然とした態度を取ることも大事なんだとつくづく思った記憶があります。
渡邉 過去の経験を振り返ると、議員の中には誤解されないよう注意している人もいましたが、やはり逆に、異様に近づいてきたりなど、残念な人もいました。そういう人のところには二度と行かなかったです。
小栗 私にもセクハラまがいのことはありました。でも、それで政治記者が嫌だとは思いませんでしたね。人間関係が凝縮されているのが政治の世界なんです。嫉妬や権力欲もすごいので、(当時)30代半ばの私の目の前で泣く男性もいました。そういう濃い人間関係を見るのが刺激的だったし、面白く思えたんですね。
日本の政治分野で「女性活躍」は進んでいない。世界経済フォーラムが2017年11月に発表した報告書によれば、政治参加、経済、教育などの男女格差で日本は144カ国中114位。過去最低だった前年(111位)からさらに後退。政治分野が足を引っ張っている(国会議員の男女比は129位)。こうした著しい偏りを前に、女性などに議席や候補者の一定比率を割り当てる「クオータ制」の議論も出ている。
──クオータ制の議論については、どう思いますか。
佐藤 安倍(晋三)政権も、2020年までに指導的立場の女性を30%に、と言っていたのをいつの間にか諦めたようになっていますが、私はクオータ制に大賛成です。今年の衆院選でも当選した女性議員が10.1%という惨憺(さんたん)たる結果ですから。まずは強制力を働かせて、永田町(国会)へ進出する機会を与え、数を増やす。最近でも女性議員の任期中の妊娠・出産が批判されるくらい認識が遅れています。でも女性の数が増えれば、議会に託児所や授乳室を作るといった環境整備を進めざるを得ない。毎日新聞の社内でも議論は分かれていましたが、少なくとも候補者については数値目標を掲げるべきだと、私個人は思っています。
渡邉 一方で、国際議員連盟による世界平均でも女性の国会議員比率は23.3%でしたよね。先に数値目標を設定し、数ありきで女性議員を増やすと、質的にさまざまな女性議員が誕生してしまう恐れもあるのではないかとも思うんですよね……。
小栗 私、実は、クオータ制のようなものがすごく嫌だったんですよ。女性の数をそろえたところで、かえって「女性ってダメじゃないか」という批判を招くかもしれない。女性政治部長と言われるようなことも、女性だからと意識して何かをやっているわけではないと抵抗がありました。だけど、自分が政治部長になった時に、後輩たちが「女性でも政治部長になる道があることがわかってうれしかったです」と、ものすごく喜んでくれたんです。
佐藤、渡邉 私も……。
──結果として、女性の後輩記者たちに希望を与える存在になったということですね。
小栗 私なんて途中で会社を辞めていて、「なんちゃって政治部長」。だけど、後輩が喜ぶのだったら、道をふさがないためにもがんばらなきゃいけない。クオータ制のようにとりあえず女性がやってみて、道をつくるなかで何かできていくこともあるのかなと。自分がこうなってみて考えを改めている感じです。
「昔は記者会見で質問する記者はバカ」
日本の政治報道をどう見ているのか。2017年は森友学園問題、加計学園問題などで、国会でも記者会見でも、かみ合わない質疑応答が繰り返された。他方、世界報道自由度ランキングで180カ国中、日本は61位(2015年度)から72位(2016年度)へと順位を下げ、国連「表現の自由の促進」に関わるカリフォルニア大学アーバイン校のデービッド・ケイ教授が「日本のメディアは圧力に弱い」と指摘した。日本の報道への信頼性の低下が懸念されている。
──日本の報道について世界から批判があります。政治報道を束ねる立場として、どのような感想をお持ちですか。
佐藤 非常に情けない状態にあると思います。安倍政権では、安全保障や憲法改正など、議論の分かれる、いわば「タブー」と呼ばれていたことに取り組むことが多い。すると、政権の政策に近いメディアとそうではないメディア、たとえば産経と朝日などでは対立が起き、メディアが共通の土壌で政権と対峙するようなことが成り立たなくなっている。懇談への参加一つとっても、政権に都合の悪いことを言ったら、官邸にチクられるんじゃないかと意識しながら出るような状況です。あえて言うなら「萎縮」のような状況が起きてくるわけです。
小栗 メディアの分断は進んでいるような気もしますし、危機感はものすごくあります。政権に対する距離感は正直難しいとは感じています。ただ、うちの報道局の方針としては、雰囲気でものを言うのはやめようと言ってきました。私たちには「政治的に公平であること」を定めた放送法もベースにあるのですが、政権批判をするときはファクトを集めてからしようと。森友・加計問題ではすごくそこを意識していましたね。
渡邉 同じ問題を扱っていても各社の紙面が全然違う状況ですからね。ただ、テレビと新聞で同じグループであっても歩調を合わせるようなことはしていないんです。また、当たり前のことですが、取材でわかった内容によって報道をするので、最初から批判のための批判はやめようと言っています。
──今年は政治報道に対する批判、つまり記者会見で臆せず質問をできていないのではないかという批判も少なからずありました。こう言われる背景には、政治記者は会見以外の場でも取材をし、質問を投げているという慣習があるからなのかもしれません。そういう部分は一般の人には見えないものです。
佐藤 私が政治記者を始めた1990年代初めに先輩に言われたのは、記者会見という表の場で質問する記者はバカだと。自分の問題意識をさらけ出して、他社の記者に教えてやる必要はない、大事なことは一対一でやれ、と。そういう時代がすごく長かった。
小栗、渡邉 (うなずく)
佐藤 会見という表の場で、相手を一筋の逃げ道もないぐらいに追い詰めて、全部聞くかというと、それもまた違うと思います。それをやってしまうと、人間関係が完全に壊れてしまうし、その後、政治の一次情報を中枢から取ってこられなくなってしまう。だから、99%追い詰めても、1%逃げ道を残しておくという聞き方をせざるを得ない。
小栗 何のために取材をし、何のために質問をしているのか。その根本を忘れないでいれば、取材対象者との緊張関係も信頼関係もあるべき点が見えてくると思うんです。
渡邉 ご質問のように、もしも「政治部記者は甘い」などと思われるとしたら本当につらいし、残念だし、悔しい。記者会見でも堂々と勝負はしたいんです。私たちテレビだから、意味のある釈明を引き出して放送につなげたい。でも、千矢子さんが言ったように、人間関係が壊れるくらいやったら、背景の取材までできなくなってしまう。どうしても矛盾とジレンマを抱えてしまうのが政治報道だし、だからこそ現場の若手は苦労しているだろうなと思います。
「女はわかってねえな」を逆手に取る
──会社における自分の役割をどう考えていますか。
渡邉 女性部長だから何かができるかとは思っていません。ただ、テレビ局もまだ男社会なんですね。女性ならではの悩みは同じ女性だから話しやすいと思うので、受け止めてあげたいなと感じています。女性で政治部長になったことを喜んでくれた人はフジにもたくさんいました。そういう言葉をくれた人たちの期待は裏切っちゃいけないと肝に銘じていますね。
小栗 いかに部員たちが働きやすくするかという、今まで自分がしてきた仕事とは種類の違うことをやらなきゃいけない。なので、まずは皆の人生をうまくもり立てて、その先自分が何をするかはその場で考えていけばいいやと。私は会社を一度辞めている人間なので、何かあればどうぞ私をクビにしてください、という感覚はどこかにあります。部員には「好きにやりなさい、そのかわり皆の足がすくわれないようにチェックだけはしていくからね」という感じでやっています。
佐藤 私も出世志向がまったくないので、いつクビを切られてもいいし、空気を読まない、忖度しない。それが一種の武器ですね。政治家との間でも社内でも、いろんなしがらみがありますが、それに気づかないふりをして改革したい。「女はわかってねえな」と思っている人たちがまだまだ多いであろうことを逆手に取り、しがらみを断ち切って、やるべきことをやりたいなというのが目標です。
秋山千佳(あきやま・ちか)
1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当。2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』『戸籍のない日本人』。公式サイト