高橋宗正

「茶化す大人になりたくなかった」――若者が米津玄師を支持する理由

2017/10/30(月) 10:06 配信

米津玄師は、いま10代20代から熱い支持を受けているミュージシャンだ。2009年にボーカロイドを使った楽曲をニコニコ動画に投稿し始め、2012年から自身の声で歌った楽曲を発表するようになり、翌年メジャーデビューを果たす。インターネットから登場しながらそこにとどまらない。常に「美しいものを作ろうとしてきた」という彼の音楽はなぜ若者の心を引きつけるのか。(音楽ジャーナリスト・柴那典/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(撮影:高橋宗正)

異例の先行試聴会

ホールに集まった1500人が、固唾をのんで耳を澄ませていた。

広いステージには誰もいない。スピーカーから音楽が流れ、スクリーンに歌詞が表示される。曲によってはミュージックビデオが上映される。全員がそれに見入っている。夢中になっている。

(撮影:高橋宗正)

10月10日、東京・有楽町の東京国際フォーラムでシンガー・ソングライター、米津玄師のニューアルバム「BOOTLEG」の先行試聴会が行われた。本人が登場するわけではないイベントを大きなホールを借りて開催すること自体、非常に異例だが、告知から数日で1万件を超える応募が集まった。

企画した所属レーベル、ソニー・ミュージックエンタテインメントの村松俊亮取締役は「(音源を聴いて)天才が覚醒する瞬間に立ち会えたと確信しました」と語る。

先行試聴会の会場(写真提供:REISSUE RECORDS)

終演後のロビーで感想を聞くと、22歳の女子大学生2人組は「鳥肌が立った」「涙が出ました」と興奮した顔で口々に告げてくれた。「ニコニコ動画で活動してた頃に知ってハマって、そこからずっと好きです」という16歳の男子高校生。「進化し続けるところに憧れます」という20歳の男子大学生。「受験生なので、アルバムを聴いて勉強に励みたいと思います」という15歳の男子中学生。10代や20代の心に、彼の言葉やメロディーが突き刺さり、心を揺さぶっているさまが、そこにはあった。

試聴会のあと感想を語ってくれた高校1年生(撮影:高橋宗正)

同じく大学生の2人組(撮影:高橋宗正)

アルバムには、いくつかのアニメや映画の主題歌やタイアップソングが収録されている。そういった依頼をもとに楽曲を制作することは、逆に自分自身とより深く向き合うきっかけになったと米津玄師は言う。

「(オファーをもとに曲を作る時に)いちばん大事にしている“芯”の部分は、他者と自分との共通点を探るということなんです。たとえば『僕のヒーローアカデミア』の主題歌になった『ピースサイン』は、好きなアニメの『デジモンアドベンチャー』を見ていた小学生の頃を思い出しながら作った。徳島県の田舎に住んでいた18歳までの自分を振り返ることは多かったと思います」

(撮影:鈴木愛子)

米津は2009年、18歳で「ハチ」という名義でニコニコ動画に楽曲の投稿を始め、2012年から本名の「米津玄師」として音楽活動を始めた。初音ミクなどボーカロイドを用いて楽曲を作る「ボカロP」としてキャリアをスタートした彼の表現は、今では多彩に広がっている。

曲を作り、自分自身の声で歌う。アルバムジャケットなどのイラストレーションも自ら描く。ミュージックビデオではアニメーション動画も手がけ、さらにはコンテンポラリーダンスにも挑戦している。

先行試聴会で上映された「LOSER」のミュージックビデオ(撮影:高橋宗正)

世界を舞台に活動する振付師・ダンサーの辻本知彦も、彼の才能に魅了されているひとりだ。シングル曲「LOSER」のミュージックビデオをきっかけに出会い、ダンスどころか運動すらほとんどやっていなかったという米津にレッスンを施した。

「まれにみるセンスの良さですね。私は日本国内また世界中の素晴らしいダンサーを見てきたけれども、彼は飛び抜けたセンスと独自の世界観を持っている。普通にダンスが上手いというのとは違うんですよ。才能がある。彼の中には尊いほどの美しさがあって、そして強靭な集中力もある。踊りを感覚で捉えられる」

結果、米津は撮影までのわずか2週間で洗練された美しい身のこなしを習得した。その後も辻本による定期的なレッスンが続いている。

音楽家でありながら、絵や踊りの領域でも非凡な才能を発揮している。

米津玄師とはいったい何者なのか。

7月に東京・東京国際フォーラムで開催された「米津玄師 2017 LIVE / RESCUE」の様子(撮影:中野敬久)

バンドを結成した中学時代

1991年、徳島県生まれ。物心がついた頃から「自分はまともな人間じゃない」という違和感を抱きながら少年時代を過ごしていたという。

「過去を振り返ってみると、自分がこういう身体で、こういう名前で生まれてきたから、今の自分の精神があるんだと思うところはあります。生まれた瞬間から4500グラムくらいあったし、米津玄師という名前の影響もありますね。本名なんですけど、昔からすごく仰々しくて変な名前だと思ったし、周りからいじられることもあった」

(撮影:高橋宗正)

幼稚園の時、唇に大きなけがをした時のことも記憶に強く残っているという。応急処置を終えて病院から戻ってきた時に感じた周囲からの怪訝(けげん)な視線が、彼の自意識に大きな影響を与えた。

「もし世の中に“まとも”というものがあるとするならば、その瞬間に自分はそこから少しだけ逸(そ)れてしまったんじゃないかと感じたんです。周りの人間とは違うものになってしまったと思った。そこからずっと『自分はまともではなくなってしまった』と思いながら過ごしてきた」

先行試聴会で披露された「灰色と青」のミュージックビデオ。楽曲には俳優の菅田将暉が参加している(撮影:高橋宗正)

米津の作品やライブに参加しているギタリスト、中島宏は小学校時代からの幼馴染みだ。出会ったのは小学4年生のとき。最初に印象に残ったのは、小学校の体育館に展示されていた米津の絵だったという。プラ板で作られたキーホルダーに、ゲームのキャラクターが描かれていた。

「すごく上手かったです。小学生レベルというより、普通に漫画雑誌に載っているようなレベルでした」

子どもの頃の米津は独りで絵を描いていることが多かった。将来の夢は漫画家だった。『ドラえもん』や『NARUTO』に夢中になった。

アルバム「BOOTLEG」のイラストも米津自ら描いた(撮影:高橋宗正)

「幼稚園児の頃から、砂の上に指で絵を描いていた記憶があります。周りの人間に『上手いね』と言われてうれしかったのも覚えている。それは母親の影響かもしれないですね。母親も絵を描いていて、美術の教員免許も持ってる人間なので」

音楽との出会いは小学校高学年の頃。2000年代初頭にインターネット上で流行していたFLASHアニメがきっかけだった。そこで使われていた音楽からBUMP OF CHICKENを知り、ASIAN KUNG-FU GENERATION、スピッツなどに惹かれていった。中学に入学するとギターを手にし、友人を誘ってバンドを結成した。

音楽誌の取材でロケ撮影に臨む。集中し、イメージをふくらませる(撮影:鈴木愛子)

「バンドを組むのも、自分にとっては絵を描くことの延長線上にある感じでした。ライブをやりたいというよりも、曲を作りたかった。紙に絵を描くのと同じように、美しいメロディーと歌詞を作って、それをひとつの形として作り上げることがいちばんやりたかったことでした」

そのバンドには中島もいた。彼は思春期の思い出をこう振り返る。

「初めてヨネの曲を聴いたのは中学2年の頃でした。作った曲があるからそれをみんなで文化祭でやろう、と。歌詞と曲があって、それをもとに『ここはこんなふうに弾いてみようかな』とみんなで相談してできあがった。楽しくてしょうがなかったですね。でも、高校に入ったらメンバーはみんなバラバラになって。友達としての関係は続いていたけれど、バンドとしては徐々にフェードアウトしていった。ただ、ヨネ自身のやりたいことは明確にあった。焦りみたいなものが垣間見えたこともありましたね」

(撮影:鈴木愛子)

周囲の友人たちが遊びの延長としてバンドを捉えていた一方で、米津はすでにミュージシャンとしての成功を夢に見始めていた。中島が見た当時の“焦り”について米津自身はこう説明する。

「思春期特有のうぬぼれみたいなものもありました。自分はすごいものを持っている、だから自分みたいな人間が他に現れてしまう前に世に出たいと考えていたのを覚えています。あとは、死ぬことがすごく怖かった。死ぬということに対して自分なりの答えを出さなければいけないという感覚が昔からありました。いつか自分は死んでしまう。そこから逆算して、じゃあ今はどうやって生きるのか、という。そういう気持ちはずっとありますね」

(撮影:鈴木愛子)

ボカロシーンが「故郷」

高校を卒業し、大阪の美術系の専門学校に入学してからも曲を作ることは続けていた。新しい知り合いを見つけてバンドを組むこともあった。しかし、バンドは上手くいかない。そんな最中に出合ったのが初音ミクだった。

「最初は興味本位でした。当時、ボーカロイドやニコニコ動画の界隈がすごく盛り上がっていて、ここに入れば自分の音楽がもっといろんな人に受け容れられるんじゃないかという予感があった。初音ミクが歌っているという、ただそれだけの共通点だけで、それまでだったら絶対に出会わないような人間とも出会うことができた。見たことも聴いたこともないような音楽があふれていたんです」

(撮影:高橋宗正)

そうして2009年、彼は「ハチ」と名乗り初音ミクを使ったオリジナル楽曲をニコニコ動画に投稿する。4曲目に投稿した「結ンデ開イテ羅刹ト骸」が初めて100万回再生を突破。続く「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」なども数百万回再生される人気曲となる。キュートなポップソングが中心の当時のボーカロイド楽曲の中で、ざらついた荒々しさを醸し出すその曲調は明らかに異彩を放っていた。彼の名はボーカロイドのファンに一気に知れ渡った。

「『やっぱりね』と思いました。僕はヨネの作るものを本当にかっこいいと思っていたので、『それはそうなるよね』と思ってました。爆発的に人気が出た頃には、嬉しいやら寂しいやらという気持ちでした」

中島はそう振り返る。

7月に東京・東京国際フォーラムで開催された「米津玄師 2017 LIVE / RESCUE」の様子(撮影:中野敬久)

一方、米津と同じく2009年にニコニコ動画でボカロPとして投稿を始めたのが、今はロックバンド、ヒトリエのギター/ボーカルとして活動するwowakaだ。彼は、ネット越しの出会いをこう語る。

「ボカロを使った曲を発表し始めた頃は、いろんな曲をあさって聴くのが楽しかったんです。その中でも異色というか、匂いが違うのが彼の曲だった。メロディーがすぐに彼のものだとわかるし、曲を作るだけじゃなく絵も自分で描いているのも印象的だった。単純に『こいつはすごい存在感がある』って、最初から意識してました。だから『結ンデ開イテ羅刹ト骸』という曲の再生数が尋常じゃない勢いで伸びた時は『やっぱりみんなに見つかって人気になるんだ。かっこいい!でも悔しい!ムカつく!』って思ったのを覚えてます」

ニコニコ動画では今も「結ンデ開イテ羅刹ト骸」が視聴でき、再生回数は500万回を超えている

その頃、wowakaは大学生。米津玄師=ハチは専門学校生。お互いに時間だけは山ほどあった。家に帰るとパソコンを立ち上げ、深夜まで動画サイトを見るような毎日を過ごしていた。

彼らのような無名のアマチュアクリエイターがこぞってボーカロイド楽曲を発表していた2000年代後半のニコニコ動画を、米津は自分の「故郷」だと言う。

「そこは新しく生まれた遊び場で、別に将来のことも考えず、みんなでただひたすら無邪気にやってるだけの空間だった。混沌としていて、刺激的で、すごく魅力的だったんですね。そこで得たものは計り知れないし、実際に自分の音楽のキャリアはそこで始まっている。稀有な土壌だったと思います」

(撮影:高橋宗正)

自問自答しながら音楽を作る

2017年夏。彼は4年ぶりに当時の名義「ハチ」としてボーカロイド楽曲「砂の惑星」を発表した。初音ミクの誕生10周年を記念したイベント「初音ミク『マジカルミライ 2017』」のテーマソングとして作られた1曲だ。

9月1~3日に幕張メッセで開催されたライブでもこの曲は披露された。ステージには3Dホログラムの初音ミクが投影され、バンドの生演奏に乗せて楽曲を歌う。客席では無数のペンライトの光が揺れる。

ただし、その曲は決して初音ミクのアニバーサリーを祝うハッピーなものではなかった。楽曲では、ダークで不穏なメロディーに乗せて、こんなフレーズが歌われる。

 何もない砂場飛び交う雷鳴
 しょうもない音で掠れた生命
 今後千年草も生えない 砂の惑星さ

米津は、この曲を「ニコニコ動画というもの自体がどんどん砂漠になっているというイメージから作った」と言う。かつてに比べるとランキング上位に入るボーカロイド楽曲は減っている。無名のアマチュアクリエイターが切磋琢磨しながらボーカロイド楽曲を創作していたかつての状況に比べて、徐々に活気が失われてきている。そうした現状に警鐘を鳴らす思いを込めて作った。

(撮影:高橋宗正)

「『マジカルミライ』のテーマソングの話を受けて、最初はいろいろ悩んだんです。果たして自分がそこでやるべきことは何なのかということをすごく考えた。それこそ、『10周年おめでとう』というハッピーな曲も作ってみたんです。他にもいろんなアプローチも試した。でも、最終的に自分の中でしっくりくるのはあれしかなかった。そもそも自分がボーカロイドでやってきたことって、そんなにハッピーな音楽じゃなかったんです。『マトリョシカ』や『パンダヒーロー』にしても、いろんなものへの怒りを放出した曲だった。だからこそ、今自分がやるべきことっていうのは、こういう方向性でなければならないと思ったんですよね」

「昔から、いつも自分がどういう人間なのかを自問自答しながら音楽を作ってきた」と米津は言う。

(撮影:高橋宗正)

独り家で絵を描いていた子どもの頃。田舎の友達とバンドを組んだ中学生の頃。初音ミクに出合いインターネットで音楽活動を始めた18歳の頃。常に「美しいものを作ろうとしてきた」という過去の記憶が、今の彼を支えている。

「10代の頃、周囲の大人に昔の自分のことを『本当にクソだった』みたいに言う人がいたんですよね。そういうのを見て、本当に嫌だと思ったんです。間接的に自分のことをバカにされてるような気になった。俺はいつも自分なりに、ものすごく真剣に音楽を作っていた。その時の自分が思ういちばんの美しさを表現してるつもりでいた。今思い返してみると、考えが足りなかった部分もあるし、未熟だった部分もたくさんある。それでもずっと必死だった。そういう必死さを『あれは黒歴史だった』と否定したり茶化したりするような大人にだけは絶対なりたくないと思った。その気持ちは今もずっと残っていますね」

(撮影:高橋宗正)

(文中敬称略)

米津玄師(よねづ・けんし)
1991年、徳島県出身。2009年から“ハチ”名義でニコニコ動画へボーカロイド曲を投稿し始める。2012年、本名の“米津玄師”名義で活動を開始。2013年、シングル「サンタマリア」でメジャーデビュー。2015年、3rdアルバム「Bremen」でオリコンチャート1位を記録。その後も数々の楽曲を発表し、2017年には、テレビアニメ「3月のライオン」のエンディングテーマとなったシングル「orion」、テレビアニメ「僕のヒーローアカデミア」のオープニングテーマとして書き下ろした「ピースサイン」、初音ミク10周年「マジカルミライ2017」テーマソングとしてハチ名義の「砂の惑星 feat.初音ミク」を発表したほか、アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の主題歌を作詞・作曲・プロデュースし、「打上花火」として発表。11月1日に4thアルバム「BOOTLEG」のリリースが決定。同日よりワンマンツアー「米津玄師 2017 TOUR / Fogbound」がスタートする。


柴那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者、音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ヒットの崩壊』、共著に『渋谷音楽図鑑』など。

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