「ゆとり教育との決別宣言を明確にしておきたい」(2016年5月、馳浩文部科学大臣=当時)─。そんな考え方の下、約10年ぶりとなる学習指導要領の改訂作業が進んでいる。文科省はこの2月に改訂案を公開。3月中の告示に向け、作業は大詰めだ。研究者が「大改革です」と言う今回の改訂。いったい、何がどう変わるのか。日本の教育はどこへ向かうのか。大学や文科省、学校現場などを訪れ、4人に「これからの教育は?」と尋ねた。(Yahoo!ニュース編集部)
「ゆとり」は風評被害?
「指導要領から生まれた『ゆとり世代』という呼び名は風評被害だと思いますよ」
日本教育学会理事で、法政大学キャリアデザイン学部の児美川(こみかわ)孝一郎教授(53)は開口一番、そう話した。血液型診断みたいなもの、とも言う。
「科学的な根拠はないのに、『ゆとり』という目線で見ると、そういう面が見えてくるんです。1998年当時の指導要領改訂は『社会が大きく変わるから、ゆとりのある中で判断する力を育てよう』という理念であり、それは間違っていなかった。けれども、大学入試改革が整っていなかったこともあり、塾や予備校、そしてメディアが『円周率を3で計算していいんですか?』と(極端に歪んだ)宣伝を行い、世論が脱ゆとりの方向に動いたわけです」
一世を風靡した「ゆとり教育」とは何だろうか。それを考えるために、まず、学習指導要領とその歴史を見ておこう。
指導要領、10年ぶりの「大改革」へ
学習指導要領は、幼稚園から高校までに学ぶ内容を大まかに定めており、各学校が学習課程(カリキュラム)を編成する際の基準となる。1947年の初回以来、およそ10年に1度改訂されてきた。
少年犯罪や落ちこぼれが社会問題となった1970年代、文部省(現文部科学省)は「詰め込み教育」への反省から、「ゆとり」の必要性を強調していく。77年の改訂から学習内容や履修時間が少しずつ減る。98年の改訂(2002年度に小学校で完全実施)では、ゆとりの中で「特色ある教育」を目指して「学校週5日制」や「総合的な学習の時間」を導入した。
ところが2003年、高校1年生を対象とする第2回国際学習到達度調査(PISA)の結果、日本の順位が2000年の初回より下がったとする批判が起き、風向きが変わった。2008年の改訂では、「脱ゆとり」を明確化。学習内容や時間を増やした。PISAの順位は2009年に上昇に転じている。
「ゆとり教育」から「脱ゆとり」へ。そうした流れの中で、児美川教授は今回の改訂を「かなりの大改革」と言い、こう分析する。
「科目を部分的に変えてきたこれまでと違い、今回は『学習指導要領とは何か』の根本を議論し直し、その結果、高校では新科目が盛りだくさんになりました。(文科省は)『知識だけを身に付ければいい』という旧来型の入試に結びついた教育を壊したいのだと思う。方向性は間違っていないでしょう」
文科省「資質能力ベースで」
新指導要領は、小学校では2020年度、中学校は翌21年度、高校では22年度から全面実施が始まる。変わるものは、何だろうか。文科省初等中等教育局教育課程課の取材相手は、大杉住子・教育課程企画室長(42)だ。
大杉室長は今回の改訂を「資質能力ベースで再整理しました」と説明する。「何を教えるか」という視点で定められていた学習指導要領を、「子どもにどんな知識、能力が身に付くか」との視点で作り直したという。
「例えば」と大杉室長は言う。
「高校の国語では、『言語能力』という観点から議論を深めました。これまでは文学作品や論説など、読む題材やジャンルをベースに議論が始まっていましたが、今回は『それらを読んだり書いたりすることで、どういう力を身に付けさせたいのか』をまず議論しました」
「国語で身に付く言語能力には、三つの側面があります。創造的・論理的思考の側面、感性・情緒の側面、他者とのコミュニケーションの側面です。それぞれの側面から『論理国語』『文学国語』『国語表現』という新科目を作りました」
このほか、小・中の社会科では「国土に関する指導の充実」がうたわれ、18歳選挙権に対応するために主権者教育も強く打ち出された。理科では自然災害に関する学習内容が増えるほか、小学校ではプログラミングを含む情報教育が加わる。また、今は小5から行われている外国語教育が「小3から」に。道徳が教科化されることも注目されている。
来年度に改訂案が公表される高校では、日本史と世界史を統合した「歴史総合」が必修科目として設置されるなど、教科再編が著しい。「探究」を付した科目名も目立つ。
「アクティブ・ラーニング」を軸に
大杉室長の説明によると、今回の改訂では、さらに大きな特徴がある。資質・能力を付けるために「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング=AL)」が重要だとし、ALを前面に打ち出した点だ。教員が一方的に知識を与えるだけの授業ではなく、「子ども自身が知識を生かして課題解決的な学習に取り組む授業」。それがALだという。
大杉室長はさらに続けた。
「象徴的なのは人工知能です。現在学校で教えていることは、人工知能が進歩した社会では役立たないかもしれません。急激な変化の中では、より主体的に情報をつかむ力を育まなければいけない。ALはそのために必要です」
今やっている探究型の授業をより高めることが小中学校で求められています。高校ではそもそも探究型の授業を実施していない学校もあるので、まずそういう授業をやってください、と。高・大接続の議論も同時に進んでいます。これまでは『入試が変わらないと高校が変わらない、高校が変わらないと…』というニワトリと卵の議論でしたが、今回は『一緒に変えよう』という流れができています。
児美川教授「いろいろな弊害が出る」
「方向性は間違っていない」と評する法政大の児美川教授は、一方で、「いろいろな弊害が出る」と予想する。
「単に知識を得るだけでなく、知識や能力を使って社会と関わり、より良い人生を目指す。そういう狙いは分かります。問題は、その資質能力は測ることができないので、その力が付いたかどうかが分からない、ということ。そして、知識の活用を目指してALを導入するのは良いにしても、改訂案の示す教育の内容、すなわち教えるべき知識は盛りだくさんのままなんです。むしろ増えています」
「『詰め込みかゆとりか、という二項対立ではない』と文科省は言いますが、現場に与えられた時間は一定です。ALで活動的な時間を増やせば、知識獲得の時間は減る。知識が身に付いていない状態でALをやると、置いていかれる子どもが増えるのでは、と懸念しています。理屈は整ったのに、学習内容の精選ができていないのです」
「現場にしわ寄せ、先生は板挟みに」
「考える力」と「知識量の獲得」。その狭間で一番苦労するのは現場の先生だ、と児美川教授は言う。
「先生たちは板挟みです。高校では大学入試が頭にあるから、教えない箇所が出ることを怖がります。だから、入試も単に知識だけではなく、考える力を問う形に変えないといけない」
「結論はこういうことです。教育の基準、大綱的なものを指導要領で示しつつ、現場の先生たちに教育を任せることができるかどうか、と。自分で考え、判断して行動するのが21世紀型の学力でしょう? 先生がそれを率先できない状態で、子どもたちにその能力が育つわけがありません」
「北欧の教育大国」も改訂
「教育大国」として知られるフィンランドも2016年、国の教育大綱の改訂期を迎えた。教科横断型の授業やプログラミングの必修化などが盛り込まれたという。昨年夏には同国の在日本大使館がホームページを使って、改訂内容をQ&A方式で紹介し、教育関係者の話題になった。
Q&Aの最後にこんな質問がある。「新カリキュラムによって、PISAによって得られた『学力世界一』の評判が落ちるのではないですか」。その回答を要約すると、こんな内容だ。
「PISAランキングの意義は取るに足りません。時々自分たちの方向性を確かめる上ではよいですが、教育上の決定を行う際、PISAは念頭に置かず、むしろ子どもや若者が将来、必要とする情報こそが大事な要素となります」
フィンランドと日本 その差の意味は
国際調査を強く意識する日本、取るに足りないと断じるフィンランド。なぜ、この違いが生じるのか。フィンランドの教育政策に詳しい都留文科大学(山梨県)の福田誠治学長(66)に聞いた。
「知識の正確さや計算のスピードよりも、それを使う力、新しい知識を生み出す力を求める——。先進国の教育は今、そういう方向に変わっています。フィンランドはその優等生。ところが日本は今、後ろ向きで、センター試験改革も記述式を少し入れるくらい。今後の10年間、教育改革が止まるんじゃないでしょうか」
日本の教育にダメ出しする人は少なくない。では、福田学長はどこが良くないと考えているのだろう。
「テストの点はいいけど、その知識を使えない、ということ。原因はテスト自体にある。『この知識はテストに出るかどうか』で学びが終わってしまうのです。先生が『出るぞ』と言って、それを生徒が学ぶ。それで、本当に出すわけですよ。そこで学びが閉じちゃう。それより上に行こう、飛び越えようとしない。これではクリエイティビティが育ちません」
福田学長「テストは子どもの自信を奪う」
テストが両国の差異を生んでいる、と福田学長は指摘する。
「フィンランドは、基本的に16歳まで学校でのテストを無くしました。テストがあることで能力が伸びなくなる、と考えたからです。日本は、点数が良くても自信や意欲が低い。テストをやると半数は平均以下ですから、やればやるほど自信を失う子どもが出るのです」
進学に対する意識も両国は大きく異なるという。
「フィンランドの普通科高校は大学入学資格を得る所です。アカデミックな勉強をやる気がない人には意味がない。一方、職業学校に行けば資格が取れる。職業学校に行ったものの、やっぱり大学に行きたくなった人は、普通科高校に行き、必要な授業だけを受ければいい。働きながら学んだり、一度働いてから学び直したりも多く、そのために専門職大学、専門職大学院まである。自分に合わない学校に行ってもしょうがない、と教師も親も、本人も思っているのです」
「これからは一生学び続ける時代です。仕事も一つとは限らない。それが分かってきたから、今回の改訂案でもALの議論をしているはずです。でも日本には、自主性に任せることを嫌う人が多いんです。『放っておいたら子どもは何もしない』と。フィンランドは勉強時間も宿題も少ない。けれど、教師の質が高く、自分がやる気になれば短期間で学べるような環境が整っています。一人一人の人生目標が違うから、成績を比べる意味もない。日本もそういう教育に変えるべきだと思っています」
郡部校の校長が語る「教育」
教育現場は新学習指導要領をどう捉えているのだろうか。四国の西南端、高知県大月町の大月小学校を訪ねた。町唯一の小学校で、8年前に町内の9校を統合してできた。全校生徒は約200人。鎌田勇人校長(57)は、30年以上に及ぶ教員生活の大半をこの町の学校で過ごしてきた。
「私たち教員にとっては、これがバイブル」。そう言って鎌田校長は、学習指導要領の「総則」と呼ばれる冊子を取り出した。指導要領を基に教科ごとに文科省が作り、各学年で教えるべき内容を細かに記してある。
「日本は教育を大きく変えようとしています。特に英語が小3まで降りてくる。いずれは1年生からになるでしょう。先生は大変ですが、自分自身、中高大の10年間勉強しても英語は使えない。外国語教育の拡充は遅すぎたくらいかもしれません」
地域での学び 改訂で促進
指導要領の改訂は、これまでも教育現場にその都度、大きな変化をもたらしてきたと鎌田校長は言う。
「一番インパクトがあったのは、(1998年改訂の)週5日制と総合の導入。特に総合の時間。僕らは歓迎しました。地域に出て学びやすくなったからです。ある時は、特産のトコロテンと野菜を作り、みんなで売って、売り上げで何をしようか、と話して。そうしたら『教えてくれたおじいちゃんにお礼をしよう』という意見が出て、シャツをプレゼントした。学びは地域の中にたくさんあります。前回の改訂ではその総合の時間が英語に取られ、残念でした」
「僕らが教員だったこの30年と比べれば、これからの30年の変化はもっと大きい。人工知能は発達し、人間の役割は種々の分野で削られる。だからこそ、激しい時代に対応できる子どもを育てないといけない。でも、ライフスタイルが変わっても、人間の根本はそんなには変わらない。学校がやることは、こつこつ頑張る人間を育てること。変えること、変えないことをしっかり分けること。そこが大事だと思います」