大学や専門学校への進学を控え、いまの時期、多くの若者が「学費や生活費をどうするか」と思い悩んでいる。いつの間にか「奨学金の返済地獄」という言葉も耳にするようになった日本。そんな中、民間企業や自治体の間で、返済支援の制度を作ったり、返済不要の給付型奨学金を設けたりする動きが広がってきた。そうした動きの前線には、かつて自身が奨学金返済に苦労した人たちもいる。2017年春。新たな制度作りの現場に迫った。(Yahoo!ニュース編集部)
「返済地獄」「貧困ビジネス」と弁護士
「奨学金問題対策全国会議」の事務所は、東京・本郷にある。ガラス張りのビルの7階。法律事務所を兼ねた一室では、奨学金返済について相談の電話が鳴る。足を運んでくる人もいる。
「ただ」と同会議事務局長の岩重佳治弁護士(58)は言う。
「ここに相談に来るのは切羽詰まってからです。『(独立行政法人)日本学生支援機構から裁判を起こされたが、どうしたらいいか』とか、『延滞金だけでも免除してもらえないものか』とか。みなさん、何とかできる範囲で返済しようと、まずは機構に相談し、らちがあかずに私たちに相談される方が多いです」
岩重弁護士は長年、多重債務者の救済に取り組んできた。奨学金問題は、サラ金問題などで一緒だった弁護士や司法書士のほか、大学や高校の教員などとも活動している。そうした中、多くの実例を取り扱い、岩重弁護士は奨学金問題を「地獄」「貧困ビジネス」などと形容するようになった。
「かつて多くの被害者を生んだ闇金やサラ金問題。グレーゾーン金利の廃止などで、問題が少し落ち着いたと思ったところに、奨学金の問題が出てきた。当人は『払えない自分が悪い』と抱え込みがちですが、この問題は構造的という点で、共通することも多いんです」
日本学生支援機構の有利子奨学金は借りる際に事前審査がない。それにもかかわらず、返済困難に陥ったとき、救済策が乏しく、取り立てが厳しいことから大きな社会問題となってきた。政府も返済不要の「給付型奨学金」の拡充に乗り出している。岩重弁護士は「大きな前進」と評価しつつ、「これから利用する人のためのものであり、対象は一部に限定されている。いま返済に困っている人や、新制度を利用できない人をどうするか。その対策は極めて不十分なんです」と指摘する。
ブライダル企業の試み
その「手つかず」の部分を何とかしたい——。実は、民間企業や自治体が今、奨学金返済の重荷を少しでも軽くするため、さまざまな制度作りに乗り出している。ブライダル企業のノバレーゼもその一つで、学生時代に借りた奨学金の返済を肩代わりする社内制度を他社に先駆けて導入した企業だ。本社は東京・銀座の目抜き通りにある。
制度作りの中心には、総務人事部マネージャーの佐藤慎平さん(31)がいた。学生時代は一人暮らしで、200万円ほど奨学金を借りたという。入社後の返済は毎月約2万円。「奨学金の返済はたいへん」という実感は自分自身にもあったし、同年代の若い社員も同じように奨学金の返済に追われていた。「何とかできないか」と考え始めたのは、社内制度の担当になった2011年秋だったという。
「そして入社4、5年目の社員30〜40人に聞いたら、およそ3割が奨学金を借りていたんですね。額は200万〜300万円が多かった。新卒で入社したばかりだと、給与もたくさんもらっているわけではないので負担が大きい、と。職種も関係ない。ウエディングプランナーやキッチンのスタッフなどどの職種も、です」
上限100万円の一時金を返済用に
ノバレーゼの支援制度は2012年に生まれた。「勤続5年と10年の正社員に返済用の一時金を支給する」という内容で、支給額は未返済の額に応じて変わる。1回の上限は100万円。経営陣は「社員の返済負担が軽くなり、対外的なイメージアップにもなる」と判断し、ゴーを出したという。
導入からちょうど5年後の今年7月、一時金が初めて支給になる。対象は全社員の7%、42人。多くは私大と専門学校の卒業生だ。
入社時に300万円近い残額を抱えていた勝連万智さん(29)は「返済期間がどのくらい繰り上げになるか、後輩とあれこれシミュレーションしています。うれしいです」と話す。入社後、この6年間で返済したのは約100万円。「そのくらいしか返せないんですね」。この6月には2番目の子どもが生まれる予定で、一時金の支給は大きい。
勝連さんは長野県出身で、一人暮らしをしながら都内の私大を卒業した。3人きょうだい全員が自宅を離れ、私大に進学。勝連さんも学費だけで年間約140万円かかった。「奨学金がなければ進学できませんでした。借りない選択肢はなかったです」
同社では、この春に入社する新人の約4割が、在学中に奨学金を借りているという。採用活動に従事する勝連さんは、採用の面談で母子家庭で育った地方出身の私大生に「奨学金の返済が1000万円ある。やりがいと、収入のどちらを優先して就職すればいいのでしょうか」と真剣に聞かれたこともある。
勝連さんは言う。
「私の返済額なんて、たいしたことないな、と思いました。昼間は働きながら専門学校の夜間部に奨学金で通う志望者も多くて……。制度の存在を知って安心する親御さんも多いです」
返済支援の制度「官民とも拡大中です」
『大学進学のための全国“給付型”奨学金データブック』を企画した産学社代表の薗部良徳さん(56)によると、給付型奨学金は大学、自治体、企業などの主要なものだけでも1700ほどある。薗部さんは「これらはあまり知られていないかもしれません」と言い、このほかに最近、ノバレーゼのような「奨学金の返還支援制度」が目立って増えてきたと説明する。
企業による支援制度の広がりは2015 年頃からだ。例えば、IT関連のクロスキャットは今年冬から、入社1年目のボーナス支給時に、奨学金返済費用として上限 100万円の一時金を支払う仕組みを導入している。
「支援策は企業のPRにも有効」
大学ジャーナリストの石渡嶺司さんによると、定期的に新卒を採用し、かつ、総合職を対象に返還支援制度を導入している企業は現在、7社を数える。2016年だけで3社増えたという。
石渡さんは「社会貢献と企業は言いますが、本音は採用コストを減らせること。1人当たり100万円、200万円でいいPRになって、そして社員をつなぎ止めることができるなら、安い買い物です」と解説する。そうしたプラス効果の高さから「支援制度は今後、多くの企業で導入される」とも予測する。
「奨学金は、学生にとって切実な問題です。制度を導入済みの企業は、飲食、流通、ITなど正直、人気が高いとは言い難い業種が多い。けれども、ある企業は制度を発表したところ、会社説明会の出席率が高くなり、当日参加の申し込みもあったほどでした」
京都府は「中小企業の人材確保も狙い」
行政側はどうだろうか。実はここでも返還支援の制度作りが急ピッチで進んでいる。その意図を尋ねるため、京都府庁に足を運んだ。
京都府は、「就労・奨学金返済一体型支援事業」の実施をこの2月8日に発表したばかりだ。この制度は中小企業支援の一環で、従業員の奨学金返済を肩代わりする。実施は新年度から。商工労働観光部労働・雇用政策課課長の和久輝幸さん(53)は、その準備に忙しい。
「中小企業の人手不足の解消と従業員の定着、それから若者の奨学金返済の負担軽減。これらの一体型です。中小企業と一緒にやっていきます」と和久課長。1億円規模を予算案に計上しているという。
制度の枠組みはシンプルだ。奨学金の返還支援制度を設けた中小企業に対して、府が補助金を出す。対象となる従業員は入社後6年以内の正社員で、年齢は問わない。支給額の上限は、府と企業あわせて1~3年目は年間で18万円、4~6年目は12万円。6年間で最大90万円になり、支給額の半分を府が補助する。
給与の低い時期に返済負担を軽くする狙いがあり、「返還総額300万円・年間20万円の返還」というモデルケースでは、30歳を過ぎた頃に支払いが終わる。
25府県が「導入済み」「検討中」
朝日新聞が2015年10月に、47都道府県に取材した結果として報じたところによると、こうした制度は香川、福井の両県が先行して作った。政府が人口減対策の一つとして同年度から後押しを始めたこともあり、この年度に富山や鳥取など4県があらたに導入。さらに13県が検討している、としていた。
Yahoo!ニュース編集部がこの2月時点で取材したところ、奨学金の返還支援制度を「導入済み」「検討中」は25府県に達している。朝日新聞の報道時点より、さらに広がっている様子が分かる。こうした制度の大多数は、国から一定の財源が得られるU・Iターン支援を行うものだ。
京都府は独自の財源でこの枠組みを整える。その狙いを和久課長はこう説明する。
「府の北部地域を中心にU・Iターン支援も行っていますが、なかなか中小企業支援につながりません。東京の若い方にとって『京都の中小企業で働く』というイメージは遠いのかな、と。だから武器が必要でした。奨学金返済の支援は、その一つになるだろう、と」
中小企業の人材難 その解決の武器に
リーマン・ショック後の低迷を抜け、最近では京都府も地域・業種を問わず、簡単に人が採用できない。和久課長も「採用に関して、業界団体からはここ1年以上、悲鳴に近い声が届いていました」と話す。「同時に、奨学金問題を調査した労働団体からは『何とかならないのか』と。その二つをくっつけて解決しようとしたのが、この制度です」
日本の奨学金制度 戦前のまま
東京大学の小林雅之・大学総合教育研究センター教授は「奨学金制度の改革が必要」と訴え続けている。文部科学省の給付型奨学金制度検討チーム委員。自身も学生時代、三つの奨学金を利用しており、それも研究の契機になったという。
「1943年に大日本育英会ができて以来、日本の公的奨学金は日本育英会、支援機構とずっと貸与型でした。70年以上も前の原型が、ほぼそのまま。(時代は変わったのだから)この特徴を変えなければいけません」
小林教授によると、奨学金はかつて、学生数の1割にも満たない「困窮するエリート層」が主な利用者だった。条件の良い働き口に就く割合も多く、返済に困ることはあまりなかった。ところが、大学進学は大衆化。奨学金の貸与条件も緩和され、学力を問わず誰でも借りることができるようになった。そこに、雇用環境の変化などに伴う大卒者の収入不安定が重なっている。
支援機構の3カ月以上の累積延滞額は2008年度で約2400億円になり、機構は回収を一層強化。「延滞を減らすための回収強化が返済困難者をさらに苦しめる」というスパイラルができてしまった、と小林教授は言う。
専門家「所得連動型など返済も多様に」
政府の方針によって支援機構は今、無利子の第一種奨学金を増やしている。しかし、それは将来のこと。既に巨額の奨学金を借りてしまった人をどうするか。就職後の所得によって返済額を変えられる所得連動返還型奨学金制度など、負担軽減に向けた多様な制度をどう導入するか。そこがポイントだと小林教授は指摘する。
「日本の教育費は、あまりにも私的負担が強かった。それが当たり前と思われている。そうではなく、社会全体で教育にお金を使う、という合意を作らないと。教育は国家百年の計と言いますが、まだ相当な距離があります」
教育費は誰が負担するのか
奨学金問題に日々向き合う岩重弁護士は「いまの日本は、家族総動員体制とでも言うべき状況ではないでしょうか」と語る。小林教授と同様に、本来は社会全体で支えるべき教育費を家計支出に頼り切っているのではないか、という疑問だ。
岩重弁護士は言う。
「みんな家族で支え切れないのは分かっている。どうにかしてほしいと思っている。だけど、『家族で支え合うのが当然』という声には、なかなか反対しにくいんじゃないでしょうか。『借りたお金は返すのが当たり前』と言われますが、勉強したくて借りた奨学金で、場合によっては一生苦労する。いま困っている人たちがいる。その現実をまず直視する必要があると思います」
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撮影:三枝直路、Yahoo!ニュース編集部、イメージ/ピクスタ