塩田亮吾

人間の最後の尊厳を守る―― 「おくりびと」2世の眼差し

3/2(木) 13:01 配信

映画「おくりびと」(2008年)には、納棺師の職に就いた夫を、妻が「触らないで!」と拒絶するシーンがあった。死に対する穢(けが)れの意識は私たちの中に抜きがたく存在する。死が日常から切り離されるに従い、かつては身近な人が行っていた納棺は、それを職業とする人の手に委ねられるようになった。映画の成功で職業としての納棺師は広く知られるようになったが、納棺という行為そのものは人間の死=エンディングの一部に過ぎない。死者と生者、双方にとってより良い「お別れの場」を求めて「おくりびとアカデミー」を立ち上げた一人の若者の姿を追った。
(ノンフィクションライター・中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)

「オレが元通りに戻してやるから」

納棺師・木村光希(28)は、これまでに1千体を超える亡骸と対面してきた。その木村でさえ、納体袋を開ける瞬間だけは今でも緊張を強いられるという。

この袋に入っているのは、不慮の事件や事故に巻き込まれた「いわくつき」の遺体だ。事故死、自殺、焼死、水死、圧死、転落死……。人間の最期は必ずしも大往生とは限らない。

「中には腐敗して原形を止めていないご遺体もあります。交通事故などの場合、飛び散った肉片がかき集められて無造作に袋に放り込んである場合もあります」

講演会で話す木村光希。国内だけでなく、中国や台湾、韓国でも納棺技術の指導を行っている(撮影:塩田亮吾)

遺体を洗浄し、化粧と着付けを施して棺に納めることを「納棺」と呼ぶ。だが、おくりびとの仕事はそれだけではない。目を背けたくなるほど損壊した遺体を限りなく生前に近い姿に復元し、残された家族や親族が、心穏やかに最後のお別れができる状態にして引き渡すのも大切な仕事だ。

木村には忘れられない「出会い」がある。今から7年前、木村がこの世界に足を踏み入れてすぐのこと。先輩に連れられて、ある病院の霊安室に向かった。そこには列車事故で死亡した50代の男性の遺体が安置されていた。

それまで木村が目にしてきたのは、自宅や病院で安らかな最期を迎えた遺体ばかりだった。しかし、この時は違った。車体と線路に挟まれ、胴体部分がまるで絞った雑巾のようにねじれていた。納体袋にはおびただしい量の血液や体液がたまっている。

バタン! それを見た途端、近くにいた同期の新人が気を失って倒れた。木村も思わず息をのんだ。しかし、いつもと変わりなく真剣に手を動かす先輩の姿に我に返った。

先輩は遺体に向かって手を合わせ、復元にとりかかった。まず遺体のねじれを手作業で緩和する。その後、15センチのピンセットを遺体の鼻孔から挿入し、腐敗の原因となる体液や血液などの水分を脱脂綿で除去していく。

特殊な素材で作られたマスクを使って、遺体の処置について具体的な指導が行われる(撮影:塩田亮吾)

「怖いとか気持ち悪いという感情は湧いてきませんでした。何より感動したのは、ご遺体をお戻しした際のご家族の反応です。仕事とはいえ、世の中にこんなに人様に喜ばれる職業って他にないなと確信したんです」

しかし人間の体は正直だ。脳裏にこびりついた光景は、そう簡単に忘却することはできない。その日以来、木村の夢には「遺体」が現れるようになった。動くはずのない亡骸が、まるで助けを求めるようにしがみついてきたり、片足のない遺体にどこまでも追いかけられたりもした。これが映画ならホラーだが、夢の中で木村は、いつも相手にこう語りかけているという。

「大丈夫だから、落ち着け。オレが元通りに戻してやるから。そう言って夢の中で暴れる遺体をなだめている自分がいるんです」

木村は、幽霊や死後の世界は全く信じない。仕事柄、友人に「木村、おまえ呪われているんじゃないの」と冗談を言われることもある。けれども、故人に感謝されこそすれ、恨まれることは絶対にないという信念が木村を支えている。そうでなければ、全力で人間の最後の尊厳を守ることなどできない。

納棺の儀のデモンストレーション。無駄のない所作に引きこまれる(撮影:塩田亮吾)

父の仕事は「カンコンソウサイ」

「納棺師」。この言葉は、木村の父・眞二がおよそ30年前に作った造語だ。それ以前、こうした職業人は「湯灌(ゆかん)師」とか「湯灌さん」などと呼ぶのが一般的だった。地域によっても風習が異なるが、少なくとも江戸時代までは家族や地域の人々、寺の住職などによって行われていた。明治時代以降、核家族化に伴って「看取り」の風習が消え、やがて湯灌は葬祭業のオプションと化してしまったと木村は考えている。

木村は4人きょうだいの次男。父の仕事について意識したのは小学生の頃。「お父さんの職業は何ですか?」と先生に尋ねられ、なんと答えていいかわからず戸惑った。母に尋ねると一言。

「カンコンソウサイって言っておきなさい」

当時、その意味がわからなかった。ただ物心ついた頃から、父はいつも黒いスーツを着ていた。運動会の時も学芸会の時も黒いスーツ。だから遠くからでも父の姿は目立った。友だちに不思議な顔をされたのを覚えている。

小学校高学年になると、父の仕事が「そっち系」だと薄々気がつくようになる。携帯電話が普及していなかった時代、自宅で無線が鳴ると父は、家族で楽しく食事をしていても、あの黒いスーツに着替えて、そそくさと家を出て行くのだった。母は、そんな父の後ろ姿をいつもにこやかに見送った。

決定的な出来事は家族旅行の時に起きた。旅先で無線が鳴り家族で病院へ直行、霊安室の前で待ちぼうけをくらった。この時、心の中で「カンコンソウサイ」って葬儀屋のことなんだと確信した。

死者の尊厳だけでなく、看取りのあとの家族の心のケアも大切だと説く(撮影:塩田亮吾)

いつか自分も父の仕事を手伝ってみたい。そう意識し始めたのは、高校生の時。サッカーに明け暮れていた木村は、部活の顧問から大学サッカーの名門校への進学を勧められた。だが、父への憧れが上回った。

「父は厳しくもありましたが、多くの弟子に慕われていました。それに、仕事を通じて社会だけでなく、家族を守れる人になりたいと思ったんです」

自分と家族を取り巻く環境が一変したのは、映画「おくりびと」の公開だった。父が主演俳優に対し、納棺の所作や作法、技術指導などを行ったのだ。

「とくに遺体の復元のシーンは印象的でした。話に聞いていた世界が改めて可視化されると、父ってこんなことをやっていたんだと感慨を抱きました」

大学生だった木村は、この映画を当時交際していた女性と一緒に観た。鑑賞後、彼女にこう尋ねられた。

「光ちゃんも、この仕事するの?」

その時は返事を濁したが、木村は、すでに父の背中を追って納棺師になることを決心していた。

納棺の儀のデモンストレーション。木村の父、眞二が所作指導をした映画「おくりびと」の映像が流される(撮影:塩田亮吾)

遺体が血の涙を流す?

木村が派遣される「現場」は様々だ。亡くなった人の自宅、病院や警察の霊安室、事故や事件の現場、葬儀会場。稀に海外で亡くなった邦人の遺体の処置を依頼され、空港に出向くこともある。

改めて整理すると、「おくりびと」の仕事は大きく分けて3つある。遺体の復元や消毒、保存など、死後の身体の変化に応じた処置。フューネラルメイク(死化粧)と呼ばれる遺体へのメイクアップと死装束への着せ替え。そして、棺にご遺体を納める納棺の儀式だ。

通常、この一連の作業は納棺師が1人で行う。通夜は午後6時以降に始まることが多いので、木村の稼働時間は通夜前の午後の時間帯に集中する。

「多い日には1日に3人、4人。1カ月に換算すると100人以上を処置する納棺師もいます。1人にかけられる時間は1時間。派遣される場所が遠方になると、移動の時間も考慮しなければなりません」

納棺師が使用するメイクボックス(撮影:塩田亮吾)

父の元で納棺師としての修業を積んだ木村は、2013年に独立し、東京・日本橋大伝馬町に日本で初めて、納棺師を養成する学校「おくりびとアカデミー」を開校した。

起業の動機は、少子高齢化、無縁死、自殺、災害死など、人間の死を取り巻く環境が大きく変化しているにもかかわらず、エンディングをビジネスの機会としか捉えようとしない業界の「変わろうとしない」姿勢だった。

「しょせん、納棺師は葬儀会社の下請けという位置づけなんです。葬祭にかける費用が年々少なくなってきている今、コストを下げるために納棺師は真っ先に削られてしまう。本来であれば処置すれば防げたご遺体の変化も、私たちが駆けつけた時にはすでに手遅れということが多発しているんです」

人間の身体は息を引き取った後、時間の経過と共に変化する。もっとも多いのは、遺体から流れ出た体液で棺の底が水浸しになってしまうことだ。人は亡くなると死後硬直し、硬くなるというイメージがある。だが、木村によると、床ずれや水疱、点滴痕などで皮膚が弱っている部分から体液が漏れ出すことがよくあるのだという。

「死化粧」のデモンストレーション。生きている時よりも「生きている」と思わせる温かみのあるメイクを施す(撮影:塩田亮吾)

「体内で腐敗が進み、発生したガスに体に残っている水分が圧迫され、もっとも弱った部分から押し出されるのです。眼球から血が流れ出ることだってあります。こうした変化を防ぐためには、口と鼻などに脱脂綿をつめて気道を塞ぎ、弱っている皮膚はいったん切開し、改めて、シートなどでテーピングする必要があります」

遺体が「死体」に変わった

昨年9月、パーキンソン病だった母を自宅で看取った川崎在住の大堀嘉子(52)さんも、遺体の変化を目の当たりにした1人だ。介護保険下での訪問介護は、ホームヘルパーや主治医、看護師、歯科衛生士、栄養管理士などが、入れ替わり立ち替わり自宅にやってくる。大堀さん自身も、困ったことがあればいつでも相談する相手がいることが何より心強かった。けれども、いざ母が13年の介護生活の末に息を引き取ったその瞬間にチームは解散。自宅には親族以外、出入りをする者がなくなった。潮が引いたようにとは、このことだと思った。

両親を自宅で看取り、今は納棺師としても活躍する大堀嘉子さん(撮影:塩田亮吾)

大堀さんの場合、火葬は母が亡くなってから9日後だった。火葬場の予約が一杯だったのだ。最初は、亡くなって1週間以上母といっしょに暮らせると思うと嬉しかった。遺体の変化を認識したのは4日目。あれっと思った。ドライアイスを背中に当てられ、仰向けになっている母の眼球が沈下し、鼻翼がへこみ陥没しているのだ。5日目には体のある部分が、人間の一部ではないような感触になってしまった。

「それまで血色も良く、柔らかく、温かみのあった母の唇が色を失い、カチカチになってしまったんです。まるで『鮭とば』のようでした」

これを境に、みるみるうちに母の顔は変化し、頬はそげ落ち骨格が浮き出た。思わず、母は遺体から死体になったと思った。

大堀さんが頼れるのは、葬儀会社の担当者だけだった。相談すると「湯灌したら元に戻りますよ」と言われた。フリーズドライではあるまいし、実際にはそんなことはあり得ない。しかし、その時は担当者の意見を聞くしかなかった。

大堀さんが肌身はなさず着けている指輪は母の形見(撮影:塩田亮吾)

ところが、最悪だったのは、湯灌当日のぞんざいな扱いだった。母は長年の入院生活から円背(えんぱい)で、背中に枕やクッションをあてないとベッドの上で姿勢を保てない状態だった。しかし、湯灌の現場に行ってみると、ストレッチャーの上のパジャマ姿の母の首は後ろにガクリと折れ曲がり、口がガバッと大きく開いた状態で放置されていた。大堀さんにとって一番辛かったのは、そんな母の姿を見た親戚の一言だった。

「苦しそうだね、おばちゃん……」

大堀さんは、母を看取った直後、働きながら在宅で介護をやりぬいた達成感で胸がいっぱいだった。周囲からも「よくがんばったね。お母さん喜んでいるよ」と声をかけてもらった。自分の人生の中で何かが報われたような気がして、嬉しかった。けれども、看取りからのわずか数日間で、そんな充足感は掻き消えてしまった。

「母は、本当に穏やかな顔で最期を迎えました。親戚にはあの穏やかな母の姿を目に焼き付けて欲しかった。そうしてやれなかったことが、自分のせいのような気がして、悔しくて自分を責める日々が続いたのです」

母を連れて通院していた病院の前には公園があり、ときに訪れて「風が気持ちいいね」などと話していた(撮影:塩田亮吾)

「納棺師は下請け」構造を変えたい

そんな大堀さんがたどり着いたのが、木村が主宰する「おくりびとアカデミー」だった。あの時の自分に何ができたのか。それを知るために門を叩いた。最初の授業の時、なぜこの学校を選んだのか、自分の経験を交えて話す機会があった。初めて勇気を出して母の最後を語った。

納棺師のコースに集まったのは高校を卒業したばかりの若者から社会人まで、老若男女10名。授業は平日4日間、夜間に行われた。納棺師としての遺族、故人への接遇マナーなどの一般教養にはじまり、サナトロジー(死生学)や遺体衛生保全、いわゆる納棺の儀の実習なども行われた。

「目から鱗の連続でした。もしあの時、この知識だけでもあれば、私も周囲も、穏やかな気持ちで母を送れたと思います。本来の葬儀は、残された者のためにあるのです」

2013年におくりびとアカデミーを開校して以来、のべ40人が卒業し、納棺師として各地で活動している(撮影:塩田亮吾)

木村は今、新しい事業に乗り出した。「おくりびとのお葬式」。遺体処置のスペシャリストである納棺師が、最後の火葬までの全てを取り仕切る葬儀会社を立ち上げたのだ。

「納棺師は下請けという構造を変えない限り、本当の意味で故人に寄り添ったケアはできない。今後は、経済的に困窮した人でも利用できるおくりびとのサービスを展開したいと思っています」

死者に対する最高の手向けは、悲しみではなく、感謝である−−。ご遺体をみつめる木村の眼差しは、どこまでも真剣で温かい。


中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。最新刊『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』。

[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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