新たな社会インフラになるのか――。商取引やデータ転送などの「価値が移転する」事実をすべて記録し、その記録を共有する「ブロックチェーン」という技術が注目されている。世界の企業や行政機関が注目し、導入を考え始めているこの技術は、今後どのような分野に組み込まれ、どのような影響を社会に与えるのか。(ライター・岡本俊浩/Yahoo!ニュース編集部)
一流技術者の年俸は20万ドル
ある平日の夜。ウェブ上でQ&Aサービスを手掛けるIT企業「オウケイウェイヴ」(東京都・渋谷区)の共有スペースに、50名近い社員が集まってきた。彼らウェブプログラマーたちは、ある技術の講習を受けようとしていた。急速に注目を集める「ブロックチェーン技術」だ。
ブロックチェーンとは、一言で言えば「ネットワーク上の取引記録」である。商取引、データ転送などネットワーク上で行われた「価値が移転する」行為には、必ず履歴=記録が残る。その取引記録を参加ユーザーで共有する──というのが基本的な仕組みである。
オウケイウェイヴ社員が参加した講習会は「ブロックチェーン大学校」。2016年8月に「ブロックチェーン推進協会(BCCC)」が始めた社会人講座で、この日開かれていたのは希望する企業への出張版。受講した20代男性は「この技術をモノにすれば、プログラマーとして大きな付加価値になる。授業は難しいが、やりがいがある」と手応えを語った。
ブロックチェーン大学校は全8回。講師の派遣やカリキュラム制作を手掛けるのは、仮想通貨「ビットコイン」の取引所を運営する「ビットバンク」(東京都・渋谷区)である。同社代表取締役CEOの廣末紀之氏によると、ブロックチェーンを扱える技術者はまったく足りていない。「人数で言えば、日本全国でも二桁の前半というところでしょう」(廣末氏)。
そうした状況から、ブロックチェーン技術者の報酬は高い。ブロックチェーン技術の開発ベンチャー、テックビューロ(大阪市)の朝山貴生社長(41)は、「一流技術者を雇おうと思ったら、年俸20万ドル(約2340万円)は必要だ」と言う。
20万ドルという年俸額は、「人工知能」のトッププログラマーと同水準。それだけ重要な技術であることがうかがえる。
事実、ブロックチェーンは、世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)で「2016年の10大新興技術」の一つとして取り上げられた。また、こんな言い方もされる。「1975年のパーソナル・コンピューター、1993年のインターネット、そして2014年のビットコイン」(ネットスケープナビゲーター開発者/マーク・アンドリーセン)。
そもそも、「ネットワーク上の取引記録」というだけのブロックチェーンという技術が、これほど注目を浴びるのはなぜなのか。
1円から決済可能にする、堅牢なシステム
オウケイウェイヴの兼元謙任社長(50)は、近い将来手がけたいことがあると言う。それは「マイクロペイメント(超少額決済)」という新規市場への進出だ。
「うちがやっているQ&Aサイトでは、知恵を欲しい人がウェブを通じて質問をし、誰かが回答する。現状は質問者が回答に満足しても、『ありがとう!』で終わってしまいます。でも、ブロックチェーンを導入すれば、『ありがとう!』をお金に変えられるかもしれない」
「ありがとう」の価格は、1円か100円か。しかし、現状ではそのような金額の決済は難しい。銀行振込は100円以上の手数料がかかる。数パーセントの手数料をとるクレジットカード決済は、一定額以上でないと手数料が決済額を上回ってしまう。1円や100円という少額のやりとりは、現状のシステムにフィットしないのだ。
だが、ブロックチェーンを介した仮想通貨払いなら、将来的に1円、2円という少額のやりとりに見合う安価な手数料でサービスが成立する可能性があるという。それはブロックチェーンの特長にもとづいている。
ブロックチェーンの特長として、ホストコンピュータのような中央管理者が存在しない。個々の取引は、参加ユーザーがつながってデータを共有する構造になっている。巨大なサーバーは要らないからコスト減も実現できる。
さらに重要なのは、こうした分散型ネットワークのため、改ざんが極めて難しい。取引した記録は、ブロックとして連結(チェーン)されていき、つねに参加ユーザーの間で証拠のように蓄積される。あるブロックの情報を書き換えるには、他のブロックでも同時に処理を行わなければならず、これは事実上不可能とされる。
堅牢さを裏付ける実績もある。もともとこれは、2009年に「サトシ・ナカモト」と名乗る人物がウェブ上で公開した論文で明らかにしたもので、仮想通貨「ビットコイン」の核心技術。この「通貨」は、登場から約8年を経ていまだ「偽造コイン」の出現を許してはいない。
いま、この新技術をモノにするため、金融大手も実証実験を進めている。ただ、進展の方向性は金融に限られてはいない。むしろ「非金融」のあらゆる分野でこの技術が活用されようとしていることのほうに、今後の社会を大きく変える可能性が見えてくる。
食品トレーサビリティ、ウェブ投票システムなど開発構想続々
ベンチャー支援を行う「トーマツベンチャーサポート(TVS)」は、大企業と国内ベンチャーのマッチング会「モーニングピッチ」を継続的に開催している。
2016年秋、ブロックチェーン技術をテーマとする回では、ベンチャー5社が登壇し、技術のプレゼンテーションを行った。「物流・食品トレーサビリティ」に実装した例もあれば、人気投票・世論調査など「ウェブ投票」の信頼性向上のため開発を進めた例もありと、いずれも非金融の分野だった。
TVSで、ITを活用した金融領域(=フィンテック)の担当を務める大平貴久氏(35)は、当日の熱気をこう振り返った。
「1社のベンチャーに、大企業50社が名刺交換の列をつくることもあった。他のテーマと比べても、注目度は極めて高い。非金融系の試みはこの2~3年で世の中に出るでしょうね」
前出のBCCCの参加企業は100社を超えたが、その中からは「個人認証×ブロックチェーンで、チケットの高額転売問題を解決する」開発構想も出てきている(BCCC広報)。
技術を転用し、あらゆる「契約」ビジネスへの応用も期待される(=スマートコントラクト)。特定の金額の振り込みなど、設定条件が満たされると、その段階で予め取り決めたプログラムが実行される。例えば不動産賃貸だ。電子的に契約を終え、入金を行うと、ユーザーに部屋の供与が行われる。家賃の滞納が続けば、玄関ドアのロックが自動でかかる――。これらの行為が、すべてブロックチェーン上の記録の「判断」に基づくものになる。
ここで気になるのは、取引記録の秘匿性だろう。他人に見られたくないデータまで丸裸なのかといえば、そんなことはない。ブロックチェーンには複数の種類(型)があり、場合に応じて使い分けられている。例えば、ビットコインのような通貨に使われる技術はパブリック型で、ネットワーク参加者の検証が可能だ。しかし、個人契約や物流関係に用いられる技術はプライベート型と呼ばれ、「鍵」を持つ限られたユーザーしか閲覧できない。
あらゆるものにブロックチェーンが導入される日
技術の到達点はどこにあるのか。「大きいのは、社会インフラでしょうね」。日本最大のビットコイン取引所「ビットフライヤー」(東京都・港区)CEOの加納裕三氏(40)はそう返した。同社は未上場ではあるものの企業価値は200億円にも達する(日本経済新聞の試算)とされ、同社開発のブロックチェーン技術は楽天やアマゾンの仮想通貨建てのアフィリエイトプログラムとも連動している。
2016年4月に経済産業省が発表したレポート「ブロックチェーン技術を利用したサービスに関する国内外動向調査」でも、加納氏の観測と同じく社会インフラに近い活用領域が挙げられている。
行政では「選挙」「ベーシックインカム(社会保障)」「不動産登記」、金融分野では「資産管理」など。取引記録が残るものにはすべて、導入されうると予測されているのだ。国内での新規市場の創出、既存市場の置き換えによって形成される潜在的市場規模は67兆円にも及ぶ。
すでに海外では、国家の基幹システムに採用しようとする例もある。人口130万人の国、エストニアである。同国では国民にIDカードを発行しているが、今後、戸籍や納税などの情報をブロックチェーン上に載せることを予定している。
翻って日本はどうか。考えつくのは、氏名、性別、住所、生年月日と紐付いた「マイナンバー」との連動だろう。政治はどこまでやるのか。永田町へと足を向けた。
自民党でIT戦略特命委員を務める福田峰之衆院議員(52)に、マイナンバーをブロックチェーンで連動させることはあるのかと尋ねてみると、「将来的には視野には入っていますよ」。むろん、法改正のプロセスは踏まなければならないが、可能性としてはいまあるデータを、ブロックチェーンのシステムに載せることはできないことではないとも続けた。
また、福田議員は2017年3月の予算編成への組み込みを前提に、ブロックチェーン分野も視野に入れた事業支援法の枠組みも成立させるという。成立すれば、経産省の予算が産業支援の目的で当該事業に投下される予定だ。
実際、電子化された個人情報は経済成長の礎とも見られている。2016年12月、自民、民進、公明、日本維新の会の4党は臨時国会である法律を成立させた。「官民データ活用推進基本法」だ。官と民に蓄積された莫大なデータを「利活用」することで、民間の新規事業や技術開発を促進するのが狙いだ。むろん、現状は匿名加工情報といって、個人が特定されない法規制はなされているが、この流れが将来ブロックチェーンに向かったとしても、もはや不思議はない。
改ざんできない取引記録が流通し、いつでも証明が可能な社会。ブロックチェーンが実現するのは、あらゆるものにデジタル証明書が発行されている社会だ。
すなわちそれは、取引記録においては「嘘のつけない社会」の到来と呼べるのではないだろうか。不正会計、性能データ改ざん――後を絶たない企業での不正行為も、遠くない将来姿を消すかもしれない。プログラムが、私たちを見ている。
岡本俊浩(おかもと・としひろ)
1976年生まれ。「AERA」編集部を経てフリー。社会、文化系の取材を行っている。主な著書に『「選挙フェス」17万人を動かした新しい選挙のかたち』(共著、星海社)、『野外フェスのつくり方』(共著、フィルムアート社)。
[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
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