パトリック・アレン

中国で「動画6億回再生の男」を仕掛ける日本人起業家

2016/12/8(木) 15:18 配信

アートプロデューサー、office339 CEO 鳥本健太

日本経済が低迷し就職氷河期となった1993年から2005年ごろに社会に出た世代は「ロスジェネ」と呼ばれることがある。1980年生まれの鳥本健太(36)もこの世代だ。中国・上海での起業。扱うのは現代アート。プロデュースする日本人アーティストの一人はネット動画で人気になり、鳥本の会社は中国最大手の動画サイトとタッグを組むまでになった。相当な戦略家か山っ気のある人物かと思いきや、飄々としてマイペース。リーマン・ショックも乗り越えて10年、上海でしっかりと足場を築いている。
(ノンフィクションライター・三宅玲子/Yahoo!ニュース編集部)

中国投資家から570万元(約9,000万円)

中国のコンテンツ市場が沸騰している。

映画は2015年の興行収入が440.7億元(約6,960億円/ 1元=15.8円換算、2016年11月時点)で前年比48.7%増。同年のアニメ・マンガ産業の売上は1,200億元(約1.8兆円)にもなった。同様にインターネットを前提としたコンテンツビジネスへの投資熱も高まる一方である。

その中国で、ネット界のスターを育てた日本人プロデューサーが本稿の主人公、鳥本健太(36)だ。

鳥本が育てたスター・山下智博(31)は、七三分けの「キモキャラ」で中国ネット民のスラングを使いこなす。自身の登場する動画の再生回数は総計6億回を超える。サブカルから流行(はや)りものまで、山下が「おもしろい」と思う日本のモノ、ヒト、コトを紹介する約5分の動画『紳士大概一分钟(シンシダーガイイーフェンジョン/紳士の一分間)』を毎日配信。これがウケにウケている。中国ネット民の間で最も愛される「キモい」日本人だ。

2017年には、中国最大手動画サイトyoukuと共同制作で、山下が脚本・主演を務めたネットドラマの公開が控える。

上記は「绅士大概一分钟」に最近アップされた動画「日本男人不结婚的十个理由」。動画は10人近いメンバーからなる「チーム山下」で制作している。

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鳥本は、この山下が所属する現代アートマネジメント会社office339を率いる。

2016年に入り、office339には投資の申し出が相次いだ。仲介するファンド経由をあわせると20社に及ぶ。8月には中国のベンチャーキャピタルなど3社がoffice339に合計570万元(約9,000万円)を出資した。

投資会社との交渉にはビジネスパートナーの徐燕(シュウ・エン)(47)が同席し、中国独特の微妙な背景を読み解いたり、鳥本の意図を中国人にわかりやすく伝えたりする。

「彼女に裏切られたのならあきらめがつく」(鳥本)と言うほどに、鳥本は徐を信頼している。一方の徐は鳥本を「何を考えてるのかよくわからない人。優柔不断。でも絶対に怒らない」。山下智博現象については「すごくおもしろい。こんなの見たことないじゃない? だから私もみんなと一緒にがんばりたい気持ちね」。カネ、交渉、つき合い、ルール。たったひとりの外国人では潜り込めないビジネスの中国流の部分を、徐がすべて鳥本に代わって引き受けてきた。

北海道の山あいの酪農の土地で育った鳥本と、急激に成長した経済都市上海で生まれ育った徐。変化への好奇心と自由への憧れが、office339の10年のベースにある。

スタッフと打ち合わせをする鳥本(右から2人目)と徐(同3人目)。山下をキャラクターにした商品開発について打ち合わせ(撮影:パトリック・アレン)

アートバブルが弾けたあとに、チャンスはやってきた

2000年代、中国においてアートは不動産と並ぶ投資対象だった。中国のアートバブルを示す指標のひとつは、世界的美術品オークションハウス、クリスティーズ香港での出品作品1点に対する最高落札額の変化だ。2000年に最高落札額が1億円を超えた際には大きな話題になった。それが半年後には3億円、さらに半年後には10億円を突破。2006年には1億円を超える値段がつくのがあたりまえとなった。

鳥本がoffice339を設立し、中国現代アートシーンに加わったのは、その2006年である。だが、「絶対にアートでごはんを食べていくという強い信念があったというよりは、なんとなく始まっていった、そんな感じなんですよね」と鳥本は言う。鼻歌を歌うような調子で話し、いつもリラックスしている。いわゆるしたたかな「やり手」ではない。

しかし、「これまでに見たことのない現象」を起こしていくことについての欲望は強い。

office339のウェブサイト。アジア、ヨーロッパなど多様なバックグラウンドのアーティストと仕事をしてきた

鳥本の10年の仕事の中でも節目となったのは、リーマン・ショックでアートバブルが弾けた後の2011年11月に企画したギャラリーショー「海上荟(SHANGHAI GALLERY SELECTION)」だ。上海の経済区・陆家嘴地区の超高層ビル・上海環球金融中心でアートフェアと展覧会を融合する狙いで企画したアートイベントである。

アートフェアはさまざまなアートギャラリーが集まり、作品を展示販売する「アートの見本市」のことだ。一方、美術館で開催される展覧会では作品の売買は行われない。ふたつのいいところを組み合わせたらおもしろいことになるのでは、というアイデアだった。

シャンアート・ギャラリー(ShanghART Gallery、香格納画廊)は、中国現代アート界でもずば抜けた影響力を持つギャラリーだ。1996年、スイス人ギャラリストのロレンツ・ヘルブリングが上海で開廊した。2000年代に中国現代アートがヨーロッパで高騰した背景にはシャンアートの影響があったといわれる。

所属アーティストには、抽象絵画を手がけエルメスとのコラボでも有名な世界的アーティスト丁乙(ディン・イー)、2013年にサザビーズ・アジアで作品「最後の晩餐」が22億5,500万円で落札されアジア最高額を記録した曾梵志 (ゼン・ファンジー)、1990年代半ばから世界の主要な国際芸術展で活躍を続ける周铁海 (ジョウ・ティエハイ)ら、中国現代アートを代表する作家が顔をそろえる。

「海上荟」の成否は、このシャンアートを口説けるかどうかにかかっていた。鳥本はロレンツと面識こそあったものの、一緒に仕事をしたことはなかった。しかし「海上荟」の提案書を持ってギャラリーを訪ねると、ロレンツはあっさりと「それ、おもしろそうだね」。

シャンアートが出展するならと、ほどなく17のトップギャラリーが集まる。1週間にわたって、上海環球金融中心のパブリックスペースは最先端ギャラリーとなった。

ギャラリーショー「海上荟」は上海環球金融中心の開業3周年記念のアートイベントとして開催された。経済地区に文化的な要素が必要と考えた上海環球金融中心がoffice339に依頼したという(鳥本氏提供)

上海を代表する17のギャラリーが参加した(鳥本氏提供)

鳥本も徐も専門的に美術を学んだわけではない。「おもしろいこと、これまでに見たことのない新しいことをこの上海で見たい」という欲望だけに忠実にやってきた。

徐は、2006年に鳥本が会社を立ち上げた時、フリーペーパーに出したスタッフ募集の広告を見て応募してきた。15人の応募者のうち、徐は、待遇よりアートへの興味が圧倒的に勝っていた。

徐の生まれ育った上海は中国一の経済都市だが、社会主義と自由経済が共存する上海でも、中国政府による言論や思想の規制はある。その制約が、徐の「ワクワクするような自由な表現」への憧れを育てた。

徐燕の夫は妻が若い日本人たちとこれまでにない仕事をするのを応援しているという。「夫にすごく感謝してる」と、徐は涙ぐんだ(撮影:パトリック・アレン)

「国の未来は明るい」中国の若者の言葉に衝撃

鳥本は北海道・新得町で生まれ育った。実家は、1968年に鳥本の祖父が共同で始めた「三友農場」である。63歳の父が経営し、33歳の弟が跡を継ぐ。

1970年代には林業が栄え、新得町にも繁華街も映画館もあったというが、1980年生まれの鳥本が将来を考え始めた頃には、不景気、人口減、少子高齢化が深刻な問題になっていた。変わらない美しい自然がある代わりに、ビルが建ったり商業施設が誘致されたりすることもない、そんな子ども時代を過ごしたのが新得町だ。

体育の教員免許をとろうと愛知・中京大学に進学したが、授業とパチンコ屋を往復する生活に2年で飽きて、思い立ってイギリス・マンチェスターに短期語学留学をする。マンチェスターを選んだのは、 語学学校の費用が安く、ロンドンに比べると日本人が少なかったからだ。

3カ月の留学後、鳥本は現地の4つ星ホテルで働き始める。「1年間生き延びて帰ろう」と自分と約束し、ベッドメイク、トイレ掃除など下働きをする生活。若い同僚の中国人たちとアパートで酒を飲んでいたある夜、彼らがこんなことを言った。

「オレらの国はまだ発展途上だけど、これからどんどんよくなっていくし、人口が多いから成功するヤツだってたくさん出てくる。国の未来は明るい」

この言葉に鳥本は衝撃を受けた。

中国人の同僚たちは、疑うことなく堂々と自分たちの国の未来への希望を語っていた。その姿は鳥本にとって「見たことのない現象」そのものだった。

「僕自身、なんとなく未来に対する悲観ムードがある中で育ったので、国の未来に希望を持っている同世代が隣の国にいるということに驚いたんです」

そして、中国の変化を自分の目で確かめたいと思った。

アパートのテレビから北京オリンピック決定のニュースが流れていた。2001年7月13日のことである。

1年で帰国すると、東京のIT企業勤務を経て、2004年夏からパソコンメーカー、デルの大連にあるオフィスに勤めた。数カ月後に旅行に出かけた上海で、鳥本は現代アートに出くわす。

ガイドブックを片手に訪れた上海駅近くのアートエリア「M50」は、印刷工場跡地に作られた芸術区である。広い敷地に建つ建物は、元は工場や倉庫だった。コンクリートの壁がむき出しになったガランとした天井の高い空間で、Tシャツにジーパンをはいた若者たちが巨大なカンバスに好き勝手に絵を描いている景色は、サラリーマンからするとぶっ飛んでいた。

「表現の規制が存在する中国で伸び伸びと恐れることなく描いているように見えたことに驚いたのもあります。でもなによりも、サラリーマンの自分と比べて今までに見たことのない制限のない自由を見たと思ったんですよね」

この日が現在への入口となる。

ネットドラマの撮影カメラマンはベルギー人、監督は日本人、キャストは山下以外中国人。スタッフは8割が中国人。鳥本は中国語と英語でやりとりする(撮影:パトリック・アレン)

1年後、鳥本は3カ月の休みをとり、M50の観光客向けのギャラリーでバイトを始めた。バイトの合間にM50の中を見て回る中で、「Heshan Arts」という版画工房を見つけた。半分が展示スペースで、もう半分の版画工房では、中国で人気の現代アーティスト、張洹(ジャン・ホワン)、周铁海(ジョウ・ティエハイ)、オノデラユキらの版画を刷っていた。その版画の力強さ、経営者の方魏(ファン・ウェイ)(48)の現代アートへの深い理解とセンスに鳥本はひきつけられたのだという。

1カ月後、鳥本は方を訪ね、工房で働かせてほしいと頼み、方は鳥本をアシスタントにした。この時鳥本は大連の会社を辞めた。ところが半年も経たないうちに、方はギャラリーごと郊外に引っ越すことを決め、遠くて不便なその新しい場所へは通えない鳥本は、やむを得ず方のもとを離れる。そして、自分でビジネスをするために行きがかり上、会社を立ち上げた。社名となったoffice339は、徐が、鳥本のアパートの部屋番号から思いついた。

office339は翌2007年、初めての展覧会を企画する。在日韓国人で2007年から上海を拠点に活動する現代アーティスト、ナム・ヒョジュンの上海での初の個展だ。「器—Vessel」というタイトルで開いたこの展覧会では、「公衆便所」というタイトルのインスタレーションを中国人コレクターが、「ベジタブル」というタイトルの映像作品をドイツ人キュレーターが購入した。鳥本は現代アートでやっていく手応えをつかんだ。

初めての展覧会を開いたVanguard Galleryで、オーナーの李力(リ・リー)と久しぶりに会った。李力は金融出身。鳥本が独立したのとほぼ同時期にM50で開廊。現在Vanguard Galleryは上海現代アート界で存在感のあるギャラリーのひとつになった(撮影:パトリック・アレン)

しかし北京オリンピック直後の 2008年秋、 リーマン・ショックとともに中国の現代アート市場は引き潮となる。 鳥本も資金繰りのピンチに何度も陥った。万策尽き果て、北海道に帰って実家の酪農を継ごうかという考えは何度もよぎった。

「ずっと自転車操業で苦しいときがほとんどでした。でも、あるとき、お金の悩みは必ずいつか過ぎ去ると思えるようになったんですよね」

冒頭の山下が同郷の鳥本に誘われて上海にきたのは、鳥本が前出のギャラリーショーの企画を取り仕切った翌年、2012年だ。その時点で中国のスマホのユーザー数は13億人市場で3億人を突破。山下がネットで存在感を高めて成功したのは、時代の必然である。

2014年に自主制作したショートムービー『日本屌丝(リーベンディアオス)』は受験競争で疲弊する中国の若者を力づけることを隠しテーマに、脚本から歌まで全て緻密に練られている。この『日本屌丝』は山下の人気を不動のものにした。

動画作品「日本屌丝 外伝 - 打倒老板」。キモさを狙った外見と、人によっては意味のわからない内容の軽さから、山下を一発屋と見る向きもあるが、実は玄人のつくり。

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山下は、大阪芸術大学で現代アートを学び、卒業後は札幌市教育文化会館で公務員として働きながらゲリラウォークやアートイベントの主催などの表現活動を行っていた。上海での表現はそれらの延長線上だ。

大学時代と同じようなノリの自主制作に始まり、山下と鳥本を中心にチームで制作をしてきて、チームメンバーは10人近くまでに増えた。鳥本とのプロジェクトを山下はどう思っているのか。

「僕らは二人ともお金儲けより、今までに誰もやったことのない表現への興味が強いんです。今僕らがやっていることは、日中という枠組みで眺めると、政治的な緊張感が続くふたつの国の間で、笑いによってリラックスした人々の距離が近づくという新しいアプローチ」

そして山下はこうつけ加えた。

「でも鳥本さんは不器用な人。器用だったらもっと儲かってるはずですもんね」

鳥本(左)と山下(中央)は札幌のアートイベントで知り合った。山下は、そろそろ海外へ出たいと思っていたタイミングだった(撮影:パトリック・アレン)

見たことのない現象を求めて

試行錯誤の10年を経た今、中国のベンチャーキャピタルからの投資により、取り扱うカネのケタがゼロ2つ大きくなろうとしている。この目の前の現実に対して、鳥本はまだ実感が湧かない。

ただ、山下智博現象というコンテンツを広告ビジネスやゲーム・物販などの商標ビジネスにしてしまうことは避けたいのだという。

「新しいビジネスモデルが生み出せる予感がしていて。今までに見たことのない仕組みを発見することになるんじゃないかと思うので、そっちに向かって進んでいきたいんです。まだよくわからないんですけどね」

増資によりビジネスの規模とスピードは増すけれど、不安定であることには変わりがない。だが、不安定であること、先が見えないということは、今まで見たことのないおもしろい現象を生み出すために、欠かせない要件でもある。

方のアシスタントだった時から今まで、鳥本を見てきた人物がいる。日本の現代アートギャラリストの草分け・実川暢宏だ。実川が経営していた画廊で方は修行した。その方のもとで修行した鳥本は、実川から見て孫弟子にあたる。1937年生まれの実川は、鳥本について、自身の育った時代の記憶との関わりでこう話した。

「僕らから上の世代は竹槍をつくらされて『鬼畜米英』とかマジメに考えさせられた。マジメの危うさを僕らは知ってるわけ。人間、生きていること自体が『虚』なんだよ。美術も『虚』。そのムダなことにどれだけ一生懸命になれるか。彼はそこをよくわかってると思うね」

鳥本が求める「これまでに見たことのない現象」は、とりもなおさず上海人の徐が、思想や表現に制約のあるこの中国で憧れる「自由」の一片である。バカバカしくて楽しいことは、軽々と国境を超える。同じものを好きな人同士の間に、政治的スタンスや民族の違いは脇に置いて、熱狂がわき起こり、ほのかな友愛のような感情さえ芽生える。漂流するようにしてたどりついた上海で10年。鳥本が仕掛けてきた「今までに見たことのない現象」は、そのことを私たちに指し示している。

7月末、ネットドラマ撮影最終日。24時を回ってもこのテンション。午前2時に終了した(撮影:パトリック・アレン)


鳥本健太(とりもと・けんた)
1980年北海道生まれ。現代アートマネジメント会社・office339CEO。
愛知県の中京大学を中退後、イギリス・マンチェスターへ。東京、大連のIT企業を経て、26歳の時、上海で現代アート業界に参加。中国ネット民が熱狂する「山下智博現象」のプロデュースにより、中国ベンチャーキャピタルより投資を受け、規模、スピードともに新しい展開に挑戦している。

三宅玲子(みやけ・れいこ)
1967年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。 「人と世の中」をテーマに取材。2009年より5年弱の北京暮らしで日中問題を体験したことがきっかけで、ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「Billion Beats」を立ち上げる。日本人ジャーナリストや作家の中国レジデントプログラムを企画中。

[写真]
撮影:パトリック・アレン
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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