中国歴史漫画「キングダム」作者 原泰久
単行本の累計発行部数は2600万部突破、最新刊44巻は初版65万部。連載開始から10年が過ぎてなお、「週刊ヤングジャンプ」(YJ)で読者アンケートトップを走り続ける歴史漫画「キングダム」。中国・戦国時代末期、秦の始皇帝による天下統一を題材に、読者の圧倒的な支持を得ている作品である。本来ならば日本人には縁遠い古代中国を舞台にしながら、「キングダム」の絵には、熱風が吹き付けるリアリティがほとばしり、物語に読者を引き込む。今年41歳になる作者の原泰久は、サラリーマン時代に経験した「組織」の美学を登場人物に注ぎ込み、二千年前の人間世界を現代に蘇らせる。
(ジャーナリスト・野嶋剛/Yahoo!ニュース編集部)
システムエンジニアから漫画家へ転身
中身は「博多通りもん」と「めんべい」だった。
原は今年 5月、NHKのEテレの番組「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」に出演し、「信長の野望」などを手がけたゲームクリエーターのシブサワ・コウと対談した。番組の冒頭、自宅と仕事場のある福岡から上京した原が、シブサワに紙袋を渡すシーンがあった。紙袋の中身が気になった。
「せっかくお会いするので、何か持っていかないといけないと思いまして。でも、番組のスタッフからは、この番組の対談で手みやげをもってくる人は初めてです、と笑われました」
売れっ子漫画家になりながら、対談相手への手みやげに「博多通りもん」を持参する気遣い。そこから「常識」を大切にする原という漫画家の本質が浮かび上がる。漫画家といえば、締め切りを平気で破って、金遣いも荒く、破天荒な生き様が思い浮かぶ。だが、原にそんなイメージは当てはまらない。話していて「この人、本当に漫画家なんだろうか」と思えてくる。
「キングダム」の主人公は、後に始皇帝になる若き王の政と、政を支える将軍となる下僕出身の信。2人は少年期に秦内部の反乱を機に出会い、共に秦をもり立てながら、中華統一の夢に向かって奮闘するストーリーだ。
歴史を描く原だが、福岡の九州芸術工科大を卒業した理系人間である。ただ、子供時代から漢文好きの母親の影響で中国史に触れてきた。漫画の道を志すも大学在学中にはデビューできず、就職した仕事はシステムエンジニア。漫画家として3年で結果が出なければ諦める覚悟で27歳のときに退職した。
最初に出版社に持ち込んだ作品は、同じ中国・戦国末期を題材にした「覇(は)と仙(せん)」という作品だったが、始皇帝は「キングダム」のように善玉ではなく、悪役だった。興味を持った出版社もあったが、結局、掲載には至らなかった。その作品を倉庫から引っ張り出してもらい読ませてもらったが、大事なシーンには力一杯迫力を込める現在の作風はそのままで、画のレベルも相当高い。
しかし、原は「もし学生でデビューしていたら、キングダムは描けなかった。社会人経験は大きかったと思います」と断言する。
キャラを使い捨てない、理想のサラリーマン世界
「キングダム」には、無数のキャラクターが登場する。これだけのキャラを扱えば、普通はキャラの使い捨てが起きる。だが、原はそれをやらない。すべてのキャラが突然消えたりせず、生きるにせよ、死ぬにせよ、何らかの決着をつけている。そこが原の作品の「温度」を決定づけていると思える。
特に主人公の信が率いる「飛信隊」という部隊のメンバーの描き方がとても細かい。数十人のキャラがくっきりしており、それぞれの人生も思い浮かぶ。
「勤めた会社では、脂ぎった人、よぼよぼの人、誠実な人、弱い人、いろいろいて、みんな頑張っていた。上に立つ人はそれぞれ魅力もある。みんな超人ではないが、サラリーマンも一人ひとりが格好いいんだと思ったんです」
少し突き放していえば、原はいいタイミングで会社を辞めたのかもしれない。組織に10年もいれば、嫌なところが見えて、皮肉の一つも言いたくなる。原には、そんな屈折がない。だから集団の描き方が温かい。理想のサラリーマン世界を「キングダム」の中で展開し、そこが特に男性の読者を引きつける。
原の仕事場に、作画に使うスクリーントーンの種類を、それぞれのキャラごとに記録した一覧表が置いてあった。すでにキャラの数は数百人に達する。原自身も覚えきれない。それでもキャラは一人ひとり大切にしていく。脇役の輝きが、「キングダム」の大きな魅力であり、サラリーマン時代に見えた人間社会の姿である。「田有」「田永」という名の兵士は「有田」「永田」など昔の同僚や先輩の名前を逆さにしたものだ。
原の毎日は会社員のように規則正しい。週刊漫画の原稿は実際の発売日より2週間早く進行する。YJの発売日は木曜日。前々週の月曜日に漫画を描く際のコマ割りやセリフを大まかに入れた「ネーム」を固め、火曜日から金曜日に作画を完成させ、土曜日には東京の編集部に送る。原は締め切りにこだわる。平日は、仕事場に毎日きっちり9時半に出勤し、夜7時には車で10分ほど離れた自宅へ戻って、妻や3人の子供と食事を共にし、夜9時にまた職場に戻る。通常は午前1時に帰宅するが、進行次第で徹夜の日もある。
それでも毎週18ページの連載は人間の限界に挑戦する過酷な作業である。原の体は10年の連載の間、二度の心臓発作を経験した。医師には、過労に加えて、眠気を覚醒させるドリンクを摂取しすぎた影響もあったと言われた。それからは、危ないかどうかギリギリの高さの階段から飛び降りて、無理矢理眠気を覚醒させている。
泣きながら描いた「王騎の最期」
「キングダム」から数カ月ほど遅れて同じYJで連載が始まったギャンブル漫画「嘘喰い」の作者・迫稔雄(さこ・としお)は、原にとって同じ誌面で人気を競い合うライバルであり、励まし合って切磋琢磨してきた友人でもある。その迫は原の人柄をこう評する。
「言い方が難しいですが、原さんは言葉でも行動でも他人に害を与えない人です。ネガティブなことを言わない。陰口を言わない。闇がないんですね。本当は、少しはあると思うんですけど(笑)、絶対に表に出しません。作品にも、そんな原さんの一面が出ています」
確かに、主人公の信は、殺戮を拒み、正義を貫き、闇を一切感じさせない。原は、週刊少年ジャンプ黄金時代の1990年代に漫画を読んで育った。当時活躍したのは「ドラゴンボール」や「スラムダンク」の主人公たち。正しく、明るく、少し天然。原の漫画で躍動するキャラクターには、そんな「古き良き漫画」の伝統を感じさせる。
ただ、迫は原が内側に隠し持つ「熱」も目撃したことがある。
「とあるパーティーでの三次会だったと思いますが、原さんは、ほかの若手の作家さんに、漫画に対するアツい想いを臆面もなく語っていました。もっと漫画に打ち込まないとだめだよ、というような話だったと思います」
原の情熱は、すべて作品へ注入されるのだろう。原はしばしば泣きながら作品を描く。ネームを作る深夜のファミレスで一人、号泣する時もある。最も泣いたのが、信の師匠である将軍・王騎の最期を描くときだった。
王騎は秦の六大将軍の一人で、政の求めに応じて引退から復帰したが、敵の趙国将軍・李牧の計略に完敗を喫し、信に自らの矛を託して馬上で息絶える。盛り上げるだけ盛り上げて、人気キャラを舞台から去らせた。だが、その死によって逆に「キングダム」のなかで王騎の存在は「永遠」になった。それからもキャラ人気投票ではすでに死んでいる王騎が常にトップ。王騎の死を描き切ることで、デビュー以来、漫画家として初めて「読者の熱狂」を体験した。
そのあとに描いた秦と6国連合軍の激戦「合従軍篇」では、王騎の最期に匹敵する盛り上がりが実現できた。しかし、そのなかでも、盟友である「山の民」の楊端和(よう・たんわ)が登場して最後に政と信を救うところでは物足りないほどあっさり勝負がつき、楊端和の見せ場が少なかった。原によれば、編集者からの「早く次のシーンへ」というリクエストと、自らの「もっと描きたい」という欲求の狭間で、迷いながら描いた結果だったという。漫画は生き物だ。作者が妥協を強いられることもある。編集者の計算、読者の反応、作者の理想。これらの化学反応のなかで、日々試行錯誤が続く。
打ち切り候補から一転、師・井上雄彦のアドバイス
「キングダム」は連載11年目に入った。連載開始は2006年1月。第1巻の発行部数は現在の15分の1にも満たなかった。最初は人気が上がらず、打ち切り候補にも入った。YJの巻末に掲載された週のことは、まだはっきり覚えている。
「危機感はありましたが、いいものを描いている自信があったので、打ち切られるとはまったく思っていませんでした」
原はそう言うが、そこで打ち切られる漫画家は多い。転機になったのは、アシスタントで働いたことがあり、師と仰ぐ漫画家・井上雄彦(『スラムダンク』『バガボンド』などの作者)から「登場人物の目をしっかり描け」と助言されたことだった。ストーリーが良ければ大丈夫だという思い込みがあったが、目に力を入れることで絵全体のレベルも上がり、読者の反応が一気に改善した。改めて読み直すと、打ち切り寸前だった回が収録された単行本第3巻あたりから登場人物の迫力が確かに増した形跡を感じる。
それからは上昇気流に乗った。ジャンプ系の漫画誌は読者アンケートの結果も重視される。ここ何年かYJのアンケートでは一度もトップを譲ったことはない。
原には、かねてから聞いてみたいことがあった。なぜ、タイトルが「キングダム」なのだろうか。
原によれば、実は、最初に提案したタイトルは「黄金の翼(はね)」だったという。黄金の翼のペンダントを秦の大将軍たちが身につける設定だった。編集部の会議では、ネームは通ったが、タイトルはダメ出しされた。
「それから100近くも出しても全部通らずで、もう何も出てこなくなったとき、大学生のときに書いた落書きに『キングダム』って書いてあったんです。王国の話だし、試しに出してみたら、あっさり通ってしまいました」
もう一つ聞きたいことがあった。なぜ、日本人によく知られた三国志や水滸伝ではなく、始皇帝を描くことにしたのか。
プロも一目置く深い歴史観と「人間・始皇帝」像
原には、常人の発想をひっくり返すところがある。
「始皇帝の時代は史料も少ない半面、自由に描ける部分が大きいんです。信のモデルは李信という実在の将軍です。中国・司馬遷の歴史書『史記』では、李信は大国楚との戦争で大きな失敗をするのですが、その後も活躍している。始皇帝と特別な関係があったのではないかと考えて、政と信の友情を思いつきました。また、『史記』には王騎について『王騎死す』と一行だけあります。でも考えてみると司馬遷が一行でも書くってことは、ものすごい人だったはずです。そこから想像を拡げていきます」
史記に埋もれた人物を鮮やかに蘇らせる原の作品に注目する「プロ」たちがいる。作家の北方謙三と、歴史学者の鶴間和幸・学習院大学教授だ。北方には「史記」「三国志」など中国史の大ベストセラーがある。著書『人間・始皇帝』(岩波新書)など独創性ある鶴間の始皇帝研究は中国でも鳴り響いている。
最近原のもとに、北方から「キングダムを愛読している」という理由で、11月に文庫化される『岳飛伝 一』の解説文の依頼が舞い込んだ。北方と親交のある鶴間によれば、北方も始皇帝の小説を書く構想はあったが、原の「キングダム」を読んで執筆を延期したという。北方の小説も脇役の目から見た歴史が売りだ。鶴間に北方は「自分が書いても、似た世界になるから」と話したという。
北方同様にキングダムの読者である鶴間は、大学の授業で録画した「キングダム」アニメ版を生徒に見せることもあるという。
「歴史家の描く始皇帝、小説家の描く始皇帝、漫画家の描く始皇帝。それぞれ違いがあっていい。私も史料から想像を働かせるが、原さんは、始皇帝の周囲にいろんな人物を登場させ、物語を膨らませながら、あの時代を生き生きと描いている。自分にできないことで羨ましい。ただ、できるだけ『人間・始皇帝』に近づくという意味では、同じところを目指していると思っています」
現在の「キングダム」は政が秦国内の宰相・呂不韋らのライバルを排除し、中華統一に乗り出した局面に差し掛かっている。信も将軍の座をつかむ手前で、これから6国征服の怒濤の展開が待つ。ただ始皇帝の統一国家は建国わずか15年で反乱と内紛のためもろくも滅亡する。従来の歴史観では、統一後の始皇帝は万里の長城の建設など無理な公共事業を強行し、神仙思想に傾倒するなど、始皇帝の人間像が「名君」から「暴君」に切り替わっていく。
その描き方について、連載開始当初から、原は思考を重ねてきた。
「ドラマとしては政による中華統一をピークにしたいと考えています。でも、それだけで終わってはいけないとも思っています。確かに秦はすぐに滅びますが、統一が無意味だとは思わない。秦が滅んだあと、漢が再び中華を統一し、400年続く帝国を打ち立て、中華は安定します。その意味を読者に伝えたい」
原は佐賀県基山町の出身だ。妻は福岡県久留米市出身。いまの仕事場は福岡県大野城市に構える。北部九州が原のホームグラウンドである。日本で最も早く文明が開けた北部九州には、アジアに開かれた不思議な地理感覚がある。その地を本拠に、原は壮大な中国の歴史絵巻を描き続ける。
目標は80巻、あと10年。80巻では終わらず、100巻に届くかもしれない。原に次回作の構想はある。中国歴史ものではない。だが、いまや主流となったデジタル作画を拒み、手書きの線を無数に描き込む方法にこだわる原に、同時連載をこなす余裕はない。処女作と共に走り続けるのみだ。
10年後に原は50歳に届く。「キングダム」の完結。それは、政と信、そして、原の3人の若者が奮闘した青春の日々の終着点になるだろう。
原泰久(はら・やすひさ)
1975年生まれ。佐賀県出身。九州芸術工科大学修士課程卒。SE・プログラマ経験を経て漫画家に。2006年、集英社ヤングジャンプにて「キングダム」を初連載開始。2013年、第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。
野嶋剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。1992年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学の後、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月からフリーに。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に活発な執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾で翻訳出版されている。最新刊に『故宮物語』(勉誠出版、2016年5月)『台湾とは何か』(ちくま新書、2016年5月)。
[写真]
撮影:比田勝大直
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝