ミュージシャン 後藤正文
「アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文」に人は何を見るだろうか。青春時代に輝いていたバンド。人気アニメの主題歌。「リライト」。夏フェスでよく聴く。フリーペーパーを創刊したり、東日本大震災の後、政治や社会に対して発言をするようになったり、「フジロックに政治を持ち込むな」論争の時も反論したり……。ミュージシャンは音楽だけをやっていればいいという声もある。しかし後藤はこうつぶやく。「まあ、ゆっくり曲を書きながら、説明してゆくしかないね、そのあたりは。誤解されたとしても」(@gotch_akg より)。後藤はどんなミュージシャンになろうとしているのか。(取材・文 ライター柴那典/Yahoo!ニュース編集部)
「あんなのロックじゃない」と言われて
その日、後藤正文は6万人を超える大観衆の前に立っていた。
4日間で合計27万人を動員した国内最大級の音楽フェスティバル「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」。その最終日、8月14日の大トリとして出演したのが、彼が率いるロックバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)だった。
バンドは、「リライト」や「君という花」など代表曲を一つ一つ丁寧に演奏していく。そのたびに大きな歓声が上がり、沢山の拳が突き上げられる。草原に設けられたステージの前には視界を埋め尽くすほどの人が集まり、数万人の興奮が一体になった光景が繰り広げられる。
「すごい景色だねって、演奏中によくメンバーと話します。『ヤバいね』としか言いようがない」
後藤はこう実感を語る。
彼は、まぎれもなく今の時代のロックスターの代表だ。しかし、その立ち姿や振る舞いは、多くの人が思い描く「ロックスター」のイメージとは少し異なる。派手な衣装に身を包むようなことも、高く声を張り上げ観客を煽るようなことも、ほとんどない。あくまで自然体でステージに立っている。
「俺たち『あんなのロックじゃない』と言われてたんだよ。でも、やってると変わるもんだよね。諦めずに、まっすぐ鳴らしていれば」
ステージ上のMCで後藤はこう語っていた。
果たして何が“変わった”のだろうか?
社会に対して声を上げていく
ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)は、今年、結成20周年を迎えた。
今年5月から、バンドは代表作『ソルファ』の再レコーディングを進めてきた。レコーディングスタジオで作業を進める後藤の様子も、ステージの上で見せる印象とほとんど変わらない。小柄な体躯に丸眼鏡が印象的なその風貌には、ミュージシャンというより作家に近いイメージがある。
バンドと並行してインディーズレーベル「only in dreams」を主宰し、「Gotch」名義でのソロ活動も行う。東日本大震災後には「未来を考える」をキーワードにした『THE FUTURE TIMES』という新聞を編集長として立ち上げ、5年間で第8号まで発行を続けてきた。
初のエッセイ集『何度でもオールライトと歌え』には、ユーモラスな身辺雑記と並列して、政治や社会問題についての考えも率直に書かれている。
原発だって、エネルギーだって、軍隊だって、戦争だって、憲法だって、そもそも市民のあり方だって、どうなのよ? って話し合うことを、もう避けては通れない。あまり気にしなくても、誰かがなんとかしてくれたというのも事実だし、そういう状況に甘えながら音楽のことばかり考えてきたし、三十歳を過ぎて、やっとこんなことを言い出している自分のことが心底恥ずかしいと思うけれど。
(『何度でもオールライトと歌え』より引用)
でも、俺は、無知とか、無教養とか、そういう場所からでも、ちゃんと始めたいと思う。どうせ馬鹿だからと卑下して、勝手に退場せずに、いま目の前にあるラインをスタートにして、また勉強したいなって思う。
ミュージシャンが社会的な発言をすることに関しては様々な反響があると、後藤は言う。共感もあれば反対意見もある。「音楽だけをやっていてほしい」という声もある。
しかし「面倒くさくても自分はそれをやるべきだと思った」と後藤は言う。
「坂本龍一さんや忌野清志郎さんがいたことは、自分たちの世代にとって『社会に対して声を上げていくことは間違っていなかった』と思うための力になっているんです。そういう火を消してはいけないと思う」
その意識はいつ培われたのだろうか。デビュー前から彼を知る所属レーベル・キューンミュージックのチーフ・ゼネラルマネージャー兼制作部部長、白井嘉一郎は「後藤が変わったとは思っていない」と言う。
「震災後に『THE FUTURE TIMES』を始めてから政治や社会問題について公に発言することが増えたけれど、彼がもともと持っていた社会的な関心や問題意識は、それ以前と大きく変わったとは思わないですね」
レコーディング・スタジオで共に作業しながら、その時々の社会情勢について意見を交わしあうことも多かったという。
「笑わせてみんなをまとめる」のが本質
後藤が音楽にのめり込んだのは、18歳の頃だった。当時夢中になっていたのはオアシスなどのUKロック。ギターもろくに弾いたことはなかったが、大学の音楽サークルで一緒になったギタリストの喜多建介と趣味があい、出会ったその日の夜にバンドをやろうと意気投合した。ベーシストの山田貴洋、ドラマーの伊地知潔も同じサークルの仲間だった。こうして20年間、同じ4人でバンドを続けている。
大学時代の後藤について、メンバーは「昔から面白いヤツだった」と声を揃える。サークルのリーダー的な存在でありながら、決して真面目なだけでなく、率先してバカなこともやった。
「身体を張って笑いを取りにいくようなところはありましたね」(喜多)
「人前で裸になったりもしてました」(伊地知)
「大学の時のゴッチは『お前らついてこい』と引っ張るというより、笑わせてみんなをまとめるようなタイプでした。今もそっちが彼の本質のような気がします」(山田)
在学中にバンドは地元・横浜のライブハウスに出演するようになり、4人はプロを意識して活動するようになる。卒業して全員が社会人となった後も、バンドは続けていた。昼間はサラリーマンとして働き、夜はスタジオで練習する。二足のわらじの生活が20代なかばまで続いた。
前出の白井はバンドに初めて出会った時の印象を「全員とても礼儀正しかった」と振り返る。
「渡した名刺をきちんと机に置くところから始まって、さすが社会人という感じでしたね。特に後藤はとても明晰で、社会性の高い人という印象だった。自然体でお金の話もできる。地に足が着いていました」
2003年、アジカンはミニアルバム『崩壊アンプリファー』でメジャーデビューを果たす。翌年アニメ「鋼の錬金術師」の主題歌になった「リライト」がヒットし、アルバム『ソルファ』がオリコンチャート1位を記録。テレビから、街中の様々な場所から、彼らの曲が聴こえてくるようになった。
しかしメンバーは当時のことを「手放しでは喜べなかった」(山田)と振り返る。
「ブレイクしたと言っても、実感がわかないんですよね。お金もすぐ入ってくるわけでもないし、生活もそのままで。ただ、ライブの動員が急激に上がるんです。ツアーをやったらどこに行っても満員になる。そのあたりからゴッチに変化が表れてきたと思います」(伊地知)
想像以上に注目が集まったこと、賛否を含む評価の目にさらされたことによるストレスに後藤が直面した。後藤自身も当時を「メンタルの調子はよくなかった」と振り返る。
「自分がロックスターにされていくことに対する居心地の悪さはありました。見ている奴は面白いかもしれないけれど、これを背負っちゃったら終わるな、と思いましたね」(後藤)
その葛藤とは裏腹に、バンドはその後『ファンクラブ』(2006年)や『ワールド ワールド ワールド』(2008年)など作品を重ね、好調なセールスを続けていく。
「僕たちはそこで助けられなかったというか、あまり良い言葉を彼に投げられなかったのかもしれない」(伊地知)
「音楽的にも、やりたいことと表現力のギャップが積み重なっていた。僕らがそれに応えられないこともあった。なかなか上手くいかないジレンマが『ファンクラブ』以降、4、5年はあったんじゃないかと思います」(山田)
言いたいことを言える環境を自分で作った
バンド内の空気が変わったのは、2011年以降のことだ。
東日本大震災は、後藤を大きく揺さぶった。震災直後から「何か役に立ちたい」という気持ちはあった。復興支援への願いを込めた楽曲も発表し、チャリティにも参加し、義援金も送った。それでもまだできることがある気がした。一方で、原発問題に対してのデモも盛んになっていた。しかし、後藤は、違うやり方で世の中に声を上げる方法はないかと考えた。
そうしてフリーペーパー『THE FUTURE TIMES』を発行することを思い立つ。ヒントになったのがその当時に学んでいた音楽史だった。かつて中世ヨーロッパの吟遊詩人が各地を渡り歩いて様々な情報を伝達していたのと同じように、現代のポピュラー音楽の担い手である自分が、様々な立場の人たちの思いを伝える場を作ろうと決断した。
「ツイッターで『誰か手伝ってくれないかな』って呟いたら、何人か集まったんです。会ったことはなかったけれど、すぐに声をかけました」
『THE FUTURE TIMES』は取材や撮影、出版や配布まで、すべて後藤の自費により運営している。広告を取らず、イベントやグッズの収入で取材や印刷などの費用をまかなっている。有志が手弁当で作業を担っている。フリーペーパーとウェブを用いて営利目的ではない「新聞」を作ろうという彼の意志、「行動を寄付する」というコンセプトに共感する人々が集まった。
後藤は『THE FUTURE TIMES』を制作する中で何度も自ら被災地に足を運んだ。震災の救助にあたった自衛官に話を聞いた。農業をテーマにした号では人類学者の中沢新一と対談を行い、憲法をテーマにした号では憲法学者の木村草太に話を聞いた。自然エネルギーの推進を進める「高山エネルギー大作戦」に取り組む岐阜県高山市長・國島芳明とも対談を行った。様々な出会いから得られたものは大きいと言う。
「沢山の本を読んだこと、沢山の面白い人に話を聞けたことは、とても大きな自分の財産になった気がします。新聞という形で何かを世の中に発信しようと思ったら、アウトプットのための準備が必要になる。それは自分の表現や普段の振る舞いにもつながってくる。そこからある種の人間的な成熟は得られたんじゃないかと思います」
なかでもミュージシャンとしての自分のあり方に大きく影響を与えたのは、民俗学者・赤坂憲雄との出会いから民俗学を改めて学び直したことだったという。網野善彦『日本の歴史をよみなおす』を読んだことも大きな刺激となった。
「民俗学って、つまりはフォークロアなんですよね。権力の側の歴史ではなくて、僕たちの声を書き記して、民話みたいに残していくこと。それがそもそものフォーク・ミュージックだった。フォークって、あんま好きじゃなかったんですよ。貧乏臭い学生が四畳半のアパートでアコギをつま弾くみたいな、そういうイメージしかなかった。でも、それは自分が捉え方を間違えていただけだったんです」
後藤が『THE FUTURE TIMES』を介して他ジャンルの人々との交流を広げていくうちに、バンド内のムードも自然と変わっていった。「メンバー同士が本当に腹を割ってコミュニケーションをとるようになったのはここ数年のこと」と喜多は言う。
前出の白井は、
「後藤が言いたいことを言える環境を自分で作ったというのは、本当に偉いと思います。有言実行なアティテュードによって、自らそれを切り拓いた。そこに関しては賞賛するしかない」
と、彼の活動を評価している。
いろんな人たちが混じり合う場を作る
岩手県・種山ヶ原。7月17日夜、後藤は同地で行われたロックフェス「KESEN ROCK FES.」に出演した。
KESEN ROCK FES.は、高原のキャンプ場で行われるフェスだ。動員は3千人ほど。首都圏のフェスに比べると規模は遥かに小さい。が、出演するアーティストたちも集まったオーディエンスも、このフェスが特別な思いに支えられているのを知っている。
2009年、「気仙地方」として知られる大船渡市、陸前高田市、住田町の地元の有志が「ふるさとを盛り上げよう」と手作りのフェスティバルを立ち上げた。主催者の暮らす地域は震災で甚大な被害を受け2011年は中止を余儀なくされるが、多くの支援が集まり、翌年には再開する。その時に立ち上がったアーティストの一人が後藤だった。
そして、この日後藤はアジカンとしての出演だけでなく、もう一つのプロジェクトにも参加していた。
夜更け、後藤は、朗読劇「銀河ロックンロール鉄道の夜」の出演者としてステージに立った。小説家の古川日出男が中心になって、震災後に東北各地や全国で上演してきた朗読劇「銀河鉄道の夜」の特別編だ。
ピンと張り詰めた夜の空気の中に、古川の熱のこもった力強い声が響く。ステージには、小説家・古川日出男、翻訳家・柴田元幸、詩人・管啓次郎、音楽家・小島ケイタニーラブ、そして「ロックンローラー」の役を与えられた後藤が立つ。彼らが読み上げるのは、宮沢賢治が綴ったジョバンニとカンパネルラの物語を下敷きにして、この日のために書かれたオリジナルの台本だ。
「この汽車は、ロックンロールで動いています」
立ち込める夜霧に包まれ、ギターの鳴らすノイズに乗せて、そんな台詞が響く。小さなステージの上で幻想的な物語が繰り広げられる。
福島県出身の古川は、震災で失われた命への鎮魂の思いを込めて、この『銀河鉄道の夜』のプロジェクトを始めた。被災地を巡る中で、いつか宮沢賢治のゆかりの地である種山ヶ原で上演したいという思いを強めていた。
『THE FUTURE TIMES』での対談やイベント共演を通じて古川と親交を深めていた後藤がそれを聞き、KESEN ROCK FES.の実行委員会メンバーに話を持ちかけた。何度かの話し合いのすえ、後藤自身が参加することで実現にこぎつけた。
活動を共にした古川は後藤正文という人間をこう評する。
「普通だったら、成功した人間は『自分は与えられている人間だ』と考えると思うんです。でも、彼は一貫して『すごく運がよかっただけ』と考えている。自分が得たものを、この社会にいる他の人にどう分け与えるか。そういう思想を持っている人だと思います」
後藤の様々な活動については、古川も震災後に「小説家は小説だけ書いてればいい」と批判されたことを明かし、共感を示す。
「彼は日本の社会のいろんな人たちが混じり合う場を作ろうとしているんですよね。それは正しいことだと思います。真っ直ぐな、真っ当な道を歩もうとしている」
未来の世代のために種をまく
アジカンのフロントマンとして数万人の観衆の前に立つことと、後藤の普段の思索や行動は、密接に結びついている。「アジカンがどうあるかは、自分が世の中にどう作用しているかを映し出す鏡だと思う」と後藤自身も言う。
前出の古川は、バンドの音楽性をこう分析する。
「アジカンのライブは、どこで聴いても音がすごくクリアに聴こえるんです。ああいう風にヌケがよく音が届くことにプライオリティを置いていることが、アジカンのアジカンたるゆえんなんですよね。聴き手を選ばない。そこに圧倒的にスカッとさせる演奏側の覚悟がある。さらに言えば、ゴッチの個人の活動も、社会の中の空気のヌケのよさ、人々の交わりのヌケのよさを考えている。その意味でもブレてないと思います」
世の中に暮らす様々な人々の声を聞き、それが交わる場所を作り、その上で歌を紡ぐ。そういう、長い歴史の中で音楽が社会に果たしてきた役割と同じものを、後藤は今の時代の「ロックスター」として背負おうとしている。
今、後藤は10年後、20年後を見据えてどんな未来を思い描いているのか。そう問うと、「大事なのは、もっと長いビジョンを持ってやることだと思います」という答えが返ってきた。
「作品や文章を残して、未来の世代にパスするのが俺たちの役割だと思います。そのためにも種をまいておかなきゃいけない」
後藤正文(ごとう・まさふみ)
1976年、静岡県生まれ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギター。96年に大学の軽音楽サークルの仲間とバンドを結成し、2003年にメジャーデビュー。新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。インディーズレーベル『only in dreams』を主宰。「Gotch」名義でのソロ活動では9月にニューアルバム「Good New Times」をリリース、9月6日から8都市10公演のツアーがスタートする。6月に行われたBillboard Live TOKYOでの公演を全曲収録したライブDVD「Good New Times」at Billboard Live TOKYOをソロツアーのライブ会場にて先行発売。アジカンとしては12月から結成20周年ツアーが決定している。
柴那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)がある。
[写真]
撮影:塩田亮吾、岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝