Martin Schoeller
すべてが変化したが、何も変化していないともいえるーー#MeTooムーブメントから3年、きっかけを生んだ記者が語る
2020/12/26(土) 09:50 配信
オリジナル2017年10月5日、ニューヨーク・タイムズのスクープ記事が全米を揺るがした。アカデミー賞受賞作を数多く生み出してきた大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの約30年にわたる女優や女性従業員へのセクハラや性的暴行の数々が白日の下にさらされたのだ。この報道をきっかけに、全世界に#MeTooムーブメントが波及したのは記憶に新しい。あれから3年、世界は変わったのか。ワインスタイン取材をリードした調査報道記者のひとり、ミーガン・トゥーイーに聞いた。(インタビュー・文:冨永真奈美/構成:Yahoo!ニュース 特集編集部)
世界中で文化的なシフトが起こっている
今年3月、ワインスタインに、女性2人への性的暴行などの罪で禁錮23年の実刑が言い渡された。彼は現在収監中である。トゥーイーたちの記事をきっかけに、セクハラの告発によって著名な司会者や議員が次々に辞任するという現象も見られた。世界中で#MeTooムーブメントが巻き起こるなど、セクハラや性的暴行に関する認識や環境は変化を遂げているように見える。
――この3年で、どのような変化があったのでしょうか。
「企業やビジネスの分野ではセクハラ問題への認識が高まっているものの、それを受けてコーポレート・ガバナンスや人事システムに抜本的な方針転換が起こっているかといえば、そういうことはありません。特にいわゆる低所得者層の女性を取り巻く職場環境には、ほとんど変化が見られない状況です。また、セクハラや性的暴行から被害者を守る法律の整備も停滞しています」
「ただ、より幅広い視点で見れば、確実に大きな変化が起こっています。それはアメリカを含め世界中で爆発的に起こっている文化的なシフトです。まさにダムが決壊したかのように、多くの人がセクハラや性的暴行の問題について語り合っている。このシフトは記事を公開した直後から始まっていました。自身の被害を告白したい人々から、洪水のような勢いでメールや電話が入りましたからね。そうした告白は報道記事だけでなくSNSを通じて一般に公開され議論されている。この動きは今でも続いています。この3年を総合的に見れば、『すべてが変化したが、何も変化していないともいえる』という表現が当てはまりますね」
見えていない問題を議論し解決することはできない
今回のアメリカ大統領選挙では、共和党のドナルド・トランプ氏と民主党のジョー・バイデン氏が次期大統領の座を争った。二極化が進むアメリカでは、税制をはじめ、医療制度、移民政策などの様々な分野で国民の意見が大きく分かれている状況だ。
――選挙結果を受けて、セクハラや性的暴行問題の解決を含め、女性を取り巻く環境は今後どのように変化するでしょうか。大きな影響は受けないという意見も聞かれます。
「政治家にまつわるセクハラ問題は、政敵を攻撃するための武器として残酷なまでに利用されました。今アメリカは著しく二極化しているため、その傾向がさらに激しい。セクハラ問題は、民主党でも共和党でも互いを政治的に攻撃する『聖戦』へとすり変わっていきます。当の被害者の女性は忘れ去られてしまいます」
「一方で、前進を示すサインも数多く見られます。ワインスタインの記事がきっかけで、セクハラ問題に関する沈黙が破られ、#MeTooムーブメントへと発展しました。アフリカ系アメリカ人の黒人男性、ジョージ・フロイドさんが警官に命を奪われた事件によって、あらためて人種差別が浮き彫りになり、ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)の運動が勃発しました。ジェンダーや人種という垣根を越えて、多くの人々がこうした社会問題について共に語り合っています。こんなことは、かつては想像もし得ないことでした」
「悲観視せざるを得ない要素も多いが、楽観視すべき要素も多いと思います。未来にどんな変化が起こるのか誰にも正確には分かりません。状況を憂えるよりも、社会にはびこる問題について、政治家や活動家など様々な分野の人々が自分の役割を果たしていくことが重要です。ジャーナリズム界にいる私たちは、『真実を明るみに出して報道する』というジャーナリストとしての役割を果たしていく。見えていない問題を議論し解決することはできません。だからこそ議論を喚起し社会に変化を起こすきっかけを作るために、問題を見えるようにすることがジャーナリストの役割だと思っています」
一人ひとりの行動を過小評価してはいけない
ワインスタイン事件を描いた、ジョディ・カンター記者との共著『その名を暴け』を読むと、取材は困難を極めたことが窺える。
――なぜワインスタインのような人間が生まれてしまったのでしょうか。
「主な要因として、組織的な不正の構造があげられます。こうした構造では加害行為は罰されず逆に隠蔽される。結果として加害者の増長を招き、被害者が増えていくのです。獲物を次々と捕獲していくプレデター(捕食者)を思わせますよ。ワインスタインの会社の幹部は、会社に対して性被害を訴えた12人の女性のことを知っていました。しかし示談金や秘密保持契約などについて見て見ぬ振りを決め込んだのです。女性達の弁護士も、訴訟しても勝ち目はないと示談の受け入れを勧めました。そのほうが弁護士も早く確実に高額の報酬を得られますからね」
「ワインスタインは私たちの調査報道を阻止するため、有名な弁護士やスパイを雇い、仕事の成就と引き換えに30万ドルのボーナスを約束していたケースもありました。つまり大勢がワインスタインの悪行を知りながら、彼を正そうとするどころか保護や加担さえしている。権力のある人々が権力を乱用し、権力の無い弱い立場にある人々を痛めつけているわけです。こうした組織ぐるみの共謀は規模の大小に関わらず、あらゆる国や業界で起こっているのではないでしょうか」
――どの段階でワインスタインの調査報道が結実すると確信しましたか。
「実のところ、調査の終盤までなかなか確信が持てませんでした。彼の権力はまだまだ強大でしたから、実際私たちの前に、何人かのジャーナリストが断念している。このためニューヨーク・タイムズは組織的な支援体制を組み、私とカンターの2名の他にも多様なリソースを投入して取材を進めたのです。私たちはまず、被害を受けた女優や元従業員を探しました。連絡に応じてくれる女性は徐々に出てきましたが、オンレコ(実名)での証言はできないと言われましたね。無理強いはできませんから、話し合いと説得を重ねていきました」
「その中で、ワインスタインが申し立てをした女性の口を封じるために示談金を支払い、秘密保持契約を締結させていたことが明らかになってきました。そこで秘密の示談に関する証拠書類も細かく集めていったのです。私たちは取材対象者一人ひとりを訪ね、粘り強く必要な情報を得るという昔ながらのジャーナリズム手法で調査を続けたのです。女優のアシュレイ・ジャッドがオンレコで記事に出ることを決心してくれたことで、記事を公開する十全な条件がやっとそろいました。非常に長い道のりでしたね」
トゥーイーはある女性から、「私は25年間、誰かが玄関のドアをノックしてくれるのを待っていました」と言われたという。心の奥深くに閉じ込められていた声は、「過去を変えることはできないけれど、私達が協力し合えば他の人々を守れるかもしれない」という両記者の言葉に導かれて報道された。その結果、社会はセクハラや性的暴行は犯罪であると改めて知り、根強い社会的不公正や権力の不均衡の中、守らねばならない人間の尊厳に向き合うこととなった。
――セクハラや性的暴行は世界共通の問題で、今後も議論が続きます。
「『その名を暴け』には悲痛な内容が含まれていますが、一人ひとりの個人が勇気を持つことで何を成すことができるのか、その克明な記録でもあります。その一人ひとりにはハリウッドの人気女優もいれば、イギリスのウェールズで子育てをしながら静かな生活を送っていたお母さんもいました。真実の力で何かを成し遂げるためなら闘うことだっていとわない。そうした一人ひとりの勇気ある行動を過小評価してはいけません。国や業界を問わず、個人の勇気ある行動によって達成できることは多いと思いますよ」
ミーガン・トゥーイー
ニューヨークタイムズの調査報道記者。女性や子どもの問題に焦点をあて、ロイターニュース記者時代の2014年にピュリツァー調査報道部門の最終候補者に。ジョディ・カンターと取り組んだハーヴェイ・ワインスタインについての調査報道で、ジャーナリズムの分野で最高の名誉とされるジョージボルク賞や、ニューヨークタイムズとしてピュリツァー賞交易部門を受賞している。ワインスタイン報道の全容をまとめたカンターとの共著「SHE SAID」(邦訳は「その名を暴け」)がある。
冨永 真奈美(とみなが・まなみ)
ライター・翻訳家。広島県出身。社会問題をはじめ、ライフスタイル、文化、ワイン、旅行、デザインまで幅広い分野で執筆と翻訳を行っている。訳書にデザインコレクションブック『ジャスパー・モリソン: A Book of Things』(ADP出版)など。