「娘は18歳で社会に出なければなりませんでした。他に選択肢がなかったので……」。知的障がいのある娘を持つ父親はこう話した。一般的な高校を卒業した人と特別支援学校の高等部を卒業した障がい者の進学率には、約27倍の差がある。なぜ選択肢が少なく、このような差が生まれてしまうのか。最新の現場を取材した。(取材・文:Yahoo!ニュース 特集編集部、写真:黒田菜月)
高卒後の進学「選択肢すらありませんでした」
東京都内に住む長谷川正人さん(60)の娘、明日菜さん(28)には重度の知的障がいがある。進路選択を迫られたのは、特別支援学校高等部の卒業を控えた10年前のことだ。長谷川さんはそこで、大きな戸惑いを覚えた。
「進路面談で、学級担任が『実習に行ったことがある福祉作業所で働きましょう』と言うんです。明日菜の発達段階は幼稚園の年中か年長くらい。働くには早すぎるのではないか、まだ成長するのではないか、と」
しかし、当時暮らしていた福岡県には、知的障がい者が支援を受けながら通える進学先はなかった。ならば、留年できないか。学校に相談したが断られた。
明日菜さんは結局、作業所などで支援を受けながら働く福祉作業所に通うことになった。長谷川さんが言う。
「健常者の大半は進学する時代です。大学や短大、専門学校に行って、好きなことを勉強したいとか、資格取りたいとか、バイトしてお金ためて旅行したいとか、いろんな夢を持って青春を謳歌できるのに……。娘にも、もっといろいろな経験をさせたかった。だけど、社会に出なければなりませんでした。選択肢すらありませんでした」
知的障がいのある子どもが18歳を過ぎても学び続けられる場所。それがないなら、自分でつくれないか、と長谷川さんは考えた。
福祉施設の経営をしていたこともあり、2年後の2012年、福祉型大学として「カレッジ福岡」(現・ゆたかカレッジ福岡キャンパス)をオープンさせた。
もちろん、通常の「大学」とは違う。制度上は福祉サービスに位置付けられる。「自立訓練事業」と「就労移行支援事業」を組み合わせた4年制で、利用者に自己負担はない。
待ち望んでいた「福祉の学びの場」
カレッジ福岡開設の2年後には、「カレッジ早稲田」(現・ゆたかカレッジ早稲田キャンパス)もできた。三富元太さん(25)は2014年に1期生として入学し、4年通って卒業した。
元太さんはもともと、特別支援学校高等部を卒業した後、一般企業への就職を目指して、まずは事業所に行くことになっていた。そんなとき、高等部で「ゆたかカレッジ」を知る。
「姉が大学に行っていたので、勉強とか、飲み会とか、部活も楽しそうでいいな、って。それでカレッジに通うことにしました」
母の由子さんは、こう振り返る。
「“特別支援学校を卒業したら就職”が当たり前だと思っていました。この子も大学生のような生活を送れるなんて……待ち望んだ話でした」
元太さんは、カレッジでの「自主ゼミ」が忘れられないという。自分の興味のあるテーマを1年かけて掘り下げる。元太さんは地元の「浅草」をテーマに研究し、論文発表会で優勝した。
「びっくりして泣いちゃいました。『え、おれ?』って。母も泣いていました」
由子さんは言う。
「高校まではけんか早くて友達とのトラブルが多かったですね。企業への就職も決まらなくて……カレッジに入ってからは、人の弱点とか苦手な部分を受け入れられるようになったと思います」
カレッジ卒業後は介護関係の会社に就職し、主に清掃業務を担当している。
「ゆたかカレッジ」は現在、九州と関東に計8カ所。初めは「なんで知的障がい者に学びが必要なんだ」「早く自立して就職させたほうがいいじゃないか」という意見もあった。次第に理解者が増えてきた、と長谷川さんは感じている。
「知的障がい者は、発達が緩やかです。健常者は10歳前後で反抗期を迎えるのに、20歳で反抗期を迎える人もいます。そして反抗期を経て子どもは飛躍的に成長する。たとえば、高等部を卒業するときは福祉作業所で働く予定だった生徒が、カレッジで成長して一般企業への就職を目指せるようになる。資格をいくつも取る学生もいる。そういう話を聞いて、『自分の子だってもっと成長するんじゃないか』と希望を持つ保護者も出てきました」
「ゆたかカレッジ」以外にも、学びを提供する福祉施設は少しずつ増えている。2000年代に北海道、大阪、兵庫などで事業所が開設された。2019年には新潟や神奈川でも新たに開かれた。それでも、決して多い数ではない。
「合理的配慮」を当たり前に
文部科学省の調査によると、2018年3月に特別支援学校高等部を卒業した人のうち、大学や短大、専攻科に進学した人の割合は2%。知的障がい者に限ると0.4%だった。
一般の高校卒業者の大学、短大への進学率は54.8%で、大きな差がある。これに対し、高等部を卒業した障がい者の実に9割は「就職」か「社会福祉施設などに入所・通所」している。
これを外国と比較すると、どうか。例えば、韓国教育部の「特殊教育年次報告書(2019年度)」によると、韓国では、特殊学校(日本の特別支援学校高等部に相当)の卒業生のうち、進学は55.7%に達している。また、米国では障がい者には21歳まで適切な教育を無料で提供することを定めた法律がある。
ただ、時代も少しずつ変わってきている。2016年に障害者差別解消法が施行され、国公立の学校は障がいを理由に入学を断ることができなくなった。全国障害学生支援センターの調査によると、知的障がい者が通う大学は2017年度に14校。国立の新潟大学はその一つである。
同大学では2014年に「特別修学サポートルーム」が開設された。障がいのある学生のための相談窓口で、特別支援教育を専門とする長澤正樹教授が部門長を務める。
「新潟大学には学部学生、留学生、大学院生、合わせて1万2000人ほどいるので、支援が必要な学生はいて当たり前ですよね。大変言いにくいのですが、それ以前は必要な支援を受けられず、ドロップアウトする学生もいたかもしれません」
サポートルームは、学生と面談し、個別支援計画書を作る。例えば、ADHD(注意欠陥・多動性障がい)の学生には「レポートの提出期限を延長する」「講義の途中退出を認める」など、障がいの特性と必要な合理的配慮を記入し、各教員に通達する。
サポートルームで支援対象の学生と向き合うのは、同大学特任教授の能登宏さんと特任助教の原田早春さんの役目だ。2018年度の対象学生は65人。能登さん1人で年間1000回ほどの面談をこなしたという。
能登さんは「本当に(大学などの)高等教育機関への進学を勧めていいのか分からなくなるときもある」とも明かす。
「自由度の高い大学や専門学校に行くことで、不適応を起こして新たな障がいを抱えたり、ドロップアウトしたり。『大学なんて来ないで高卒で働けばよかった』と後悔する学生も見てきました。中退して就職に困るくらいなら、早期に就労したほうが人生幸せだという考え方もあるのかなと……」
能登さんの迷いを引き取るように、原田さんはこう語った。
「進学したからこそ得られる機会、経験がたくさんあると思うんです。進学した結果、うまくいかなかったとしても。だから、機会の偏りをなくすことが重要だと思います。早期就労をよしとする考え方だけではなくて、選択肢を提供していくことが必要ではないでしょうか」
ただ、大学によってサポート体制は大きく異なる。能登さんは言う。
「障がい学生専門の窓口がない、障がいの専門家のいない大学もある。私立など全ての大学で受け入れ態勢を整えるには、まだまだ時間もお金もかかると思います」
さらに、知的障がいがあると学力試験も大きなハードルになる。介助を必要とする場合もある。
そんな人たちが高等教育を受ける場として、「特別支援学校専攻科」がある。
立ちはだかるいじめ
東京都練馬区にある私立特別支援学校の旭出学園は、知的障がい者を対象とした専攻科がある。
軽度の知的障がいのある専攻科2年生の澤田海さん(20)は「実習が一番楽しいですね」と言う。取材の日、海さんは企業から受注したリサイクルの仕事を、仲間3人とこなしていた。
小学校は地元の公立校。母の亜矢子さん(57)は「小学校中学年くらいから周りの子と違いが出てきました」と振り返る。
「勉強も運動も、周りの子と比べて自信をなくしてしまって。下級生にからかわれて嫌な思いをすることもありました。幼い頃から一緒に過ごしてきた同級生の仲間は守ってくれたのですが……」
小学5年生のとき、亜矢子さんは海さんに障がいがあることを伝えた。すると、少しほっとした表情を浮かべ、自ら別の学校に通うことを選んだ。
同学園の岡田馨校長は言う。
「特別支援学校には、いじめに遭ったり、周りと比べて自信を失ったりと、トラウマを抱えた生徒が少なくないんです」
旭出学園に入って、海さんに変化はあったのか。亜矢子さんは「小学生のときはやりたがらなかった運動が、実は好きだった、と。旭出の先生に聞いて初めて知りました」と言う。
通常は高等部に進むと、就職の準備に入る。
ただ、海さんは「3年間は高校生として楽しみたい」と希望した。旭出学園には専攻科があるので、高等部の3年間は運動クラブの活動など、好きなことに打ち込んだ。苦手なものに挑戦するようになったのもこの頃だ。
いま、親子の表情は明るい。
ただ、海さんが通っている「特別支援学校専攻科」は現在、全国に9校しかない。しかも、そのうち8校は私立だ。
冒頭で紹介した「ゆたかカレッジ」の長谷川さんは、こう話す。
「大学や短大、専門学校に行きたいか、行きたくないか。それ以前の問題なんです。進学の選択肢を持てる障がい者は現状、ごく一部です」
「障がい者が日常に溶け込む環境を」
厚生労働省が2014〜2016年に実施した調査の推計によると、日本の人口の7.4%、約13人に1人に障がいがある。しかし、普通学級に在籍する障がい者は小学校で約3割、中学校だと約1割。高校ではさらに減り、健常者と障がい者の“分離”は進んでいく。
国学院大学人間開発学部の特別支援ボランティアサークル「SNET」の山本未由さんは、「ゆたかカレッジ川崎キャンパス」の学生と交流したことがある。「正直、これまで障がい者と関わる機会がなくて。最初はどうやって話したらいいか分からず、戸惑いました」。
“分離”していた健常者と障がい者は、社会に出たときに再び交わる。そのとき、多くの人は、山本さんのように戸惑うしかないのだろうか。
「ゆたかカレッジ」をつくった長谷川さんは、こんな展望を描いている。
「大学内に普通科クラスを併設するなどして、障がい者が当たり前に日常に溶け込む環境をつくりたいんです」
――それはなぜですか?
「知的障がい者が大学に通うと言うと、『大学をなめるな』という意見も受けます。ですが、学士や単位を取らせろというわけではありません。では、何のために通うのか。日本では、(障がい者の)早期就労が良しとされています。働けてよかったね、と。でも、それは差別ではないですか? 障がいがあっても、学んだり、青春を謳歌したり。健常者と同じように選択肢があっていいはずです」