岡本裕志

同僚の雑談が聞こえない 聴覚障害者が突き当たる壁

2016/4/22(金) 19:34 配信

「音」がない世界を想像してほしい。例えば、職場。同僚たちが何かを話し合っている。上司が目の前で何かを告げている。しかし、身振り手振りや動く口元は見えても、音はない。周囲のざわめきも聞こえない――。そんな世界にいたら、周りの人々とコミュニケーションをどう進めればいいのだろうか。どうやって仕事を進めていけばいいのか。現実にそんな人たちがいる。働く聴覚障害者は日本で推定約5万8000人。「手話とコミュニケーション」の現状と課題、そして、未来を取材した。(Yahoo!ニュース編集部)

聴覚障害者のための就労支援施設「手楽来家(てらこや)」は新潟市内にある。利用者は23人。そのうち21人は一般企業で働いた経験があり、今は職業訓練をこなしながら再就職を目指している。北村浩幸さん(48)もその1人だ。

北村さんは生後数カ月で、病気のために耳が聞こえなくなった。成人後、「手楽来家」に来るまで3つの企業で働いた。20歳からの3年間は製造業で正社員、次は別の製造業で正社員を13年間。その後は43歳まで物流関係の会社でアルバイトを続けていた。

手話でコミュニケーションする北村浩幸さん(撮影:岡本裕志)

最後の会社は、勤務先の部署が閉鎖になった。それに伴って北村さんも職を失うが、同僚たちが経営の悪化した会社を去る中、北村さんは失職の寸前まで経営悪化に気付かなかったという。

なぜ、そんなことが起きたのだろう。手楽来家の支援員の「手話」による通訳を介して、質問を重ねてみた。

土壇場まで知らなかった「職場の異変」

「勤めてしばらくすると、耳の聞こえる人が少なくなりました。仕事が忙しすぎて減ったんだろう(と思っていた)。人がとんどん減って(いつも以上に仕事を)早くやらないといけない。それなのに人が少なくなって、どうしたのかなと思ったら(勤務部署の)閉鎖だったんです。僕は知りませんでした。分かりませんでした」

周囲の人たちは「閉鎖」を知っていたのでしょうか? その問いに、北村さんは「そうです」と手話で即答した。

北村さんは就労支援を受けながら再就職を目指している(撮影:岡本裕志)

北村さんの手話は続いた。

課長から正式に閉鎖を知らされる少し前、いつも自分を気に掛けてくれていた社員が紙で「閉鎖」を知らせてくれたという。

「そうなんだ、閉鎖なんだ。人が辞めていくのは閉鎖のせいだったんだって(初めて理解した)。僕はそれで知ったんです。(閉鎖を教えてくれたのは)健常者です。教えてくれてありがたかった」「(同僚の)女性たちは、いっぱい噂をしていたみたい。(その会話を理解できない自分は)蚊帳の外でした」

職業訓練の一環で、ダイレクトメールの配達をする北村さん(撮影:岡本裕志)

北村さんは8年間勤務していながら、自らの日常を一変させる勤め先の「閉鎖」という情報を土壇場まで知ることができなかった。

「仕事中に聞きたいことを紙に書いても、簡単なやりとりしかできません。(筆談は)言いたいことをうまく書くのも難しいですし、書いて渡すのも気を遣います。渡される側も面倒に感じていたと思います」

聴覚障害者には「雑談情報」が入りにくい

聴覚障害者の雇用に理解を示す企業であっても、職場のコミュニケーションが万全とは限らない。

聴覚障害者のための就労支援施設「手楽来家」の下駄箱。利用者たちの靴でいっぱいだ(撮影:岡本裕志)

「手楽来家」を運営するNPO法人「にいまーる」の理事長、笠原志郎さんは「聴覚障害があっても能力を持った人はたくさんいる」と語る。問題は職場でのコミュニケーションにある、と強調する。

「手話は覚えるのが大変で、一般の方でわかる人は圧倒的に少ない。会社が聴覚障害者を受け入れても、コミュニケーションの取れない状況が続くわけです。筆談も文章の理解力や情報の不足が必ずある。どうしても(意思疎通の速度が)遅れます。就職して相手にされなかったら、自信をなくし、引きこもってしまう。聴覚障害者は実際は何でもできるのに」

「手楽来家」では、計算の訓練もおこなう(撮影:岡本裕志)

聴覚障害者の労働問題に詳しい第一生命経済研究所の水野映子・上席主任研究員は、働く聴覚障害者が抱える問題をこう指摘する。

「情報が入ってこない、自分の意見が言えない、そもそも会議に呼んでもらえないとか。あと、雑談の中から得られる情報も多いと思いますが、聴覚障害者にはそういった情報が入ってこないのです」

水野さんが2013年に実施したアンケート調査によると、「情報が他の人より遅れて伝わる」「自分の意見を言うタイミングがつかめない」という悩みを持つ聴覚障害者がいずれも8割以上に達していた。

聴覚障害者と支援員は「手話」でコミュニケーションを重ねる(撮影:岡本裕志)

「手話」と「日本語」の違いが、コミュニケーションを阻害することもある。聴覚障害者がふだん使う手話は「日本手話」と呼ばれ、健常者が話す日本語とは文法や語順が必ずしも一致しない。「で」「に」「を」「は・が」などの助詞を使いこなすのが苦手な人もいる。そのため、聴覚障害者が文章を書くと、言いたいことが正確に伝わらないケースがある。

実際、「手楽来家」の利用者たちは、以下のような文章を書いたことがあるという。

「会社で一つ財布を忘れるので、拾ってください」「別に新しい家ができた祝いおめでとう」。彼らが本当に伝えたかったのは、それぞれ「会社に財布を忘れたので預かっておいてください」「話は変わりますが、引越しおめでとうございます」という内容だった。

聴覚障害者が書く文章は、通常の日本語と異なる場合がある(撮影:岡本裕志)

全日本ろうあ連盟事務局長の久松三二さんによると、全く耳が聞こえない人は、意識しながら「日本語」を習得しなければならない。それは「日本人が意識して英語を学ぶことと同じ」だという。

最新技術で健常者との「ズレ」をなくす

聴覚障害者と健常者のコミュニケーション。その「ズレ」を最新技術によって克服しようと試みている企業が東京にある。

東京・浜松町の世界貿易センタービル。その29階の会議室に3月下旬、聴覚障害者参加型のコミュニケーションツール「LiveTalk」の開発者らが集まった。聴覚障害者と健常者の双方が、同時にコミュニケーションを取れる画期的なシステムで、富士通が開発した。

開発チームに加わった松田善機さん(31)は入社8年目。自身も2歳ごろ、聴覚障害があることがわかった。手話は大学で覚えた。それまでは相手の口の動きで言葉を読み取っていたという。

聴覚障害がありながら、大手IT企業の富士通で働く松田善機さん(撮影:岡本裕志)

ミーティングが始まった。司会の男性社員が「まず、『LiveTalk』の好きなところから。私はこれがなければ、どういう風に松田さんとコミュニケーションを取ればいいか、分からなかった」と口を開いた。開発リーダーの男性は「松田君と話すとき、顔と顔、目と目をずっと合わさないといけなかった。『LiveTalk』の場合、視線を外しても話ができる」。

いったい、どんなシステムなのだろうか。

「LiveTalk」は音声をリアルタイムで認識し、文字に変換してパソコン上で表示する。複数の人による会話も文字にしていく。同じ話題をリアルタイムで共有できることに最大の特徴がある。つまり、コミュニケーションに「ズレ」がない。

マイクに向かって話しかけると、収録された音声が文字に変わる(撮影:岡本裕志)

開発メンバーの1人はこれまでの会議で、議論の内容をパソコンで要約筆記して松田さんに見せていたという。「せいぜい20分が限度ですね。20分経つと手が疲れて、話の内容を打つのが大変で」。それを機械が代行してくれるようになり、筆記に伴うストレスも大幅に減った。

松田さん自身はどう感じているのだろう。

「要約筆記だと、発言者の話が終わっても筆記は続いているんです。質問があっても、できないときがある。リアルタイムで付いていくことが難しい。(このシステムだと)相手が同じことを2回言ったとか、要約筆記だと省かれる情報も含まれています」

音声は次々と文字に変換され、パソコンの画面に表示されていく(撮影:岡本裕志)

「私は小中高と普通の学校に通ったけど、先生や周りの人たちの間で話が行き交うんですよ。(自分には分からないので)嫌だなと思った。会議に呼ばれないこともあって、後で議事録を開いたりして煩わしかった。これを使えば、(発言したいときに)言えるようになった。よかったな、と」

最新ツールの導入や周囲の理解によって、聴覚障害者の働く環境を少しでも良いものにしていくことが期待されている。

※冒頭と同じ動画

[制作協力]オルタスジャパン
[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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