「僕には発達障がいがあります。疲れやすいので、自分に合った働き方を見つけたい」「アルバイトをしたことがなく、仕事の経験を積みたい。目が見えないので、移動介助をお願いするかもしれません」――。そんな自己紹介から障がい者向けの企業インターンシップは始まった。健常な学生と違い、障がい当事者の就職活動にはいくつもの壁がある。当事者の「働く」経験が少なかったり、企業が障がい者と働き慣れていなかったり。壁を少しでも低くするためには、長い時間も必要だ。7カ月に及ぶ「障がい当事者のインターンシップ」に密着した。(文・写真:吉田直人/Yahoo!ニュース 特集編集部)
アルバイト経験乏しく
今年の3月11日、東京・日本橋。日本IBM本社の一室にリクルートスーツ姿の男女が顔をそろえた。大学1年生から既卒者までの26人。全員が障害者手帳を持っている。
障がいのある学生・院生向けのインターンシップ「アクセス・ブルー」の初日である。
こうしたインターンシップは近年、多くの企業で行われるようになってきたが、「アクセス・ブルー」のように数カ月に及ぶものはほとんどない。この取り組みは2014年に始まり、今年で6年目。参加者は多様で、身体障がい者もいれば、発達障がいの人もいる。自己紹介の場では「アスペルガー症候群で、空気を読むのが苦手ですが、創作活動は得意です」と話す人もいた。
大学4年生の杉崎信清さんは、特別支援学校の卒業生だ。全盲で、移動には白杖が欠かせない。普段は、点字やテキストの読み上げソフトを使っているという。
高等部時代からプログラミングに夢中で、大学では情報システムを専攻。IT企業への就職を希望している。
「視覚障がい者はアルバイト先を見つけるのも大変です。だから、社会経験の乏しさがずっと心配でした。それと、これまで一人で完結する作業ばかりやってきたから、誰かと協働する経験を積みたかった」
既卒者の品田英里さん(仮名)は「自己理解を深めて就労ビジョンを描けるように」と思い、参加した。
広汎性発達障がいの診断を受けたのは、大学生の時。卒業後は、在宅で仕事をしながら、就労移行支援事業所に通っていた。
「自分の欠点に目が向いて落ち込むことが多くて……。以前はバイトの応募サイトを見るのも嫌でした。(就労移行支援)事業所でも作業の目的が見えず、継続的に通うことができなかったんです」
9月まで7カ月も続くインターンシップとは、どんな内容なのだろうか。
春は、ビジネスマナーやプログラミングなどのITスキルを学ぶ。先生役は日本IBMで働く障がいのある社員や研究機関のエンジニア、大学教授など多彩だ。5月に入ると、取引先にビジネスプランを提案するロールプレーや、アプリケーションの開発プロジェクトに取り組む。
夏には外部企業に出向いての職場体験。終了間際の2週間は、日本IBMの各部署に配属され、実務トレーニングを繰り返す。
一連のメニューは、企業の新人研修さながらだ。この間、参加者は給与をもらいながら学び、実業務を想定した大小のチームワークを行う。在宅ワークも可能だ。
当初は企業内にも「反対」の声
「アクセス・ブルー」の発案者は、人事・ダイバーシティー企画担当部長だった梅田恵さんだ。今は転職先で「ダイバーシティー担当」として働いている。
梅田さんは言う。
「障がいのある学生は、そうでない学生に比べて、社会に出る前の経験の種類がとても少ない。アルバイトができなかったり、『障がいがあるから』と消極的になってしまったり。能力があってもそこが大きな壁でした」
インターンシップを企画すると、社内から「そんなに長期間できるのか」「そこまでお金や労力をかける意味があるのか」といった意見が出た。大学に実施を知らせると、就活の担当者に「応募する学生はいないのでは」と言われもした。
それでも、梅田さんには自信があった。「好奇心を刺激する内容なら絶対に楽しい。楽しくやったら、学生は自ら積極的に参加してくれる」と考えていたからだ。
梅田さんらは当初、障がい別に分けての実施を考えていたという。障がいによって必要なサポートが異なると考えたからだ。しかし、先輩社員の助言もあって合同で実施することにした。
結果から言えば、それは杞憂(きゆう)だった。梅田さんが振り返る。
「肢体、視覚、聴覚とさまざまな障がいの人が集まりましたが、どうしたら互いにコミュニケーションを取れるか、自然と工夫していくわけです。それを見て、心を打たれました。翌年から期間を7カ月に延ばして本格的に予算を確保しました」
「インターンの修了生には、IT人材としてもっと活躍してほしい。私は、障がいのある人も(稼いで)購買力をつける必要があると思っています。そのために、より高い給与をもらえる仕事に就く。障がいがあると受け身になりがちですが、もっと高い目標を持ってほしいし、諦めないでほしい」
「他の障がいのことは分からなかった」
インターンシップは、社会参加への準備でもある。7カ月間も続くこの研修では、それだけでなく、参加者同士の相互理解も進んだ。
参加者のうち、視覚障がい者は、前出の杉崎さんのほかにもう一人しかいなかった。あとの参加者は、障がいの種類も程度も違う。「今まで視覚障がい者のコミュニティーで育ってきた」という杉崎さんにとって、さまざまな背景を持つ人たちとの交流は刺激的だったという。
杉崎さんは言う。
「例えば、発達障がいや精神障がい。最初は、それがどういうものか分かっていませんでした。でも、一緒に仕事に取り組むなかで、接し方が分かってくる。特定の分野に詳しかったり、独特の着眼点を持っていたりして、純粋に楽しかったですね」
アルバイトの経験もなかった杉崎さんはこの7カ月で、自分がすべきか、任せたほうがよいかを区別し、その判断ができるようになったという。メモを取ったり、視覚的に見やすい資料を作ったりするのは苦手。その代わり、自らには積極的な質問や発表を課した。
「みんなが同じ作業をしているとか、自分の得意なことを別の人がやっているとかではなく、個人の能力を最大限に生かしていく。それが理想のチームワークだと気付きました」
広汎性発達障がいのある前出の品田さんにも、7カ月の間に大きな転換点があった。チームワークで初めてリーダーを務めたときのこと。慣れない立場に戸惑い、体調を崩して別室で休むこともあった。
「独りよがりになってしまっていたんです。そんな時にメンバーから、『リーダーが頑張り過ぎていませんか? せっかくのチームワークじゃないですか』と言われて。それからだんだん、役割分担を覚えていきました」
社会で就労することに関し、それまでは具体的なイメージも見通しもなかったという。その自信もついてきた。
「私は人の話に耳を傾けたり、議論を端的にまとめたりするのが苦手です。発達障がいは、どこまでが自分の障がい特性なのか、(自分でも)捉えにくいところがあるんですが、自分の強みと弱みを客観視できるようになりました。苦手なことは補ってもらえばいいんだと、少し気が楽になったように思います」
「人生を変えたインターンシップ」
このインターンシップの参加者は、今年も含めて累計で135人になる。プロジェクト・マネジャーを務める日本IBMの及川政志さん(50)には、思い出深いインターン生がいるという。
その女性は、筋力が徐々に低下していく難病「脊髄性筋萎縮症」で、インターンシップには電動車いすで通っていた。大学では福祉を専攻し、進路も福祉業界に定めていたという。ところが、インターンシップの経験を通じて「ITの知識を福祉の分野に生かしたい」と考えるようになり、システムエンジニアになった。
「彼女は『人生を変えるインターンシップだった』と言いました。人が変わる瞬間を見るのはうれしい。『彼ら、彼女らはなぜ変われたのか』を考えることが、僕らの役割だと思っています」
障がい当事者の選択肢を少しでも広げるにはどうしたらいいか。その観点で日本全体を見渡すと、もどかしさを感じることもある。
「この課題は、一部の企業だけのインターンシップでは解決しません。『障がいのある人と働く』という体験は、実際に働く現場に継続的に残っていかないといけない。そうしないと理解は広がっていかないのです」
そうした全体像の中で、「企業は(就労の)一番下流にいる」とも及川さんは考えている。
「上流が、それぞれの課題にどう向き合うか。そこが大切だと考えています。例えば、教育。当事者の周囲が、最初から『あなたには障がいがあるから働くのは無理、進学なんて無理』と言っていないでしょうか?」
実際、文部科学省の2017年度調査では、特別支援学校(高等部)卒業生約2万1000人を数える。その進路の多くは「就職」と「社会福祉施設等入所・通所」だった。就職の6411人を見ても、いわゆる専門職は71人。大学などへの進学率は1.9%にとどまっている。
障がい者の進路の幅が広がれば、進学して専門的な知識を身につけ、インターンシップで企業との接点を持ち、就労の選択肢を増やせるのではないか――。及川さんはそう感じている。
及川さんは言う。
「彼ら、彼女らが人生を選択する分岐点を見つけて、新しい選択肢を示す。その選択を社会全体で支えていく必要があると思います」
参加者は障がいのある学生のごく一部
大学側にも課題はある。
九州大学キャンパスライフ・健康支援センターの面高有作さんは長い間、障がいのある学生の支援に携わってきた。「アクセス・ブルー」のような取り組みに賛同しつつも、こう話す。
「インターンシップに参加するのは、障がいのある学生のごく一部。どう支援を広げていくかが課題です」
面高さんが特に着目するのは、発達障がいの学生だ。
「肢体や聴覚・視覚の障がいは、必要な支援がある程度明確なんです。けれども、発達障がいの場合は、どんな支援が必要なのか、当事者自身にも分からないことがある。『大学に入れたから大丈夫だろう』と思っていたら、単位取得につまずき、違和感を抱えたまま過ごしている学生もいる。そんな学生に早い段階で気付いて、キャリア支援の流れにどう乗せるか。そこが大切です」
支援ノウハウが大学側で整っているとも言い難い。
「大学はまだ閉じていると思うんです。もっと外に開いて、企業との接点をつくらないといけない。学問の専門性を磨くことのみがキャリア教育だと思われている側面もあります。でも、発達障がいの学生はどうキャリアを積んでいけばよいのか? それを大学の支援担当者が理解していないと、雇用のミスマッチにもつながりかねません」
そして、こう続けた。
「障がいのある学生たちは『働きたい』と思っている。だから働けるようにサポートする。これに尽きるんです」
7カ月後、参加者たちは……
「アクセス・ブルー」に参加した大和幸菊さんは大学3年生だった昨年、ADHD(注意欠陥・多動性障がい)の診断を受けた。大学生活になかなか適応できず、通院などをしながら大学に通っている。このインターンシップには「友人や親を心配させたくない」という思いで参加したという。
この7カ月を通じて、大和さんは「表明する勇気」を学んだと話す。
「チームワークの時に似たような(障がい)特性の人と作業すると、『もっと発信してくれれば(仕事を)巻き取れるのに』と思うことがありました。でもそれは、人が私に対して抱く感情と同じなんだ、と。表明することで自分が働きやすい環境をつくることもできるし、誰かのためにもなるんだ、と」
大和さんが続ける。
「障がいがあると表明することには、ハードルがあると思うんです。横並びではなく、みんなより後ろからスタートして、いろんなものを飾り付けて、『みんなと一緒かそれ以上だ』というふうに見せないといけない、って。でこぼこでもいいんだ、という社会に到達する過程に私はいるのかもしれません」
7カ月に及ぶインターンシップの最終日は、9月19日だった。
全てのプログラムを終え、修了式には22人が参加。この間に何を得たか、今後はどうするつもりなのか、一人ずつ発表していく。
「今まで自分の障がいから目を背けていたけど、向き合うきっかけになった」
「体調のコントロールについて、社会に出る前に対処法が分かりました」
「自分の障がいをオープンにして、就職活動に臨んでみようと思います」
就職する人、学業に戻る人、就職活動に臨む人……。7カ月をともに過ごした仲間たちのその後はさまざまだ。
前出の杉崎さんは、インターンと並行して就職活動を行い、IT企業から内定を得た。その企業は、初めて全盲の人を雇用する。視覚障がい者の立場とプログラミングの知識を生かし、将来はウェブサービスのアクセシビリティーに関する業務に就くという。
杉崎さんは言う。
「長かったです。でも、終わってみると、あっという間だった気もします。参加する前は、人に頼ることや協働するという意識が欠けていたように思います。他者と働くことに少し自信が持てた、というのが今の心情です」
修了式の最終発表で、杉崎さんはこう締めくくった。
「自分の発信力や前に踏み出す力を磨いていきたい。今日が、次へのスタートです」
吉田直人(よしだ・なおと)
1989年、千葉県生まれ。中央大学卒。2017年からフリーランスライターとして活動中。共著に『WHO I AMパラリンピアンたちの肖像』(集英社)。Frontline Press(フロントラインプレス )所属。