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穐吉洋子

ワンオペ育児の中で「こうでなきゃ」が苦しめる “理想の母親像”の呪縛

2019/11/08(金) 12:01 配信

オリジナル

「お母さんになったんだから、こうしなきゃ」。子育て中の母親の中には、この“理想”にとらわれ、苦しむ人が少なくない。手作りの食事、きれいに片付いた部屋、幼いうちは子どもと一緒に……。それを当然だと思う周囲の人たちには「家族」も含まれる。専門家によると、そうした「あるべき姿」が育児を苦しいものにしている大きな要因なのに、当の母親はそれに気付いていないという。今回は「家族そろってのピクニックが憧れだった」という女性の話から始めたい。(取材:伊澤理江/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「家族みんなで……」に憧れたけど

「土日に公園に行くと、パパ、ママ、子ども。家族みんなでピクニック、憧れました」

東京都内に住む高野友美さん(仮名、30代)は、8年前をそう振り返る。子どもが生まれた直後。ごく普通に思えるそんな風景が縁遠かった。

夫は当時27歳。レストラン勤めのコックで、深夜2時近くに仕事が終わる。その後は夜の街に遊びに出かけ、毎晩のように帰宅は午前4時頃。休みの日は、疲れからずっと寝ていたという。

「『起きてどこか行こうよ』とか、『買い物行くから重いもの持って』とか言うと、しぶしぶついてきて。あなたはこの子の父親じゃないの、っていら立って」

(イメージ撮影:穐吉洋子)

里帰り出産だった。郷里は仙台市。2011年3月の東日本大震災からおよそ2カ月余り後に帰省し、陸に上がったままの漁船を目の当たりにした。大震災の衝撃が続くなか、女児を出産。赤ちゃんには黄疸(おうだん)が出て、白目まで黄色かったという。治療を受けても良くならず、市内の小児病院に転院し、週1回の通院が半年ほど続いた。

子どもと2人きりの生活が始まったのは、東京に戻ってからだ。

出産前、友美さんはウェディングケーキのパティシエとして働いていた。仕事つながりの友人たちは、飲食店勤務の「夜型」。子どもが生まれてからは、友人たちと顔を合わせることもできない。

「私は人見知りが激しいので、友達になりにくいんです。児童館に行っても、『何カ月ですか、かわいいですね。大きいですね。こんなこともできるんですか』って、上っ面の会話をしなきゃならないし……」

高野友美さん(仮名)が経営するカフェで(撮影:伊澤理江)

大人と会話をする機会がない。仕事を辞め、育児中心になって初めて、自分と関わる大人が周囲にいない孤独に陥った。タンスの引き出しを順に開けて、次から次へと洋服を全て引っ張りだしたこともある。

「あの時の私、本当に壊れていたと思う。薬局行って、スーパー行って、の毎日なんです。睡眠もろくに取れず、一人ぼっちで育児して。やることがなさすぎて、凝った離乳食を作っていました。途中で泣かれると、娘に『あなたのために作ってるんだから』って言って、泣いているのを放置して、完璧な離乳食を作ってた。たいして食べないのに……。自己満足です」

友美さんは続けた。

「自分の欲求をすべて無視した状態じゃないと、育児ってできないじゃないですか? 自分の欲求を満たすことが大事だった」

(イメージ撮影:穐吉洋子)

母になって知る「つながりのなさ」

ワンオペ育児につきまとう疲労と孤独。

東京都北区にある民間の子育て支援施設「ほっこり~の」にも、そうした母親たちが次々とやってくる。代表の内海千津子さん(48)は、母親の社会的ネットワークの狭さを感じるという。

「昔ながらの顔なじみの『向こう三軒両隣』的な仕組みを、今の時代はわざわざ作ってあげないと作れないのかな、って。特にワーママは昼間働いているから、地域を全く知らない。育休や退職後になって、初めて地域とのつながりのなさを知り、愕然とするんです」

「ほっこり~の」代表の内海千津子さん(撮影:伊澤理江)

国立社会保障・人口問題研究所が2015年に実施した「結婚と出産に関する全国調査」によると、子どもの追加予定がなく、末子が3歳未満の母親のうち、無職の割合(学生などを含む)は51.9%だった。前回の2010年調査までは6割超。出産後も働く時代になったとはいえ、「3歳未満の子を持つ母親の専業主婦率」は依然として高い。

また、そうした専業主婦家庭において、夫の4割弱は帰宅時間が夜9時以降という総務省のデータもある。

社会との接点が薄くなり、閉じられたかのような空間で、ひたすら赤ちゃんと向き合う……。そんなデータや実例は枚挙にいとまがない。

「理想の母親像」にも追い詰められ

友美さんは「孤独」のみに悩まされていたのではない、という。

寂しい日々の中で、「理想」を追いかけ、それに苦しめられてもいた。「完璧な母親」という理想像。しかも、自身の母親から引き継いだ「母親像」だった。

「私の母は『母親たるもの、常に完璧に』という感じでした。食事はすべて手作り。掃除も行き届いている。自分もレトルト離乳食は使うまい、と自分で自分の首を絞めていたと思います。タンパク質と野菜、彩りも気を配って。果物もつけて、なんなら3時のおやつも手作り、みたいな」

(イメージ撮影:穐吉洋子)

友美さんによると、自身は母親から「あなたが生まれたから私の時間はあなたに捧げた」と言われ続けた。小学生の頃からだという。

友美さんは言う。

「(母が自分にしたように)この子が3歳になって幼稚園に行くまでは、働かずにずっと一緒にいるべきだ、と思っていた。3歳まではお母さんが子育てに専念すべき、っていうじゃないですか? 『3歳児神話』でしたっけ。それを信じていました」

東京で「原宿カウンセリングセンター」を開いている臨床心理士の信田さよ子さん(73)は、これまで多くの母親に会ってきた。その中には、友美さんのような「理想の母親像」に苦しむ女性も少なくなかった。

「どんな母親も子どもを良く育てたい。そのために理想の親になろうとするんです。自分ができなかったことを子どもに託したい。(そもそもは)愛情です」

臨床心理士の信田さよ子さん(撮影:伊澤理江)

最初の動機は愛情であっても、子育てが年数を重ねるにつれ、あるいは時代や環境の変化によって、愛情は子どもにとっての足かせにもなる。

信田さんはこう指摘する。

「日本ではいま、経済が低迷し、格差が広がっています。こんなに二極化が進行しているなか、下(の階層)に入ってしまったらおしまいだ、と多くの母親は思っているでしょう。私たちが子育てをしていた1970年代、80年代よりも、母親の危機感ははるかに強い。だから、いっそう『理想の母親』になろうとするんですね。『理想の母親』というものに対するしがみつきが出てくる。切実さは増しています」

児童福祉の専門家で関西大学の山縣文治教授(65)によると、「理想の母親像」に捉われ自らにプレッシャーをかけてしまうお母さんたちは少なくないという。

「『理想の母親像』に捉われている人、そのことにさえも気づいていない人。いずれも自分の子育てを肯定的に受け入れにくくなります。友人がアップしている、きれいに片付いた部屋のインスタグラムなどを見て落ち込む。隣の芝はいつも鮮やか。子育て中は、部屋が散らかっていても凝った食事を用意できなくても、当然。そう思えたらお母さんたちはずいぶん楽になるんですが……」

山縣文治・関西大学教授(撮影:長瀬千雅)

「公園で寝てたの? 娘を置いたまま?」

友美さんの話に戻ろう。

娘が7カ月になった頃。「孤独」と「理想の母親像」に取り囲まれていたさなか、保健師が自宅に来た。

その日のことを友美さんはよく覚えている。

「楽しかった。大人としゃべれる、自分の話を聞いてもらえる。これって大事だな、って。『頑張ってるね』って、ねぎらってくれて。その言葉、温かかった。『実家が遠いのに一人でよくやってるね』って。自分の努力を承認されることでこんなに気持ちが楽になるんだ、って」

(イメージ撮影:穐吉洋子)

それでも孤独な日常は変わらない。そして、“事件”は起きた。娘が1歳半になった頃の話である。

休日の午後2時ごろ。友美さんは夫に「(私を)一人にして。たまには休ませて」と言い、娘を公園に連れ出してもらった。ところが、その後、夫の携帯に何度電話してもつながらない。夕方、日没、夜……。いったい何度、携帯を鳴らしたか。夜8時になって、やっと夫から電話が来た。

「寝てた。(娘は)いるから大丈夫。今から帰る」

え? 公園で寝てたの? 娘を置いたまま、なぜ一人で寝ていられるの?

あの瞬間は衝撃だったという。以前から頭をかすめていた「離婚」が現実味を帯びたのはこの時だ。

(イメージ撮影:穐吉洋子)

離婚が成立した後、友美さんは乳業メーカーで働いた。

「会社員」を選んだのは、夕方5時に退社が可能で、土日は休みになるからだ。気持ちを落ち着かせて子どもと向き合う時間は、確実に増えたが……。

「定時に退社できず、時にお迎えは夜9時を過ぎました。(保育園での)夕食は注文していないから、娘はおせんべいを食べて待っていて……」と友美さんは振り返る。

(イメージ撮影:穐吉洋子)

当時の女性保育士は、友美さん親子をよく覚えている。今は外国に在住。Skypeでの取材に応じてくれた。

「(友美さんの娘さんは)お友達が一斉に帰ってしまうと、急に無表情になるんです。お迎えを待つ間、いたずらも一切しなくなって、『良い子』になる。それがすごく心配でした。『お迎えはまだかな』って、お母さんのことばかり考えてしまわないよう、真っ暗な屋上に行って、『2人だけの秘密だよ』って。ちょっと悪いことをしているようなワクワク感。寂しい気持ちを忘れさせてあげたいな、って」

この保育士自身、小さい頃は保育園でずっと親を待っていた経験を持つ。

空腹と寂しさに耐えながら親を待つ、夕暮れから夜への長い時間。その時間帯、多くの親たちは懸命に働いていたはずだ。

(イメージ撮影:穐吉洋子)

「幸せに憧れていました」

友美さんは、娘が小学校にあがるタイミングで乳業メーカーを辞め、自分の店を開いた。いよいよ、本格的なパティシエ人生だ。

「小学生になると、鮮明に記憶が残るでしょう? 学校が終わって帰ってきたときに、『お帰り』と言ってあげられる場所をつくりたかった。(ダメだった)母親としての罪滅ぼしじゃないですけど……。この仕事は体力勝負できつい。大学に行っていれば、違う道があったんだろうな、と今でも思いますよ」

友美さんが子どもの頃、父親は仕事でほとんど家にいなかった。両親とも大学を出ていない。それもあってか、母親は進学先の高校を指定し、その後も常に「大学に行かないと就けない仕事、人に尊敬される仕事に就きなさい」「医療系がいいんじゃない?」と言っていたという。

友美さんが振り返る。

「あなたは成功しなさいね、という圧力です」

友美さんは娘と一緒によくお菓子を作る(撮影:伊澤理江)

「獣医を目指すのをやめてパティシエを選んだのは、私の人生をコントロールしようとする母への反抗でした。進学以外なら何でもよかった」

ところが、友美さんは自分で子どもを産み、育てているうち、いつの間にか、自分の母親と同じように「完璧な母親」を目指し、子どもに全ての時間を捧げようとしていた。家庭での「孤独」と、母親から刷り込まれていた「理想の母親像」。その狭間で苦しんでいたからこそ、冒頭で記したような「家族みんなでピクニック」が友美さんには大切だった。

「幸せに憧れていました。だから、この人(夫)と別れたら孤独になってしまうと思って、しばらくは離婚にも踏み切れなかった……。パティシエになった理由? ウェディングケーキを作りたかったからです。幸せの象徴じゃないですか」

友美さんのカフェで(撮影:伊澤理江)

[協力:山縣文治・関西大学教授]


【連載・子育て困難社会 母親たちの現実】
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伊澤理江(いざわ・りえ)
ジャーナリスト。新聞社、外資系PR会社などを経て、現在は新聞・ネットメディアなどで執筆活動を行う。英国ウェストミンスター大学大学院(ジャーナリズム専攻)で修士号を取得。フロントラインプレス所属。