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鬼頭志帆

「障がいは世界を捉え直す視点」――"常識"を揺さぶるキュレーター・田中みゆきの試み

2019/10/31(木) 07:43 配信

オリジナル

「障がいについて考えることは、世界を新しく捉え直すこと」――。フリーランスのキュレーター、田中みゆき(38)はそう語る。「障がい」をアートの視点で捉え、ダンス公演、展示、映画などさまざまな企画を発表してきた。その試みは、観客の"常識"を揺さぶる。「"障がい"は面白い」と語る彼女の足跡をたどった。(文:吉田直人、写真:鬼頭志帆/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

視覚の有無を超える

薄暗い劇場に、足音と衣擦れの音が響く。

横浜市にあるKAAT神奈川芸術劇場の大スタジオ。100人ほどの観客に四方を囲まれたステージ上で、一人の男性ダンサーがうごめき始めた。坊主頭で裸足、Tシャツにジーンズ。彼の動きに合わせるように、スピーカーから詩のような言葉が流れてくる。

「からだがひとつ、跳ねている。自分の内の、水の巡りを、たしかめて。力を抜いて、前へ運んで、少し痩せた、蛙のように、跳ねている......」

ダンサーは、身体を震わせ横に跳ぶ。脱力して手足を振り回し、大きな音で床を踏みならす。

「音で観るダンス」。ダンサー・捩子(ねじ)ぴじんの動きに言葉が重なる。写真は暗転前の様子(写真提供:西野正将)

すべての振り付けを終えると、会場は暗転する。明かりのない完全な闇の中、再度、「詩」の朗読が流れ、ダンサーが踊る。今度は暗闇の中だから、ダンスを目視できない。観客は、ダンサーの「気配」とスピーカーから聞こえる音声ガイドとしての「詩」を通じて、目の前のダンスを感じ取る。

今年8月に開催された「音で観るダンスのワークインプログレス」の公演。本来は視覚的に楽しむ「ダンス」を目で鑑賞せず、音や言葉、その場の空気で理解する。その矛盾する試みは観客の観るという行為を問うのが狙いだった。

観客はどう受け止めたのか。ある男性は、視覚と身体の関係性をどう認識させるのかという取り組みのように感じたという。

「視覚の有無にかかわらず、ダンスを鑑賞する人の想像力を問う試みなのかなと思いました」

一方で、最後まで意味を捉えかねたという女性はこう話す。

「詩とダンスがどこまで関係しているのか、私にはわかりませんでした。まして、目の見えない方であれば、目の前のダンスがどこまで伝わっているのか......」

"見えない自由さ"に気づく

公演を企画したのは、フリーランスのキュレーター、田中みゆきだ。

「身体は、目だけで見ているのではなく、耳だけで聴いているのではないと思うんです」

上演後のトークショーで、「音で観るダンスのワークインプログレス」の原点を振り返る。

「2014年に、盲学校の体育の授業を見学する機会がありました。準備体操で先生が『手を上げて』と言ったら、生徒は、身体の前や横、上とそれぞれが考えた方向に手を上げた。"見えないことの自由さ"がすごく面白いと思ったんです」

田中みゆき。上演後のトークショーで(写真提供:西野正将)

田中は山口情報芸術センターなど複数の機関で展覧会や公演の企画に携わり、2016年に独立。以後、「障がい」をテーマに既存の価値観や視点を揺さぶる企画を手掛けてきた。

例えば2016年2月にKAAT神奈川芸術劇場で発表した「dialogue without vision」は、6人の視覚障がい者によるダンスパフォーマンスだ。ダンスの即興の一手法を用いて、視覚に障がいがあるダンサーたちがステージ上で接触しながら踊る。出演者も観客も目の見える人で構成されることの多かった舞台芸術。その"常識"を疑い、ダンスの新たな表現方法、鑑賞方法を模索した。

翌年には、知的障がい者と健常者の"作品"を並べた「大いなる日常」展を滋賀県のミュージアムで企画した。ある男性がひたすら糸を玉結びしたものや、家族や職員が撮ったプリント写真を図柄がかすむまで撫で続けたものなど、日常的な動作の結果として表れた表現を展示した。「作品になる前の段階に興味がある」という田中は、日常と密着した自然な行為や工夫にこそ価値があることを訴えようとした。

「大いなる日常」展に出展された杉浦篤の作品(写真提供:松見拓也)

"生のダンス"を音で感じる

「音で観るダンスのワークインプログレス」はそんな田中の企画の一つだ。

きっかけは2017年、視覚障がい者に向けた映画の「音声ガイド」を学ぶ講座に通ったときのこと。映画の同じシーンについて、受講者によってまるで違う説明をすることに気づいたと田中は言う。

「男女が話していて背後に山が映っている。そこで男女の関係を説明する人、表情を説明する人、背後の景色を説明する人......。シーンの解釈は同じではなかった。その多様さを生かしたことができないかと考えたときに、ダンスに音声ガイドをつけたらどうか、と思ったのです。目が見える人は視覚的に物事を捉えがちですが、視覚以外の要素でイメージを提供することで、ダンスの新しい楽しみ方が生まれるんじゃないか。ダンスを観る視点の多様さを示すことで、他者を想像するきっかけになるんじゃないか、と」

「音で観るダンス」で朗読された、詩のような「音声ガイド」。詩人の大崎清夏が書いたテキストに、タイミングや声の調子を書き込んでいった(撮影:鬼頭志帆)

「音で観るダンスのワークインプログレス」はワークショップと研究会、上映を柱として2017年に立ち上げてから今年で3回目。過去には、音声やテキストに情報を盛り込みすぎて「これではダンスが要らなくなってしまう」「劇場で聴く意味がない」と言われたこともあった。今年は集大成として、「生のダンスを感じてもらう」ことにこだわった。

3年間のプロジェクトを通して制作過程で意見するモニターや「音声ガイド」の制作者として関わってきた岡野宏治(59)はこう言う。

「3年関わって、今回初めて聴いていて楽しいと思いました。これだったらリピーターになれる」

中途全盲者で盲導犬ユーザーの岡野は、視力を失う前、ダンスが好きでよく鑑賞していたという。

「もともと僕は、ダンスの音声ガイドなんて無理だろうと思っていました。映画と違って情報が少ないから。1年目のガイドを聴いてみると、確かにダンサーの動きはイメージできる。でも、ダンサーの特徴的な動きが全然伝わらず、楽しめなかったんです。それが今年は、踊りとテキストがシンクロしていて、純粋に楽しかったんですよね」

「音で観るダンス」稽古の様子。岡野宏治(左端)は今回モニターとして関わった(撮影:鬼頭志帆)

岡野は稽古から本番まで、じっくりと味わうようにダンスを"観て"いた(撮影:鬼頭志帆)

「脚ってなんで2本ないといけないの?」

「障がいについて考えることは、世界を新しく捉え直すこと」

障がいに関するプロジェクトを手掛けるなかで、田中が持ち続けている信条だという。

出発点は「義足」だった。

2008年の北京パラリンピック。南アフリカ共和国代表のオスカー・ピストリウスが、短距離種目で3つの金メダルに輝いた。彼の両脚の膝から下は義足だった。

2008年の北京パラリンピックで、陸上男子200メートルを制したオスカー・ピストリウス(写真:ロイター/アフロ)

義足でしなやかに力強く前進するピストリウスを、インターネットの動画で見て田中は衝撃を受けた。

「これは新しい身体の可能性だ」

その後、2014年に、田中は当時勤めていた日本科学未来館で行われた「義足のファッションショー」に関わった。義足のアスリートらがランウェイを歩いたり、観客の前でさまざまな動作を披露したり。"ファッション"というレンズを通して、義足ユーザーの多様性や、人体にとって「脚」とはどのような存在かをポップに伝える試みだった。

田中は言う。

「『パフォーマンス』って、人をじっと見ていい機会なんです。多くの人の日常では、義足を履いている人は見てはいけないものとして扱われているように思う。ショーを通じて義足の人が歩く様子を注視すると、いわゆる"健常者"にとっての当たり前が揺らぐのではと考えました」

「義足のファッションショー」(写真提供:加藤甫)

それぞれの出演者は、自分の義足にカラフルな布や好きな写真を貼り付け、思うままに装飾していた。

「自分の身体を"欠損"と考えず、工夫を重ねて新たな楽しみを見いだしていく。自分たちの身体や考えを縛っていたものがなくなった時、人はこんなに自由になれるんだということを教えてもらったように思います」

身近に障がい当事者はいなかった。「人間のあり方」や「違いから生まれる表現」という切り口から「障がい」への関心が膨らんでいったという(撮影:鬼頭志帆)

ファッションショーの目的は、義足アスリートの華々しさのような"ハレ"の部分ではなく、義足ユーザーの"日常"を表現することにあった出演者は義足とどのように付き合っているのか。ヒアリングをする中で、幼い頃に片脚を切断したある女性の話を聞いた。女性はこう言った。

「自宅ではほとんど(片脚の)ケンケンで過ごしていますが、外出する時は義足を着けないと、親やまわりの大人が悲しむんです。でも、脚ってなんで2本ないといけないんですか?」

その言葉は、田中の脳裏に今も焼きついているという。

「言われてみればそうだよな、と。義足を着けさせているのは社会の側で、社会的に生きるために義足を履いている。それって皮肉だなと思って。脚が2本あることが圧倒的多数だからそれが標準とされている。けれど本人が満足していて、日常生活に支障がなければ、義足を着けないで生きる選択肢だってありうるんじゃないか、と。一般的には"障がい"のことを面白いというのは良くないという空気があると思いますが、私はその時、純粋に面白いと感じたんです」

「まだ見ぬ映像体験」よりも「対話」

今春、田中がプロデュースした映画が公開された。

「見えない監督の映画に、あなたは何を"観る"か?」――。映画「ナイトクルージング」は、先天性全盲のミュージシャンでシステムエンジニアの加藤秀幸(44)が、SF短編映画を作る過程を収めたドキュメンタリーだ。3月の封切り以降、国内各都市に加え、ニューヨーク、ロンドンでも上映された。

ドキュメンタリー映画「ナイトクルージング」のパンフレット。製作の舞台裏が詳細に語られている(撮影:鬼頭志帆)

ドキュメンタリーでは、目が見えない加藤と目の見える製作スタッフたちが交わす対話に多くの時間が割かれている。

加藤は「見える人が普段楽しんでいるような映画を作りたい」と望むが、スタッフは先天性の全盲である加藤が描くビジョンを映像として「視覚化」することに苦心する。レゴブロックでセットを再現し、加藤に触ってもらいながら触覚的に場面のすり合わせをしたり、長方形のフレームを使って撮影アングルを共有したり。加藤のイメージを少しでも鮮明にのぞこうと、困惑を浮かべながら、スタッフたちはあがく。

加藤も、絵コンテを音声に置き換えた「サウンドコンテ」を用意したり、色彩に関する専門家を訪ね、触覚で分かるカラーパレットを作ったりと、試行錯誤を重ねていく。

映画製作にあたり色彩について学ぶ加藤秀幸(右)(写真提供:一般社団法人being there/インビジブル実行委員会)

そうしてSF短編映画「ゴーストヴィジョン」は完成した。作中でも劇中劇として上映される。

「ナイトクルージング」の評価はさまざまだった。ニューヨークでの上映時には、現地のウェブメディアが記事にこう記した。

"視覚の有無による認識の違いを比較することができた"
"境界線を越えて手を伸ばし合う努力があった。これは普遍的に楽しめる映画だ"

一方で厳しい意見もあった。

日本では、「あれだけ意見を交わしてこの完成度か」という「ゴーストヴィジョン」に対する低い評価や、「この映画は加藤の映画と言えるのか」という疑問の声もあった。

田中は「観てがっかりしている人もいると思う」と話す。

「(生まれながらの全盲者が手掛けた)"見たことのない映像体験"を期待していた人たちは、『完成度が低い』とか『もっと見えないことを生かした映画かと思っていた』と感じたかもしれません。ただ、私が一番こだわったのは、加藤さんと見えるスタッフがとことんコミュニケーションを取って映画を作るという過程。全盲者が映画を作るという挑戦を手放しに美化した作品にはしたくなかったんです」

これには"主演"の加藤も同調する。

「(製作過程は)常に探り合い。そこには、見える人が作ってきたものとは違う、見たことのない映像ができるんじゃないか、という周囲の期待があったように思います。自分のイメージをアウトプットしたら、『それはもう存在する表現だからやっても意味ないよね』と言われたこともありました。それこそ、見える人が思い描いていた勝手なイメージですよね」

「それでも、楽しかった」と加藤は振り返る。"健常者"による期待を感じ、もどかしさを抱くこともあったが、互いに分かり合えないという現実を共有し、なおも対話を重ねることへの好奇心がそれを上回ったという。

SF短編映画を加藤(中央)が、ドキュメンタリーを加藤の友人である映画監督の佐々木誠(右端)がそれぞれ監督。双方のプロデューサーを田中が務めた(写真提供:一般社団法人being there/インビジブル実行委員会)

「なぜか居心地がいいんです」

加藤は、約5年間田中とアートや映画で関わってきたが、いまだに田中のことがよく分からないと苦笑する。それでも「なぜか(一緒にいて)居心地がいい」とも言う。

「田中さんは、障がい者のために一生懸命やっているわけではなくて、自分の好奇心のためにやっていると思う。でも、僕ら障がいの当事者にとって面白い体験になっている。時にナイーブな部分に触れてくることもあります。苦手な人にとっては鬱陶(うっとう)しいかもしれませんが、当事者に対する最低限の配慮をもって接してくれる。彼女のいいところは、その距離感なんです」

加藤は、「ナイトクルージング」だけでなく田中のいくつかの企画に関わっている(撮影:鬼頭志帆)

加藤は田中の企画に通底する意図について、「誰かが勝手につくった常識や暗黙のルールは、まず崩そうとする」と表現した。

「それは障がい者に対する世間の見方とも似ています。例えば『障がい者=弱者』とか、先入観ができているときがあって、当事者としては変えてほしいと思っている。田中さんのアプローチはそれに近い。だから一緒にやっていて楽しいのかもしれません」

予定調和を避け、「マイノリティ」と「マジョリティ」の双方を巻き込みながら、手探りで新しい視点を模索する。加藤の感じた「居心地の良さ」をひもとくと、田中みゆきというキュレーターの輪郭がぼんやりと見えてくる。

企画の打ち合わせ後、加藤と最寄り駅まで歩く(撮影:吉田直人)

「"障がい"は面白い」

ダンス、映画、ファッション。いずれも田中にとっては専門外だ。「常にマイノリティの立場として(企画に)臨んでいる」と田中は話す。

「もともと私は、何ごとにおいても『こうじゃなきゃいけない』という思い込みがないんです。すべての企画に共通するのは、"常識"が通用しない人や物事を企画に投入することで、考えるきっかけをつくるということ。例えば、見えない人が1人いたら、見える人たちはその場の状況をあれこれ説明するようになりますよね? それを通して、その人がその場をどう捉えていたかが明らかになる。あの状況が好きなんです」

田中は「"障がい"は面白い」と言った。その真意を尋ねると、こう答えた。

「身体や知覚の違いによって世界の捉え方が違うからです。同じものに対して違う視点を持つことは、多様な人と生きている意味でもある。それはまた、この複雑な世界で生きていることを楽しむ醍醐味なんじゃないかな、と思うんです」

9月には、全盲のゲームクリエイターと健常者のデザイナーや研究者によるチームで取り組んでいる音だけのゲーム「オーディオゲームセンター」を東京ゲームショウに出展した(撮影・吉田直人)

(撮影:鬼頭志帆)


田中みゆき(たなか・みゆき)
キュレーター。1980年、福井県生まれ。21_21 DESIGN SIGHT、山口情報芸術センター[YCAM]、日本科学未来館勤務を経て独立。障がいを「世界を新しく捉え直す視点」として活動を展開。障がいに関する主な仕事に「骨」展、「義足のファッションショー」、「"dialogue without vision"」、「大いなる日常」展、「音で観るダンスのワークインプログレス」、映画「ナイトクルージング」など、カテゴリーにとらわれずプロジェクトを企画している。http://miyukitanaka.com/


吉田直人(よしだ・なおと)
1989年、千葉県生まれ。中央大学卒。2017年からフリーランスライターとして活動中。共著に『WHO I AM パラリンピアンたちの肖像』(集英社)。

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