伊澤理江

生まれ育った場所だからこそ 「日々の新聞」から見える地域紙の居場所

10/24(木) 7:18 配信

福島県いわき市の競輪場近くに、古い洋館がある。地域紙「日々の新聞」の本社だ。2003年の創刊時から記者はずっと2人。それでも、毎月2回発行のこの新聞は全国に読者を広げ、この10月に400号が出る。2人は、全国規模のメディアや都道府県単位の新聞にはできないことがあると言う。「地域に根ざした人たちの日常、喜怒哀楽やささやかな誇り。そこにすくい取るべきものがある」。かたちや規模は違っても、「日々の新聞」のような地域紙は全国に多数ある。地域と地域紙の世界をのぞいた。(取材:高田昌幸、当銘寿夫、伊澤理江/Yahoo!ニュース 特集編集部)

創刊から記者2人で16年 間もなく400号

洋館に入ると、細い階段がある。それを上ったところにある広い部屋が「日々の新聞」の編集室だ。数台のデスクトップ・パソコン、本や資料の山。ネット全盛時代にあっても「紙の新聞」へのこだわりを捨てておらず、部屋にはやたらと紙がある。創刊時からこの風景はほとんど変わっていない。

「日々の新聞社」が入る洋館。1階には、いわき市出身の詩人・草野心平の弟で、やはり詩人だった草野天平のメモリアルルームがある(撮影:伊澤理江)

「日々の新聞」の編集室。編集記者は2人。他の業務を担う人が1人(撮影:伊澤理江)

編集長の安竜(ありゅう)昌弘さん(65)は「自分で好きなことを書きたいと思って実際にそうやってきました。(経営の厳しさを前に)眠れない夜もたびたびだったし、いまもかなり苦しんでいますが」と言う。

タブロイド判で、普段は12ページ。上質紙を使い、時々カラー印刷になる。「日々の」と名付けたのは、毎日発行するという意味ではなく、いわきの日常を記録したいとの思いからだったという。東日本大震災直後の一時期を除いて、月2回のペースを崩したことはない。

2003年に134部でスタートし、東日本大震災後は一時750部まで増えた。今は約650部。少部数とはいえ、読者は北海道から沖縄まで全国にいる。「いわきに根ざしたいわきの新聞」ながら、なぜ、読者はあちこちに広がっているのだろう。

安竜昌弘さん(撮影:伊澤理江)

記事に登場するのはほとんど、いわゆるふつうの人々だ。

安竜さんは「わたしたちはいわきで生まれ、育ち、骨になる。そうした人の目にしか見えないものを伝え、記録に残したい」と話す。

今年7月31 日発行の第394号には、火災で店舗を失いながら、多くの支えで再建を果たした「Dining & Bar QUEEN」の記事が載った。1600字ほどの長い記事は「どんなに苦しくてもバーとライブを手放さなかった」店長にエールを送った。敬老の日に発行された別の号では、大正生まれの高齢者が1面で自らの人生を語り、春4月の紙面では地元の石割桜にまつわる物語が綴られた。

市井の人たちや地域の物語が綴られた紙面。1部400円、1カ月800円(撮影:高田昌幸)

もうすぐ400号。保存されている古い号は年季を感じさせる。題字の作者は、アーティストで東京藝術大学教授の日比野克彦さん(撮影:伊澤理江)

創刊時から二人三脚で新聞を作り続ける大越章子さん(55)は言う。

「地域を取材していると、感じるんですね。『この地域で起きていることは、実は全国のあちこちで起きてることでもある』と。だから、いわきの日々は『関係ないよ』ではなくて、九州のある町でも北海道でも同じようなことがあって、どこかでつながっている」

伝統ゆえの「古さ」に見切り

大越さんも安竜さんも、創刊前は夕刊紙「いわき民報」の記者だった。大越さんは行政担当、安竜さんは報道部長や編集委員などを務めたベテラン。2人が辞める前の2000年ごろには公称で約2万部の部数を持っていた。

やりがいを感じつつも、当時の2人は息苦しさも感じていたという。型にはまった記事や取材のスタイル、行政や地区行事を無味乾燥に伝えて「よし」とする姿勢、人の名前や顔写真がたくさん載れば部数増になるという方針……。特に、若い大越さんは、伝統ゆえの「古さ」に落胆もした。

大越章子さん(撮影:伊澤理江)

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