歩きスマホを禁止する条例をつくってほしい――。そんな要望が、住民から全国各地の自治体に途切れることなく届いている。罰則を伴う規制はどこも実現させていないものの、単なる「迷惑」を超え、歩きスマホ中の人とぶつかり、けがをする人も少なくない。繁華街や駅に限らず、道路でもどこでもスマホ、スマホ、スマホ……。歩きたばこが各地で禁止されたように、歩きスマホも禁止に向かうのか。単に法令で禁止すればコトは済むのか。是非の現場を取材した。(文・写真:木野龍逸/Yahoo!ニュース 特集編集部)
自治体に要望続々「もう常軌を逸している」
今年4月、大阪府民から府の関係部署にこんな要望が届いた。
「歩きスマホについての規制の検討をお願いしたいです。実際に本日も歩きスマホの人にぶつかられ、その本人から逆ギレされるという事態になりました。もし体の不自由な方やご高齢の方などに同じことが起きたら傷害事件になるかもしれません。本来ならばモラルの話だと思いますが、もう常軌を逸している」
これだけではない。大阪府HPの「府民の声」では、公表されているだけで同様の意見が20件超もある。「歩きスマホを迷惑行為・禁止行為として、条例で規制してください。マナーの向上に加えて、警察からの注意指導に強制力が必要です」「歩きスマホをしている人にぶつかった……国にも要望を言っているが、まずは大阪府から取り組んでいくべきだ」などの意見が並ぶ。
こうした声は各地で引きも切らず、「県条例の制定を」(大分県)、「ポイ捨て禁止や歩きたばこ禁止のように地域が条例をつくらないと『やってはいけないこと』だと気づけないのだと思います。実際、死亡事故も発生してるのに危機感がなさすぎ」(兵庫県明石市)といった声が続出している。
歩きスマホについて条例で明文化した事例はゼロではない。2014年に施行された京都府の「交通安全基本条例」がそれ。罰則はないものの、歩きスマホを「慎む」よう求めている。
ただ、道路交通法など関係法に「歩きスマホ」が定義されていないことや、実際の取り締まりの難しさなどから、罰則付きの条例案の提出に至った自治体はない。国会でも3年前に「歩きスマホを禁止する法規制の是非」について政府の見解を問う質問主意書が野党議員から提出されたが、答弁書は「慎重に検討すべきものと考える」としただけだ。
では、歩きスマホの実態はどうなっているのだろうか。
東京消防庁は「ながらスマホ」による事故で救急搬送された人数を公表している。最新のデータは2013〜2017年。それによると、この5年間に199人が「ながらスマホ」を原因とする事故で救急搬送され、このうち156人が「歩き」スマホだった。さらに細かく見ていくと、歩きながらなんらかの操作をしていた人が67人、画面を見ていた人が44人。こうした人は、信号機のない道路を横断しようとして乗用車と接触したり、階段から転落したりした。
この数字は氷山の一角かもしれない。日本民営鉄道協会の担当者はこう言う。
「例えば、駅のホームから落ちて救急車を呼んだ場合、けがをしている人に『どうして落ちたのか』とは聞けません。たまたま駅員が現場を見ていれば報告できるかもしれませんが、原因が明確に分からない限り、報告書には事実しか書きません」
警察庁も、歩きスマホのトラブルに関する統計はないという。しかし、明確な数字はないものの、歩きスマホが原因のけがやトラブルは珍しいものではない。
視覚障がい者は訴える
東京・西早稲田の日本盲人会連合(日盲連)を訪ねた。61団体、約5万人が加盟する組織で、情報部長の三宅隆さんが対応してくれた。
「2018年に日盲連の会員がACジャパン広告制作のために協力して調査をしたところ、2人に1人が、歩きスマホによってなんらかの被害を受けたことがあるという回答だったのです」
三宅さん自身、歩きスマホの人とぶつかってけがをした経験がある。
「夜、道を歩いていたら、突然ものすごい衝撃があって、後ろにひっくり返りました。額が相手のどこかにぶつかったようで、意識が飛びそうになりました。相手は女性。涙声で謝っていましたが、暗い夜道でスマホをしながら歩いていたそうです。でも、謝るのはまだいいほう。ぶつかった時に舌打ちされたことも、無視したまま相手が行ってしまうこともあります」
会員からの訴えは深刻で、救急車を呼ぶ事態になっても相手が逃げてしまうケースもあるという。
「うちの元役員なんですが、駅の点字ブロックの上を歩いていたら、正面衝突をして頭を打って救急搬送された。この相手は逃げてしまいました。見ていた人から歩きスマホだったことを後で聞いたそうです。私たちは白杖を使う時に、わざと音を立てるようにしています。歩いている人たちに知らせるためなんです。それでもぶつかられることがあるんです」
日盲連は毎年、関係機関にさまざまな陳情を行っている。今年6月には、「歩きスマホの禁止」を求める要望を盛り込み、国土交通省に書面を提出した。三宅さんは言う。
「日盲連は年1回の全国盲人福祉大会で決議した要望を陳情書にまとめています。歩きスマホの項目を入れたのは、今年が初めて。歩きスマホは視覚障がい者だけでなく、高齢者や子どもたちにとっても危険な行為です。歩きスマホをしている人自身も危ない。法律での規制は難しいとは思いますが、第一段階として何らかの取り組みをしてほしいと思っているのです」
つい歩きスマホをしてしまう“現実”
「ぶつかった、とあなたは思う。ぶつかってきた、と周りは思う。」「即レスしなかった程度で失われるものを、友情とは呼ばない。」――。そんなコピーを配した黄色いポスターが昨年秋、駅構内や電車内に掲示され、SNSで大きな話題になった。とくに後者のコピーは「即レスとは何か」「友情とは何なのか」という議論にまで発展した。
歩きスマホへの注意を喚起するこのキャンペーンは、電気通信事業者協会(TCA)や通信事業者が中心になり、全国の鉄道会社が参加した。これに加わったソフトバンクのコミュニケーション本部担当部長の花岡隆春さんはこう話す。
「歩きスマホをはじめとする、ながらスマホは総じて危険です。通信事業者の間では最も重要な、事業者共通の課題だと認識しています。啓発キャンペーンは、続けることで意識が醸成されることを期待してのもの。それでも、ついやってしまう人が、今も相当数いる。意識改革は難しいのですが、じっとしているわけにもいきません」
TCAは2014年から歩きスマホに関するアンケートを続けている。今年3月に公表された最新の調査結果によると、「歩きスマホ」をしてしまう理由のトップ3は、「移動しながら時刻表や地図アプリを使用するのが便利」「スマートフォンをみることが癖になっている」「メールを見たり、文字を打つのについ夢中になってしまう」だった。
2位と3位は、いわば“つい”やってしまうもので、緊急性はなさそうに映る。このほかにも、「WEBサイトを見るのについ夢中になる」「ゲームについ夢中になる」など、“つい”やってしまうとの回答が多かった。
一方、歩きスマホをしている人に対して「危ない」と感じたかどうかは「多々ある」「たまにある」の合計で9割近くにもなった。つまり、多くの人は、危険を分かっていながら“つい”使っているのかもしれない。
花岡さんは言う。
「アンドロイドOSのスマホ向けに、歩いている時にアプリを制限するアプリも出ていますが、決め手にはならないかなと思っています。ユーザーが実際にそれを使いたいと思うかどうか。このアンケート結果から推測していただけると分かると思いますが……」
だから、条例による禁止を求める声も続出している。この実情を通信事業者としてどう考えているのだろうか。花岡さんにそう尋ねた。
「事業者としては規制を望んでいるわけではありません。だからキャンペーンを続けています。強制的に止める前に、立ち止まってもらう習慣が一番望ましいと思います。電車内では電話をしないことも定着しました。歩きスマホにも、粘り強い取り組みが必要と考えています」
日本初の「歩きたばこ」禁止の千代田区は……
日本で最初に歩きたばこに罰金を科した東京都千代田区は、歩きスマホについてはどう考えているのだろうか。
2013年にJR四ツ谷駅で小学校5年の男児が携帯電話に気を取られ、過ってホームから転落し、けがをする事故が起きた。それをきっかけに、この年、通信事業者や警察、鉄道会社などが参加する意見交換会を千代田区が開いたことがある。その時は「啓発を強めよう」との意見で一致したものの、条例化の議論にまでは至らなかった。
その後も区民からは歩きスマホ対策を求める要望が届いている。区の担当者は言う。
「歩きたばこの時は、子どもに当たってやけどをしたり、服をこがされたりということがありました。道路上の吸い殻についての苦情も繰り返し届いていました。それが条例での規制につながりました。歩きスマホについては(歩きたばこの時のような)目立ったものは聞いていません。(区内に)乗換駅が多いのでどうにかしてくれなどの意見はありますが……」
「規制は有効」という調査結果も
では、実際に法規制を実施した場合、効果は見込めるのだろうか。
筑波大学医学医療系の徳田克己教授は、2018年に米ハワイ州ホノルル市ワイキキ地区で、歩きスマホ禁止条例の効果を調査した。ホノルル市では、17年10月から横断歩道での歩きスマホを禁止する条例が施行されていて、罰金もある。
この調査は「横断歩道での歩行者の行動を見る」という極めてシンプルなものだった。結果はどうだったか。徳田教授はこう説明する。
「警察官が見ているから、ということも影響しているのですが、禁止条例には効果があることが分かりました。歩道でスマホを見ていても、横断する時は多くの人がやめるんです。現地の人はカバンにしまうことも多い。ホノルルに多い日本人観光客たちも、条例を知っている人は横断歩道での歩きスマホはやめていました。一方で条例を知らない人は、そのままスマホを見ながら横断していました」
徳田教授は「こうした調査を基に日本の現状を考えると、悲しい話ですが、条例で規制するしかないと思っています」と言う。
「私も当初は教育が有効であると言っていたんです。もちろん、子どもの時期からの教育は必要ですが、歩きスマホはやめましょうという啓発はほとんど効果がないと思っています。啓発ポスターもありますが、ポスターの前で歩きスマホをしている姿をよく見ました。エスカレーターのベルトにつかまりましょうというポスターがありますよね? その前でエスカレーターを駆け上がっています」
「スマホゾーンのようなものでもいいと思います。条例はありませんが、フランスのニースでは、散歩道の街路樹の横に枠線を設け、その枠の中でスマホを操作する人が多くいました。こういう自然発生的なルールができて、それを意図的に続けて、習慣にすればいい。だから条例は、努力義務でもいい。いずれにしても明確なルールが必要です」
罰則による規制には“副作用”
罰則付きの法規制を危ぶむ専門家もいる。金城学院大学人間科学部(名古屋市)の北折充隆教授は、その一人だ。社会の中でルールがどう形成されるかを専門に研究している。
北折教授は「大前提として、私は歩きスマホほど危険な行為はないと思っています」と言い、こう話した。
「例えば、視覚障がい者はセンサーを張り巡らせて歩いていますが、歩きスマホ中の人は認知資源をスマホに集中させています。ある部分では、視覚障がい者よりも危険な状態に身を置いているんです。ただし、罰則なしの法制化では、歩きスマホはなくならないでしょう。車のシートベルトを考えてみてください。前の席はペナルティーがあるから締めますが、一般道では後部座席は義務化されたものの罰則がないので、装着率は低いままです。ペナルティーがあるかどうか。ある行為をやめるかどうかは、そこに集約されるんです。歩きスマホも、罰金があれば減ると思います」
歩きスマホをなくすにはペナルティーが必要――。北折教授はそう主張しつつ、「ルールはエスカレートする危険をはらんでいる」とし、副作用を危惧する。
「昨年、新大阪駅で売っているたこ焼きに、新幹線の車内で食べないよう注意するシールが貼ってあると話題になりました。車内でのにおいに乗客から“意見”が出ているからだ、と説明されていました」
たこ焼きのにおいにもクレームが出て、それに事業者が敏感に反応する社会。それがさらに進めば、社会はルールだらけになり、がんじがらめになるのではないか――。それが、北折教授の危惧だ。
「私はたばこを吸いませんが、今の全面禁煙化は一種のファシズムではないでしょうか。たばこを吸う人の自由を極端に狭めているからです。そして、次のターゲットは飲酒かもしれません。仮に、新幹線内でお酒を飲む人が減れば、飲酒する姿が目立つようになり、車内での飲酒にクレームが出るようになるかもしれません」
「何でも厳罰化するより、まずは、価値観の形成です。歩きスマホはだめという価値観ができれば、周囲から『歩きスマホは恥ずかしい』という目で見られるようになります。強く規制されると人間は反発しますが、価値観が定まっていればそうした反発も起きないでしょう」
木野龍逸(きの・りゅういち)
オーストラリアの邦人向けフリーペーパー編集部などを経て独立。1990年代半ばから自動車に関する環境、エネルギー問題を中心に取材。福島の原発事故発生以後は、事故収束作業や避難者の状況を中心に取材中。著作に「検証 福島原発事故・記者会見3~欺瞞の連鎖」(岩波書店)など。Frontline Press 所属。