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野村佐紀子

「矛盾している方が面白い」――怪優・イッセー尾形の人間観

2018/11/24(土) 10:00 配信

オリジナル

「化け物みたいな役者」。あるドラマプロデューサーは、イッセー尾形のことをそう表現した。一癖も二癖もある難役を自在に演じ、「この人しかあり得ない」と観た者に思わせる。2017年に日本で公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンスー』で海外メディアから注目を集めるなど、国際的評価も高い。徹底した役づくりの裏にあるのは、1980年代から始めた“一人芝居”だ。誰にでもなる俳優が歩んだ、誰とも違うたった一人の道。独自の道を突き進む俳優に迫った。(取材・文:砂田明子/撮影:野村佐紀子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

イッセー尾形しかできない役

「イッセー尾形の中村泰、ゾッとする……」
「黙秘と自己顕示の間で揺れる中村がおもしろいのか、イッセー尾形がおもしろいのか、よく分からんかった」
「イッセー尾形が中村以上に怪人だった」

これは9月、NHKスペシャル『未解決事件File.07「警察庁長官狙撃事件」』の実録ドラマが放映された後の、ツイッターでの視聴者の感想だ。これ以外にもイッセー尾形の演技に驚く声が多数並んだ。

イッセー尾形が演じたのは中村泰(ひろし、88)という、1995年に起きた國松孝次警察庁長官(当時)狙撃事件で、容疑者として捜査線上に浮かんだ人物である。長官狙撃とは別の事件で無期懲役刑となり、現在は岐阜刑務所に服役中である。

イッセー尾形演じる中村泰。NHKスペシャル『未解決事件File.07「警察庁長官狙撃事件」』(実録ドラマ)は、11月25日(日)午前1時35分~3時05分(24日深夜)に再放送予定(写真提供:NHK)

中村を演じるにあたり、イッセー尾形が参考にしたのが中村の顔写真と、中村が銀行にかけたクレームの電話音声だった。

「苦情の電話なのに、いつまでも終わらない道案内をしているかのような、ダラダラした話し方をする人だなと。その音に、自分の声を乗せていきました。口をすぼめるような表情をつくったのは、写真の印象と、論理的にしゃべる人間だと想像したからです」

「声と顔、この二つが決まれば、だいたい人間をつくることができるんです。声のトーンやニュアンスには、その人の世界が込められているんですね。人となり、何に意識を向けているか、何を伝えようとしているか、そのときの心情などが全部声に出るんです」

イッセー尾形の演技に驚いたのは視聴者だけではない。脚本・演出を務めたNHKドラマ部チーフ・プロデューサーの黒崎博も、リハーサルで初めて見たイッセー尾形の演技に驚いた。黒崎はこう言う。

「予想と全く違っていたのです。一つには台詞のトーンや発し方ですね。もっと声を出す人、例えば怒るときはワーッと怒る人をイメージしていました。果たしてこの演技で90分のドラマを最後まで引っ張っていけるのか、正直言って、不安になりました」

そもそもイッセー尾形の起用を決めたのは黒崎だった。一緒に仕事をした経験はない。それでも手紙を書いて、出演をお願いした。なぜ、それほど強い思い入れがあったのか。

「中村の供述調書を読むと、この男が犯人に間違いない、と思う瞬間と、全てが嘘なのではないか、創作なのではないか、と思う瞬間が交互にやってきた。真実か嘘かに決めつけるのでなく、見ている人も翻弄されるような物語にしたら面白いのではないかと考えるようになりました。では、本当と嘘をミックスして演じられる、言葉は悪いですが“化け物”みたいな役者さんって誰だろうと考えていって、浮かんだのがイッセー尾形さんでした」

ドラマは評判を呼び、地上波放映のあとBSでディレクターズカット版が放映され、芸術祭参加作品となることが決まった。改めて黒崎が振り返る。

「今まで見たことのないオリジナルな人物をつくりたかったからこそ、イッセーさんに中村役をお願いした。にもかかわらず、僕は、自分の理解できる範疇で中村をイメージしていたのです。今になってそれがよく分かります。ドラマの撮影中、イッセーさんの演技には、予想を裏切られていく面白さと、怖さと、両方味わわせてもらいました」

マーティン・スコセッシ監督が喜んだ“悪役”の解釈

イッセー尾形の演技は国内のみならず、すでに海外でも高い評価を得ている。今年、米アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーの招待によって、アカデミー会員にもなった。そのきっかけの一つが、2017年に日本で公開されたマーティン・スコセッシ監督による映画『沈黙-サイレンスー』だ。この作品でイッセー尾形はロサンゼルス映画批評家協会賞「助演男優賞」の次点に選ばれた。

映画『沈黙-サイレンスー』で長崎奉行・井上筑後守を演じるイッセー尾形(写真提供:Everett Collection/アフロ)

映画『沈黙-サイレンスー』のプロデューサー・宮川絵里子も、イッセー尾形の演技に驚かされた一人だ。

イッセー尾形が演じたのは、キリシタンに棄教(ききょう)を迫る長崎奉行・井上筑後守だ。原作の遠藤周作の小説では〈蛇のような狡猾さ〉と表現された弾圧の指導者で、〈穴釣り〉など、残忍な拷問を編み出した実在の人物である。

ところがオーディションで見たイッセー尾形の演技は、宮川の想像を超えていた。

「オーディションで初めて演技を見たとき、びっくりしました。悪役のイメージからかけ離れていて、にこやかで、声も特徴的で。勇敢な解釈だと思いました。スコセッシ監督も喜んで、グッドグッドと親指を立てて褒めていた。日本人のキャストで最初に決まったのがイッセーさんでした」

イッセー尾形は苛烈な弾圧者を、朗々とした声で、穏やかな笑みをたたえて演じたのである。知的に、時にユーモラスに。なぜそうしたのか。

「井上はキリシタンの宣教師に対して、道具として英語を使っていたわけです。ネイティブの英語ではなく、日本人が道具として使った英語。そのニュアンスを声で出したいと考え、ああなりました。顔に関しては、外国人から見ると、日本人はよく分からない微笑を浮かべているように見えると聞いたことがあります。それでこの映画では、向こうから見た日本人像をあえて演じようと、ニヤニヤした表情をしたんですね」

役への深い洞察には共演者も一目置き、撮影現場では、興味と尊敬を集めていたと宮川は語る。主役を務めたアンドリュー・ガーフィールドのこんな言葉を宮川は教えてくれた。

「イッセーさんと演技をしていると、自分が初心者のように感じる。イッセーさんはとても深い準備をしていて、自分の演技が軽いもののように感じてしまう、とアンドリューは、ニューヨーク・タイムズのインタビューで話していました」

観る者を驚かせる大胆な演技。それを生み出す独自の人物解釈は、どこからやってくるのか。イッセー尾形は役づくりについて、

「人間を捉えるのは、“近似値”でいいと思っています。核ではなく、近似値」

と言う。

「例えばNHKスペシャルのドラマで演じた中村容疑者はサディスト、とか、映画『沈黙』の井上は悪役、と、ひとくくりにしないところで演じています。人間ってそういうものだし、矛盾しているほうが面白いですから」

人間観察をしない理由

人をひとくくりにしない、というイッセー尾形の演技観、人間観は、原点である一人芝居からきている。

芝居の世界に飛び込んだのは、大学受験に失敗し、浪人生活を送っていたころだ。学生時代、絵が好きで美術の教員に憧れるも挫折。音楽が好きでギタリストになろうと決意するも、これも挫折。目標を失い勉強にも飽きていたとき、本屋で演劇雑誌を見つけ、「呼ばれた」と思った。だが、19歳で入った劇団はすぐに解散してしまう。諦めきれず、建設現場で働きながら、演出家の森田雄三氏と一人芝居への模索を始める。初演は1980年、28歳。演目は「バーテン」だった。

1971年から演劇活動を始めた。自身にとって懐かしい場所だという、東京都港区西麻布のかつて「自由劇場」があった辺りを歩く

以来、タクシー運転手、指導員、失業中の会社員など、さまざまな職業の市井の人を演じてきた。どこにでもいそうな人間の、しかし、オリジナルな個性をつくり上げるに当たっては、意外にも、人間観察をしないのだという。

「建設現場で働いていたころ、ふっと見掛けたんです。アロハシャツを着て、ポマードで髪を固めて、颯爽と歩くカッコいい男を。彼はバーテンに違いない、と根拠なく思い込みました(笑)。で、スナックに、実際のバーテンさんを見に行ったんですね。ところが僕のイメージと全く違った。以来、観察はしていません。実際のバーテンさんより、自分の頭の中の方が自由闊達に動くと気付いたから。ふと思い出す記憶とか、一瞬よぎった映像とか、自分の中に残っている何かを膨らましていくほうが、役は生き生きするんです」

かつては、スキーヤーが滑降前にゴールまでをシミュレーションして滑り出すように、観客の反応まで含めて全てを管理しようとしていた、とイッセー尾形は話す。そうしなければ怖くて舞台に立てなかったと。しかし海外公演が「そんなに支配しなくていい、投げ渡していい」と気づかせてくれた。「海外のお客さんって、どこを面白がるか皆目分からない。好きに見てもらおうという気持ちになりました」

1993年からは、海外公演をスタートさせる。国内外、年間120もの舞台に立つイッセー尾形のなかに、ある人間観が、少しずつ、しみ込んでいった。

「あのとき、とは言えないんですが、人間は捉えられないなあと思うようになりました。どこかで人間の本体を捉えられると思ってやってきたんですが、長い時間をかけてようやく、分かったんでしょうね。人間、誰しも、言葉にならない地下世界を持っています。隠された意識、あるいは隠れた意識、というのかな。そういう計り知れない世界があるわけですから、自分も捉えられないし、他人も捉えられない。もちろん何とか捉えようともがくんだけど、おそらく、どこまでいっても、捉えたつもりにすぎないんでしょう」

こうしてイッセー尾形は今、「近似値でいい」という場所に立っている。

60歳で独立。「妄ソーセキ劇場」を始める

2012年、60歳のときにイッセー尾形の一人芝居は新しい展開を迎えた。

所属していた事務所から独立、フリーになった。現在、マネージャーを務めるのは妻の尾形真知子さん。この取材現場にも、イッセー尾形がハンドルを握り、助手席に真知子さんが座る車で現れた。二人三脚で歩む第2の人生。66歳の今は、第2の人生の「6歳」の心境だと語る。

2015年には、新しい一人芝居を始めた。「妄ソーセキ劇場」という、文豪・夏目漱石の小説を題材にした作品である。今年から、漱石以外の国内外の文豪作品を演じる「妄ソー劇場」も開始した。

たった一人、2間半四方(約20.7平方メートル)のスペースで作品世界を作り上げる。題材は、川端康成の『浅草紅団』

全国を回る「妄ソー劇場」の一つ、2018年9月30日の京都公演を観た。

演目はゴーゴリの『外套』、太宰治の『斜陽』などにオリジナル作品『コンビニ』を加えた5作。原作に比較的忠実な作品から、一部を拡大解釈したもの、まるで原形をとどめない作品もある。

横光利一の『機械』を換骨奪胎。大阪弁で演じた

ゴーゴリの『外套』は小説に忠実に

例えば、公演のラスト『斜陽』で演じたのは、北国の小さなバーのママ。彼女の店で、『斜陽』に出てくるような没落貴族の子女たちがホステスとして働いているという設定だ。

この日は台風が接近し、交通機関が大幅に乱れたことで、客席には空席が目立っていたが、ママに扮したイッセー尾形が登場するやいなや、会場は大きな笑いに包まれた。

「お客さんが少ないほうが怖いんです。つられて笑う、ということがありませんから。舞台は毎日、反応が違うんですね。今回の京都公演では、初日は一人芝居に初めて来られる方が多かった。2日目は、原作を読んでくるような熱心な方が多かった。お客さんの反応を見ながら、毎日、台本を書き直しています。絶対だと思っていたネタが、どんどん相対化されていくのが楽しいんです」

ネタ帳を読み返しては新たに書き込む

ステージ上で、照明を確認しつつ思案を重ねる

かつらを着用し、化粧を施して、表情をつくっていく。やがて「コンビニ店員」ができ上がる

左上/ネタ帳に絵を描き、色まで塗ってある 右上/舞台の隅に衣装やメイク道具を用意 右下/観客の前で役から役へと移り変わる 左下/『斜陽』で、北国の小さなバーのママに

30年近く続けてきたオリジナルの一人芝居「バーテン」「タクシー運転手」から、文豪シリーズへという新しい挑戦。ゼロからとは違う、原作を元に人間をつくる醍醐味とは何だろうか。

「自分から発想しただけでは得られない世界を体験できています。漱石さんや他の文豪さんの小説を媒介にすると、自分のネタをうんと遠くに投げられるんですね。今後は、原作に無関係な要素をさらに加えて、原作をもっと変貌させていきたい」

1時間半ほどの公演を終えて、楽屋へ戻る

絶滅側、ナンセンスを演じたい

オリジナルな人物、文豪作品と進んできた今、イッセー尾形は「絶滅種」を演じたいと語る。きっかけは『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』(吉川浩満著、朝日出版社)という一冊の本だった。地球上では生命の誕生以来、99.9%の生物が絶滅しているが、その絶滅側から、生命の歴史を眺めたユニークな本である。

「これを読んで僕は、99.9%の“絶滅側”を演じたいと思いました。絶滅している側のほうが数は多いし、多種多様だし、無限の想像が湧きますから」

生存と絶滅を分けたのは「運」にすぎない、という本書の論にもひかれたという。

「たまたまの運に左右されたり、理屈に合わない行動をしたりと、ナンセンスが詰まっているのが人間だと思うんです。だから、ナンセンスを愛情を持って捉えたいし、因果関係を壊したいという気持ちがちょっとあります。人間の生命力は因果関係という小さな枠に収まるものではないし、そんなちっぽけな理屈で生きてねえぞっていうのを、生身の肉体を使って表現し続けたいですね」

それはNHKスペシャルのドラマや『沈黙』での役づくり「人間は矛盾しているほうが面白い」に通底する。人間は理屈を超えたナンセンスな存在であり、だからこそ、愛おしい。

「ひらめきは、ギターとかウクレレを弾いてのんびりしているときに限って、向こうからやってくるんです。こういう人間はどうだとか、あそこの台詞が違うぞとかね。仕方がないから、じゃあ、考えようとなる。でもね、自分が受け止められるものしかこないんですよ。うまくできているんだなぁ、これが」

とうとうと語った後、笑った。

「ね、ナンセンスな話でしょ」

イッセー尾形(いっせー・おがた)
1952年生まれ。福岡県出身。71年、演劇活動を始める。80年から一人芝居をスタート。81年『お笑いスター誕生!!』で金賞を受賞。ニューヨーク、ベルリン、ミュンヘンなどで、一人芝居の海外公演を行う。映画、ドラマを中心に活躍し、映画『ヤンヤン夏の思い出』『太陽』『沈黙-サイレンスー』など海外作品にも出演。『妄ソーセキ劇場』は2019年1月27日、サン・グレートみやこ(福岡県)で上演予定。


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