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深田志穂

「本当のしんどさが分かっていたら」――エンジニアの息子を過労死で失った母

2018/07/09(月) 08:53 配信

オリジナル

「息子は健康的に仕事を続けたかったんです」。西垣迪世(みちよ)さん(73)は2006年に一人息子をうつの治療薬の過剰摂取で亡くした。システムエンジニアとして働き始めてから4年、休業と復帰を繰り返しながら「もう一度だけ」と頑張っていたさなかだった。迪世さんは労災を申請したが不認定。行政訴訟に踏み切った。
愛する人を亡くした悲しみ、後悔、自責の念。「過労死を絶対に出してはいけない」という思いで闘っている遺族の声を聞く。(フォトジャーナリスト・深田志穂/Yahoo!ニュース 特集編集部)

西垣迪世さん

西垣さんは、2006年1月26日、一人息子の和哉さん(当時27)を急性薬物中毒で亡くした。和哉さんはうつの治療薬を過剰に摂取し、病院に運び込まれたが帰らぬ人となった。

「あんなに夢を見て仕事に行きましたのに、仕事のためにうつになり、うつの治療薬の副作用で息子は亡くなってしまった。私は命に代えても息子を守りたかったけれど、果たせなかった」

和哉さんは神奈川県内の会社の寮で暮らしていた。亡くなる前日、迪世さんのもとに和哉さんから電話がかかってきた。和哉さんの体調がよくないことを知っていた迪世さんに、病院に行ったことを報告する電話だった。

「『どうだった?』って聞いたら、『たいしたことないって言われた』って。『よかったね、無理をしないようにね』と言ったら、『うん、分かった』と」

和哉さんと、病気で亡くなった教え子たちを思って、慰霊の木を植えた(撮影:深田志穂)

翌朝、和哉さんに電話を掛けたがつながらなかった。職場からも何度か電話を入れた。

「それまでにも(うつの症状で)起きれないことはままありましたから、寝かせてやるのも大事かなと思ってだいぶ待ちました。でもお昼になって、遅すぎる、どうしたのだろうと思って、(寮の)管理人さんに連絡をしました」

和哉さんは自室で高熱で倒れていた。救急車が呼ばれた。迪世さんは看病するつもりで、神戸市内の自宅から新神戸駅へ向かった。新幹線に乗ろうとした瞬間に携帯電話が鳴った。医師は言った。「もうずいぶん長く心肺蘇生をしていますが、息子さんの心臓は動きません。治療をやめてもいいですか」

「私はなにがなんだかわけが分からず、『先生、それはやめないで、息子を助けてください』と言いましたが、新幹線はトンネルに入ってしまい、電話は通じなくなってしまいました。私はそれ以上何もできなくて、ただ呆然としていました」

迪世さんが和哉さんと対面したのは警察署だった。

「息子はもう冷たくなっていて、抱きしめてあげようにも体は冷やすための分厚いもので覆われていて触れず、息子の冷たい顔だけ何度もさすって、名前を呼びました」

和哉さんの死が自死か事故死かは不明である。

労災不認定、「裁判をするか、諦めるか」

高校教師だった迪世さんは、女手一つで一人息子の和哉さんを育てた。

「元気な子でした。クラスではみんなを笑わせていたようです。いつも友だちや小さい子も連れて外で遊び回っていました」

小さいころの和哉さん(撮影:深田志穂)

2002年春、和哉さんは神戸市内の専門学校を卒業すると、神奈川県川崎市に本社のある富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ(富士通SSL)にシステムエンジニアとして就職した。富士通SSLは、ソフトウェアの販売と、クライアントのニーズに合わせたシステム開発や運用サービスの提供を行う会社だ。クライアントには官公庁や大手企業が含まれる。

2003年4月、和哉さんは民放テレビ局の地上波デジタル放送のオペレーションシステムを開発するプロジェクトに配置された。同年12月1日の地デジ導入開始が目前だった。

母と息子は1日に1度は電話で連絡を取り合っていた。たいていは朝。出勤する前に互いに元気でいることを確認した。

地デジプロジェクトに配置されてしばらくすると、和哉さんは「眠れない」「なかなか起きられない」と訴えるようになった。

5月に迪世さんの父が亡くなり、和哉さんは葬式のために帰省した。しかし和哉さんは通夜に出ることができなかった。

「『少し寝かせてくれ、少ししたら起こしてな』と言うて寝たんですけれども、起きられないんですね。『通夜は俺、無理や。明日行くから今日は寝かしてくれ』と言いました。本当に疲れているんだなと思いました。そのころはまだ、葬儀で会ったいとこたちに『こんな仕事をしているんだ』と誇らしげに話をしておりました」

和哉さんの遺品(撮影:深田志穂)

時が経つほど、和哉さんは起きられない日が増えていった。ある日、和哉さんは「実は今、仕事休んでるんだ」と言った。

「どうしたのと聞いたら、体がしんどくて眠たくて、でも眠れなくて……というふうに、病名ははっきり言わなかったんですね。私が『睡眠障害みたいなものなの?』と聞くと『そんなものだ』と。実際は抑うつ状態だという診断を受けていたようです。それはあとで分かりました」

和哉さんは2003年11月に休業した。2004年2月に復帰するが、その後も抑うつ感情や不眠に悩まされる。2005年8月、2度目の休業。11月に再び復帰するが、2006年1月26日に亡くなった。

迪世さんは同年4月に川崎北労働基準監督署に労災申請をした。ところが、翌年12月に不支給処分が下された。労災と認められなかったのだ。

「私は、労基署というのは被災者と国との間に立って、本当に労災に当たるかどうか、公平に調べてくださる機関だと思い、相談いたしました。ところが残念ながらそうではありませんでした。これは無理だよと放っておかれたり、息子のお友だちが仕事のきつさを証言してくださっているにもかかわらず、会社がたいした仕事ではないと言った、その主張のみを取り入れたり」

和哉さんが小学校4年生の時に描いた「お母さん」の絵(撮影:深田志穂)

迪世さんは、行政不服審査制度に従って神奈川労働局に審査を請求したが、棄却された。さらに厚生労働省の労働保険審査会に再審査を請求したが、それも棄却された。

「3度の不認定が出ますと、私たち遺族に残されているのは、裁判をするか、諦めるか、その二つしかないのです」

過労死弁護団全国連絡会議幹事長を務める川人博弁護士はこう言う。

「労災として認められなかったのは、行政の問題です。労災行政は柔軟に運営されているとは言えません。(西垣さんの事件の)当時に比べれば少し良くなっていますが、業務と死亡との因果関係の判断が適切でなかったり、一つ一つの仕事上のストレスを過小評価したりする傾向は今もあります。そのため、少なくない方が不支給処分を取り消すための裁判を行っています」

迪世さんは、2009年2月、国を相手取り労災不支給処分の取り消しを訴える裁判を東京地裁に起こした。

「存在価値がない」うつになったSEの悲鳴

裁判で明らかになったのは、システムエンジニアの仕事の過酷さだった。和哉さんが発病するきっかけとなったプロジェクトの作業場は、都内のオフィスビルにあった。約900平方メートルのフロアに三百数十席、1人当たりの作業スペースはノートパソコン1台分程度だった。これは労働安全衛生法に基づく省令である「事務所衛生基準規則」が定める1人当たりの気積(人が呼吸などに利用できる空気の量)を満たしてはいたものの、二酸化炭素濃度は基準値を大幅に超過していた。長時間の残業も多かった。迪世さんはこう言う。

「終電に間に合わせようとみんな必死で仕事をしたそうです。間に合わないと作業場に泊まったんだそうです」

和哉さんが最後に使っていたパソコン(撮影:深田志穂)

タクシーで帰るには作業場は寮から遠すぎた。作業場には簡易のベッドが設置されていたが、必ずしも自由に使用することができたわけではなく、若いメンバーは仮眠を取る際、椅子をいくつか並べてその上で横になったり、自席で机にうつぶせになったりすることが多かったという。

「ある時は、朝5時過ぎになってやっと携帯にメールが入りました。『仕事が終わって、寮に帰ってきたところだ。ひと眠りしたらすぐに戻る。そうしないと間に合わない』というふうに言っておりました」

和哉さんは数人の友人たちと共同でブログを持っていた。そこにはこんなことが綴られていた。

〈日本人ってなんでこんなに働くのでしょうかね。わかりきってたことですが、鬱の原因は確実にお仕事ですね。何も手につかない。何もする気がしない。ただひたすら焦燥感や倦怠感、嫌悪感を薬で抑えるだけ。薬の効き目もどんどんなくなってる感じがする。困った。これからどうしよう。〉

〈自分には存在価値がない。これがどれほど痛いことなのか。これから先それと仲良く生きていける自信が全くありません。生きてるんじゃなくて死んでないだけ。何のために生きてるんですか?「死」ではなく「生きているのが無理」という闇が心を支配します。はっきり言ってその感覚が怖くて怖くて仕方がないのです。これから先が何も見えません。4年間も何をしてたんだろう。死にはしませんが。さすがに仲良く優しくしてくれた人に失礼なので。もし一人なら簡単に死んでしまいそうです。〉

和哉さんの同僚からもらった写真をもとに迪世さんが描いた絵。「息子は仕事を続けたかったんです。それを描きたかった」(撮影:深田志穂)

〈今の仕事どう考えても一人じゃ辛いんですよね。自分はだめだ。何もない。生きてる価値が見つからない。答えはいつまでたっても見つからない。死ぬ根性もなく、消えてなくなりたいと思えど何も行動をおこせず、もう自分の手に負えないってことがわかった気がする。今の状態が本当に本当に嫌になった時、俺は死を選ぶと思う。〉

和哉さんが亡くなった後、和哉さんの専門学校時代の友人が迪世さんの自宅に集まった。彼らは口々に打ち明けた。「おばちゃん、僕らもみんなうつやねんで」

和哉さんが就職してはじめて神戸に帰ってきた時のことを、迪世さんは思い出す。和哉さんは「俺よりできるやつが1人だけいる」とうれしそうだった。2人は親友になり、「世界につながる仕事がしたい」と語り合っていた。その親友も2004年にうつに罹患した。迪世さんは言う。

「『自分には存在価値がない』というのは、うつになったシステムエンジニアの悲鳴じゃないでしょうか。2度目の休業をして、私が『もう仕事をやめて神戸にいたら』と言った時も、息子は『もう一度だけ戻ってみる』と言いました。うつから完全には立ち直れない中で仕事をしていたわけですから、かわいそうな状態だったと思います。でも、私には本当のしんどさは分かりませんでした。システムエンジニアはみんなうつになるんだ、西垣くんはまだ大丈夫だと言われて、それならばもう少し息子を応援するしかないのかな、黙って見ているしかないのかなと思っていました。本当のしんどさが分かっていたら家に連れ帰っていた」

はじめてのボーナスでネックレスをプレゼントしてくれた(撮影:深田志穂)

労働環境改善は「終わらない取り組み」

2011年3月、東京地裁は迪世さんの主張を認める判決を下した。被告の国は控訴せず、労災を認める判決は確定した。

会社とも和解が成立した。その際、富士通SSLは、迪世さんの要求に応じて、労働環境の改善に取り組むことを約束している。現在、同社ビジネスマネジメント本部長を務める仙田健取締役は「人事制度の見直し、職場環境の改善、管理職を中心とした意識改革の三位一体で改善を続けています」と話す。

「例えば、積み立て休暇を取りやすくしたり、コアタイムを短くして柔軟に働けるようにしたり。有給休暇の取得率は80パーセントを超えており、直近の目標として90パーセント超、将来的には100パーセントを目指して取り組んでいます。またICT(情報通信技術)やセキュリティ環境を整備し、在宅ワークやテレワークの施策も進めています」

システムエンジニアは客先で業務に従事することも多いが、そういった外勤先を訪問して、社員がどういう環境で働いているかを見せてもらうこともしている。

「働き方の改善は単独で行うには限界があります。社会的にも多様な働き方を受容する流れになってきており、弊社のお客様にもそれが必要であると認識していただいている。ということになれば、アクセルが踏みやすいんです」

2017年4月には「富士通SSLグループ健康経営宣言」を採択、社員の健康を大切にした経営に取り組むことをトップメッセージとして発信した。

「その背景の一つには、東京オリンピックが開催される2020年に向けて、IT業界でも受注が増えていることがあります。そうするとどうしても、それをこなすために社員に負担をかけてしまいがちですが、それを戒めるという意味もありました。(西垣さんの件は)弊社としても残念でしたが、これを機に改善を続けています。これは終わることのない取り組みだと思っています」

前出の川人さんはこう言う。

「社員が亡くなった時に、それが重大な問題だと気づいている会社は多くありません。自発的に改善に向かうことは残念ながら非常に少ない。ただ、遺族が、自分の家族が亡くなったのは仕事のせいであると会社に対してプロテストして、状況の改善を要求した時に、それを受け止めて改善する会社は増えてきていると思います」

迪世さんは現在、兵庫過労死を考える家族の会共同代表を務める。会社さえ息子や息子の友人たちを、きっちりと健康を守って働かせてくださっていたら……という思いは今も消えない。

「母の老後に愛する息子はいません。若い人たちの働く権利と生きる権利を保障できる日本であってほしいと切に願っています」


連載:「過労死・過労自死」遺族に聞く

「働き方改革」関連法が成立した。残業時間の規制などが盛り込まれているが、高度プロフェッショナル制度の導入などには「過労死を増やしかねない」との懸念の声も多い。「過労死を絶対に出してはいけない」という思いで闘っている遺族の声を聞く。

・「本当のしんどさが分かっていたら」――エンジニアの息子を過労死で失った母(7月9日配信)


深田志穂(ふかだ・しほ)
フォトジャーナリスト。東京都生まれ。上智大学卒業後、渡米。ニューヨークで広告、ファッション業界を経て、フォトジャーナリストとして独立。ニューヨーク、北京を経て、現在は東京とボストンを拠点に取材をする傍ら、ディレクター、プロデューサー、シネマトグラファーとして活動する。

[写真]
撮影:深田志穂
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
[本文構成]
Yahoo!ニュース 特集編集部

最終更新 7/9(月) 10:28