【宗像市】赤間宿の氏神様「須賀神社」|唐津街道を往くいにしえ人の面影がしのばれます♫
唐津街道赤間宿は筑前二十一宿のひとつで、北に芦屋往還、東には木屋瀬にいたる中筋往還という官道が通る交通の要所でした。
赤間宿の氏神様である「赤間須賀神社」の石鳥居の横には、中筋往還の分岐点を示す追分石があり、そこに刻まれる文字に歴史を感じます。
神社の入り口には、赤間宿に残された辻井戸のひとつがあり「節婦お政の碑」も建っていました。
◇「赤間須賀神社」
須賀神社は赤間宿の鬼門を守る神社として、永禄9年(1566年)に七社宮より遷座(せんざ)されたそうです。
江戸期には「祇園社」と称していましたが、明治になって神仏分離の考えから「祇園」は仏教的であるという理由で「須賀神社」と改称しました。
毎年7月中旬には約400年の歴史を持つ「祇園祭」が行われ、12月には「ゑびす座」が行われるそうです。
街道と並行にたつ石鳥居は、昭和になって奉納されたもののようで扁額に「須賀神社」とあります。
その鳥居の横にある石柱は「中筋往還」の分岐点をしめす追分石(おいわけいし)で「従是(これより)右木屋瀬 従是左芦屋」と書かれていて、ここから右が木屋瀬方面・左が芦屋方面に向かう道であることがわかります。
「中筋往還」に面して建つ神社は、鮮やかな朱塗りの木の玉垣が境内を囲んでいます。
*辻井戸
神社の入り口左側に「辻井戸」があります。
案内碑には
と説明がありました。
現在辻井戸の上には、須賀神社の由緒板が置かれていて、当時をしのぶことしかできません。
*「節婦お政の碑」
辻井戸の横に「節婦お政の碑」の案内碑も見えます。
貧乏な許嫁(いいなずけ)と、大庄屋との縁談の板挟みになって、遺書を残して自害したという女性の悲しい物語がここにはありました。
辻井戸のうしろに、宗像三偉人の一人と云われる「節婦阿政」の碑があります。
◇参道を歩く
「明治廿七年(1894年)六月良辰再建」の文字が見える石鳥居の扁額に「祇園社」と書かれた三の鳥居です。
鳥居の両脇には狛犬が鎮座しています。
拝殿に向かう参道は、緑がおいしげり神聖な空気を感じます。
注連柱(しめばしら)の先に四の鳥居があり、こちらの扁額には「須賀神社」とあります。
途中、坂道がありますが、これは熊越池公園(くまのこしいけこうえん)方面に続いているようです。
拝殿の手前にあるのは社務所のようですが、普段はとじられているみたいです。
◇参拝
拝殿にすすむ階段の両側は石壁で仕切られていて、いよいよ神聖な場所にはいっていく気がします。
参拝をすませ、すがすがしい気分です。
拝殿上に龍の彫刻があり、辰年にご縁をいただいてお参りできたのかな?と思いました。
本殿です。
*境内末社
本殿右横には「恵比寿神社」・「豊受神社」などの境内末社がまつられています。
本殿左側に菅原道真公をまつった「菅原神社」と書かれた石の祠(ほこら)があります。
赤間宿にはイベントや飲食店の取材でよく足を運んでいます。
「須賀神社」はとても気持ちの良い場所なので、紹介したいと考えていました。
今回、ようやくゆっくりと参拝させていただいて、取材できて良かったです。
唐津街道赤間宿の氏神様「赤間須賀神社」そして、その周辺も散策して、赤間宿の歴史を感じてみてはいかがでしょう。
◆赤間須賀神社について
所在地/〒811-4146 宗像市赤間6丁目6−7
アクセス/JR福岡教育大前駅から徒歩2分
唐津街道赤間宿通り