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コロナ時代のリモート・ワーク生活で、逆に化粧が濃くなっている女性たち【#コロナとどう暮らす

齋藤薫美容ジャーナリスト・エッセイスト
(写真:アフロ)

「オンラインではメイクが要らない」はずが、なぜフルメイク?

言うまでもなくコロナ禍は、日常生活を大きく変えた。最大の変化は、やはりリモートワークが1つの常識になりつつあること。収束のいかんにかかわらず、オンライン化は進むはずで、当然それに伴って多くの習慣が変わる。通わない。通勤着が要らない。メイクも要らない……ところが今、予期しなかった現象が起きている。リモートワークになって、むしろメイクが濃くなったと証言する女性がいるというのだ。

いや、オンライン会議などの時、最初はフルなメイクも不自然だからと、スッピンまたは薄化粧で臨んでいたのに、気づいたらだんだん化粧が濃くなっていたという女性が少なくないという。

なぜか? オンラインでは多くの場合、自分の姿を否応なしに見せられるからである。鏡以外では見られない自分の顔。ましてや、話をする自分の顔は、見たことのない人がほとんどだったりする。それが会議のたびにパソコン画面に映し出されることになり、そこにイメージした自分とはどうしてもズレがあるから起こる現象。

私はこんな顔して話すのか? 私はこんなにくたびれて見えるのか? 予想外の自分にショックを受けて、何とかごまかそうと、あれこれ工夫するうちに、自ずとメイクが濃くなっていくと言うわけだ。

見たくない顔を、自分にどれだけ見せられるか?

パソコン画面は意外にも自分を鮮明に映し出す。自分が映されてみて、初めてわかる情報量。画像としては当然飛んでしまうだろうと思われた“肌のアラや影”が、いちいち正確に映っていて驚かされたという声が多いのだ。話をするときの口元の癖に、初めて気づかされたりして唖然としたという声も。

しかしながら、そんなふうに客観的に自分を見ることが、じつは最強の美容であったりもする。鏡で見慣れた顔は、基本的に自分の気に入った顔。知らなかった顔にこそ、改善すべき欠点が数々隠れていて、それは見方を変えれば“新たな伸びしろ”となる要素。表情だけでも、客観的に見て“心地の良い表情”に正していくことはできるはずなのだ。

見たことのない顔、見たくない顔をどれだけ見ることができるか、それが結果的には美しさに繋がっていくということなのである。

一方に、マスク時代のメイク情報も大量に発信されているけれど、「アイメイクを主役に」などと言う提案に従っても、マスクをしてしまうとやはり虚しいし、落ちにくい口紅をもってしても、口紅はやっぱり邪魔になる。製品開発はカラーコスメでも1年以上前から始まるから、この事態への対応は当然間に合わず、皮肉にもこの秋は口紅の新製品が極めて多い。おまけに季節的にもレッド系が目立つ。そんな中で無理にメイクに挑むこともないのではないか。

今まさに化粧品会社各社が、これまでとは次元の違う“色落ちなし”、“崩れなし”の製品開発に全力を挙げて取り組んでいるといわれるから、色落ちさせない工夫に必死になるより、ひとまずそのウィズ・コロナ仕様のコスメの完成を待つことにしよう。

まさにコロナがなければスイッチが入らなかった高次元のラスティング研究が急ピッチで進み、来年春にはそれらが続々デビューするはずだから。非常事態が生んだ、思わぬ副産物である。

むしろ今はオンライン会議で、客観的に自分を見つめながら、昨日より今日、見た目により良い自分を作っていくほうが、効率の良いキレイの成長に繋がるはず。多少メイクが濃くなっても、直接の対面ほどにはその生々しさや暑苦しさが伝わらないはず。欠点カバーのオンライン・フルメイクも、“ニューノーマル“の一つとして組み入れる未来はあるのかもしれない。

美容ジャーナリスト・エッセイスト

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストへ。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』』(講談社)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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