ベトナム最高指導者の初外交は習近平との会談 突き動かしたのはNED(全米民主主義基金)の暗躍との闘い
8月3日にベトナム共産党書記長に就任したばかりのトー・ラム国家主席は8月19日、国賓として訪中し北京の人民大会堂で習近平総書記兼国家主席と会談した。トー・ラム氏が最初の外交先として選んだのがアメリカではなく中国だったということは、ASEAN(東南アジア諸国連合)における米中勢力のバランスを大きく変えていく可能性がある。
なぜならアメリカは凄まじい勢いでASEANにおける親中傾向を切り崩し、「第二のCIA」と呼ばれるNED(全米民主主義基金)がフィリピンやベトナムなどに深く潜り込んで、選挙のたびに親中政権が生まれないように暗躍してきたからだ。
トー・ラム氏はまさにベトナム国内で親中政府が生まれないように暗躍してきたNEDと闘ってきた公安部の出身だ。それが中国を選ばせる決め手になっている。
中国を選ぶかアメリカを選ぶかを迫られているASEAN諸国にとっては、トー・ラム氏の出現と選択は、ASEANの勢力図を変えていく可能性を秘めている。
◆習近平&トー・ラム会談、互いに「最優先」を評価
ベトナム共産党中央執行委員会書記長で国家主席でもあるトー・ラム(蘇林、Tô Lâm)氏が8月19日、人民大会堂で習近平総書記兼国家主席と対談した様子を中国の中央テレビ局CCTVが伝えた。中国語では「トー・ラム」を「苏林(Su Lin)」と書く。「苏」は「蘇」の簡体字だが、ベトナムの姓「Tô」または「To」は、もともと中国の姓の一つである「蘇」に由来するので、中国ではいまも姓「トー」のことを「苏(蘇)」という文字で表す。
それくらい、中越(越=越南=ベトナム)は陸続きの悠久の歴史を持っている。
習近平&トー・ラム会談は、まずこの「悠久の歴史」から始まり、同じく共産党という「紅い遺伝子」に触れた。またトー・ラム氏がベトナム共産党書記長兼国家主席に就任したあとの最初の訪問国として中国を選んだことに習近平は感謝し、「中国は周辺外交でベトナムを優先している」と語った。
トー・ラム氏もまた、「自分が最初の訪問国として中国を選んだのは、ベトナムにとっていかに中国が最優先事項であるかということを反映している」と語り、CCTVでは<習近平・蘇林会談、二人はなぜ互いに「最優先」を語ったのか?>という番組まで別途報道したほどだ。
会談ではもちろん数多くの二国間協力協定や、一帯一路構想に沿ったインフラの加速化、サプライチェーンの強化など戦略的な運命共同体を構築することなどが語られたが、習近平にとって何よりも重要だったのは、トー・ラム氏が最初に訪問する国として、アメリカではなく中国を選んだということだったにちがいない。
◆ベトナムはアメリカが取り込もうとしているASEANの一国
ベトナム戦争でアメリカにより人類史上空前の残虐極まりない爆撃を受けたベトナムではあるが、もともと南ベトナムは親米的で北ベトナムは共産主義的という傾向にあった。南北対立によりくすぶっていた紛争を本格的な戦争に持って行ったのはアメリカで、1964年8月のトンキン湾捏造事件がその契機となっている。ベトナム戦争は米ソ対立の代理戦争のような形になっていたが、最終的には1975年4月に北ベトナム軍が南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させるまでアメリカの対越軍事介入は続いた。
その後のベトナムとアメリカの関係をおおざっぱに見てみると、米越は1995年に国交を樹立し、2010年には「二国間防衛協力」に関する覚書に署名した。2013年には米越間の戦略的パートナーシップを結び、2015年に米越両国は防衛関係に関する共同ビジョン声明を発表している。2016年、アメリカは対ベトナム武器禁輸措置を全面的に解除し、2017年には「インド太平洋戦略」に基づき、アメリカの対ベトナム投資が盛んになり、2021年にはアメリカがベトナムに空軍訓練システムの提供を開始し、米越軍事・安全保障協力の新たな局面を迎えるに至っていた。
アメリカはベトナムやフィリピンを使って、何としてもASEAN諸国が陸続きの中国に傾いていかないように全力を投入してきたのである。
しかし中国は一帯一路構想などでASEAN諸国を取り込もうとしており、ASEAN諸国は米中の狭間で苦しんできた。あるいは米中双方から漁夫の利を得てきた側面も否めない。
今年4月2日、シンガポールのシンクタンク、ISEASユソフ・イシャク研究所が、ASEAN加盟10カ国を対象とした調査リポート<The State of Southeast Asia: 2024 Survey Report(東南アジアの現状:2024年調査リポート)>を発表した。そこにある数値を図表化したのが図表1と図表2である。
図表1:「中国か米国かの二者択一を迫られた場合、どちらを選ぶか?」に関する
ASEAN諸国の2024年調査結果
赤は「中国を選ぶ」を示し、青は「米国を選ぶ」を示している。
ASEAN全体で見るとほぼ半々で、「ブルネイ、インドネシア、ラオス、マレーシア」などの親中度が高く、「フィリピンやベトナム」の親米傾向がASEAN全体の親中度を低めている。
それにしても、調査国であるシンガポールは元より、フィリピンとベトナムの「米国を選ぶ」割合がいやに高い。2023年からの変化の割合を比較すると、図表2のようになる。
図表2:2023年と比べたときの親中親米傾向の2024年における割合の変化
ASEAN諸国全体としては「より中国寄りになった割合」が2023年に比べて増えているが、「フィリピン、シンガポール、ベトナム」の3ヵ国だけは、「よりアメリカ寄りになった割合」が増えていることがわかる。
◆ベトナムで暗躍していたNED(全米民主主義基金)
2013年末から2014年初頭にかけて、ウクライナでバイデン氏やヌーランド氏が中心となって指揮し、NEDがマイダン革命を起こして親露政権を転覆させたのと同様、こういう時には必ずNEDが暗躍しているのが一般的だ。
そこで調べてみたところ、NEDのベトナムにおける活躍歴が数多く見つかった。NEDが自身のホームページで公開しているのでまちがいないだろう。
興味深いのは2014年12月11日に開催された<Implementing Human Rights as a Path to Democracy in Vietnam - NATIONAL ENDOWMENT FOR DEMOCRACY (ned.org)(ベトナムにおける民主主義への道としての人権の実践―全米民主主義基金ned.org)>というタイトルの国際シンポジウムだ。
講演者はDr. Cu Huy Ha Vu(クー・フイ・ハー・ヴー博士)(以後、ヴー博士)で、モデレーターはNEDのカール・ガーシュマン会長である。会場は Washington, D.C.だ。
ヴー博士はベトナムの民主活動家で、NEDのウェブサイトには以下のように書いてある。
――ヴー博士は2010年に捏造された容疑で逮捕され、2011年に懲役7年と自宅軟禁3年の判決を受けた。国内外からの圧力が高まる中、2014年に釈放され、ベトナムのタンホア刑務所から直接アメリカに渡り、国内および国際的な問題について発言を続けている。(NEDのウェブサイトにおける説明は以上)
「捏造された容疑」というのはNEDの言い分であって、実際は、ヴー博士は長年にわたりNEDの支援を受けて、ベトナム共産党やベトナム政府に対する批判を続けてきたのだが、2014年に釈放されると、監獄から直接アメリカに直行し、その年の12月にNEDで講演をするという曲芸をやってのけている。
さまざまな周辺情報を調べると(一部はWikipediaにも書いてある)、ヴー博士は2009年6月にグエン・タン・ズン首相に対して訴訟を起こしている。
今般習近平と会ったトー・ラム氏は、2010年8月12日に、そのグエン・タン・ズン首相によって公安部副部長に任命され、その3ヵ月後の2010年11月15日にヴ―博士を逮捕した。
すなわち、トー・ラムは、NEDと闘ってきた人物なのである。
このような人物が最高指導者になった場合、「アメリカを選ぶ」という可能性は低く、8月3日にベトナム共産党の書記長に就任するとすぐに、中国訪問を決定したという流れになろうか。
念のため、NEDの年次報告書から拾ったデータを集めてプロットすると、NEDの対ベトナム支援金(活動金額)の推移は図表3のようになる。習近平政権になった2013年から急増しているのが見て取れる。
図表3:NEDのベトナムにおける活動金額推移
すべてのリンク先を示すのは非常に時間のかかる作業なので、2021年のベトナムに関するデータだけを示すと<Vietnam 2021 - NATIONAL ENDOWMENT FOR DEMOCRACY (ned.org)>のようになる。
加えて、アメリカの商務省は8月2日、ベトナムの「非市場経済国」認定を維持すると発表したとベトナムの中文サイト(Vietnum+)が伝えている。「Vietnam+」はベトナムの国営通信社である「ベトナム通信社」の電子新聞サイトだ。2010年から中国語版を開設している。
米議会では、もしベトナムの「非市場経済国」を解除したら、ベトナムを通して中国の安価な製品がアメリカに入ってくるかもしれないという論議が成されたため、解除しなかったのだという。
アメリカのこの決議は、その1日後にベトナム共産党書記長になったトー・ラム氏の背中を押し、中国に向かわせるのに十分な役割を果たしたにちがいない。
今後は、図表1や図表2に描いたベトナムの青色部分が少なくなっていくかもしれない。それにつれてNEDが暗躍しにくくなり、ASEANにおける米中勢力のバランスに変化が生じていく可能性がある。来年の調査結果が出るのを待ちたい。