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<朝ドラ「エール」と史実>「あなたは本当にえらい事してくれたわね」豊橋の母は古関裕而をどう迎えた?

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

文通相手の音を訪ねて、いきなり豊橋にやってきた裕一。現在でも非常識に映るのですから、90年前はもっとだったでしょう。ただし、史実の古関裕而と金子は、もっと“たいへんなこと”をやっていました。

金子は当時、名古屋に住み込みで働きながら、声楽の勉強をしていました。古関は、その仕事先を突然訪れたのです。それだけに留まらず、ふたりは、そこから誰にも告げずに「婚前旅行」として、ナント木曽川下りへ行ってしまいました。まるで「駆け落ち」。当然、行方不明だと大騒ぎになりました。

その後、金子が豊橋の実家に電話をかけて、事情を説明するも、「(結婚を)許してもらわなければ、わたしも家へは帰りませんから」の一点張り。母のみつも、「家に連れて来させたら」というしかありませんでした。

この間の事情は、金子の姉・清子が手記(非売品)に残しているのですが、まるで小説ですね。

「ご迷惑をかけてすいません」と謝罪

こうして古関は、金子に連れられて、豊橋の内山家にやってきました。ひと目をはばかって、夜遅くのことだったといいます。古関は、「ご迷惑をかけてすいません」と謝罪。みつは仕方なく、別室で金子をこう責めざるをえませんでした。

「あなたは本当にえらい事してくれたわね」。せっかく優秀な軍人との縁談を考えていたのに……と。そこからの言い合い(?)は、なかなか壮絶なものでした。

妹は「お母さんは、軍人で出世でもするのが夢なのかもしれないけれど、私は軍人は嫌いなのよ。いくら陸軍大学でも結局は戦争の勉強をしているんでしょう? 私は芸術の世界で行きたいんだから。ベートーベンでもショパンでも何百年でも多くの人を楽しませて、永遠に名を残しているんでしょう?」

するとすかさず母は、「そんな人は何万人に一人で、一寸作曲ができる位でどうやって生活していくつもり? 何百年名前が残るというなら、芸術家じゃなくたって、軍人だって乃木大将だってナポレオンだって名前は残していますよ。」

と二人は言い合って、ベートーベンからナポレオンさんまで引き合いに出されて、もう納まりません。

出典:「清子の手記」

金子の勝ち気な性格がよく伝わってきます。

そのいっぽう、古関は母娘が言い合う隣で、内山家の娘たちが使っていた、琴、三味線、オルガン、マンドリンなどの楽器を発見して大喜び。自分の立場も忘れて、つぎつぎに弾いて喜んでいたといいます。さすがというか、なんというか、彼は彼で、大物だったということでしょう。

まるでこの家の子供の様に……

その後、福島より古関の父・三郎次が訪ねてきました。この父は理解のある人で、古関に、とりあえず福島に返って今後のことを相談しようと優しく諭したといいます。ところが、古関は強情で、「帰りますが、自分一人では帰りません」ときっぱりと断りました。

これには三郎次がお手上げ。「それでは私が先に帰って皆に話しをしておくので、それから二人で福島の親戚達に挨拶回りをしなさい」といって、早々に帰っていきました。そのあとの、古関の様子もつぎのように記録されています。

お父様が帰られると古関はホッとした様子で、自分はまるでこの家の子供の様に早速楽器を手にしてすましているのでこちらの方が顔負けしてしまいました。

出典:前掲資料

このように、「さすがにこれは創作だろう」と思わされる突然の豊橋訪問も、かなり実話に近かったわけです。90年も前に、よくもやったものだと感心します。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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