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「ヘルプマークは心の安定剤」原因不明の病を抱えるシンガーが普及活動を行う理由#病とともに

末松グニエ文写真家・映像作家

2024年4月から、障害のある人の求めに応じての「合理的配慮の提供」が民間事業者にも義務化された。合理的配慮とは、障害のある人から「バリアを取り除いてほしい」という申し出があったときに、過度な負担にならない範囲で対応することだ。しかし、障害のある人の中には、援助や配慮を必要としていることが外見からは分かりづらかったり、自ら申し出ることが難しかったりする人たちも少なくない。そんな人たちにとって、見えづらい困難を「見える化」してくれるのが白い十字とハートの「ヘルプマーク」だ。自身も病に悩みながら、仲間とともにヘルプマークの普及活動をするシンガーを取材した。

歌で普及活動

街のイベントで仲間とともに歌う末守さん
街のイベントで仲間とともに歌う末守さん

「♪質問失礼しますー ヘルプマークを 知っていますか? 赤に白い十文字 ハートのマーク」

愛知県一宮市の駅ビル3階にある広場に、男性の歌声が響いた。隣には手話で歌を表現する人、歌に合わせて華やかな衣装を着けたダンサーの女性が踊る。

歌声の主は、末守美成都(すえもり・みなと)さん(27)。サングラスをかけ、右手にマイク、左手にヘルプマークを持ちながらオリジナルソングを歌い上げると、仲間と一緒に笑顔を見せた。

仲間の中にも、さまざまな病気を抱え、ヘルプマークを持っている人が何人もいる。お互いに支え合いながら、こんな活動を続けている。

周囲に理解されない病気に苦しんだ経験

小・中学生時代は病気について、周囲の無理解に苦しんだ
小・中学生時代は病気について、周囲の無理解に苦しんだ

末守さんは、幼い頃から原因不明の症状に悩まされてきた。全身を襲う激しい疲労感や倦怠感。考えることや集中することを困難にさせる「ブレインフォグ(脳の霧)」と呼ばれる頭のモヤモヤ。小学校高学年の頃には全身の激しい痛みも加わった。小中学生の頃から車椅子やつえを使う生活だったが、原因が分からず病名もつかない。ずっと心の病だと思われていた。

ようやく「筋痛性脳脊髄炎」と「線維筋痛症」との診断がくだされたのは、高校2年生の時だった。「筋痛性脳脊髄炎」は、現段階ではなぜ発症するのかわかっていない。突然、激しい倦怠感に襲われ、その後、慢性的な疲労感とともに微熱、頭痛、筋肉痛、思考力の低下などが続く。症状が重くなると、日常生活を送ることが難しくなる。治療法が確立しておらず、診療できる医療機関が少ない。周囲の無理解に苦しみ、自死に至るケースもあるという。「線維筋痛症」は全身の激しい痛みが続くもので、こちらも原因不明の慢性疾患だ。

いずれも根治のための治療法がないにもかかわらず、国の指定難病にはなっていない。
末守さんは働きたくても、病気が原因でなかなか採用に至らない現実がある。

しかし障害者手帳の対象にもならず、十分な支援が得られないのが実情だ。末守さんは対症療法として投薬治療を続けているが、苦しみは治まらない。

ヘルプマークとの出会い

仲間とともに福祉施設へ歌を届ける活動を続けている
仲間とともに福祉施設へ歌を届ける活動を続けている

赤地に白色で十字とハートマークが描かれたヘルプマークは、2012年10月に東京都の都営地下鉄大江戸線で優先席に掲示されたことから始まった。内部障害や難病を患っている、見た目では分かりづらい病気や障害を抱えた人や、妊娠初期の人などが、周囲からの支援が得られやすくなるようにと考案された。都内では都営地下鉄の駅や都立病院などで配布されている。カバンなどにストラップで簡単にぶら下げることもでき、その後、全国に広まっていった。

そんなヘルプマークを末守さんが知ったのは、今から7年前のことだ。

子どもの頃から祖母の影響で『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』などで有名な歌手の坂本九さん(1985年の日航機墜落事故で死去)が大好きだった末守さんは、高校卒業後、1人で歌の活動を始めた。その後、市民活動団体「たなばたハートクラブ」を結成した。メンバーとともに街のお祭りなどで歌ったり、月1回、高齢者福祉施設に訪問し、お年寄りに歌を届けたりする活動もしている。

「高校2年で診断が下り、すぐに投薬治療が始まりました。少し体調が落ち着いたので、何か自分が好きなことをしたいと思い、歌を歌うことを始めました。しかし、高校卒業後は歌を歌っていこうか、それとも大学に行くのか、就職なのかと悩んでいたのです。そんな時、数多くの福祉施設をまわって歌っていた坂本九さんが『メジャーでもマイナーでも、それからどこで歌ってもいいじゃない』と話していたと知り、背中を押された気がしました。高校3年の秋、最初は1人で福祉施設を訪ね、『歌わせてください』と施設長に頼み込みました」。それから8年間、活動を続けている。

2017年のクリスマスの頃、いつものように施設を訪れると、ヘルプマークを手押し車に付けている女性が目に入った。当時、愛知県でヘルプマークはまだ交付されていない。話を聞いてみると、彼女は末守さんと同じ病気を抱えており、「東京の親戚からヘルプマークを送ってもらった」という。

話を聞きながら、末守さんの目はシンプルでとても目立つマークにくぎ付けとなった。

「これを広めたら、外見では分からない困難を抱えた人にも多くの人が気づけるようになる。何かあったときに、手を差し伸べてくれる人が増えるかもしれない」

ヘルプマークは「心の安定剤」

根治しない病気と付き合う末守さんにとって大事なもの
根治しない病気と付き合う末守さんにとって大事なもの

末守さんには感覚過敏があり、強い日光やスーパーマーケット内の明るい照明、車のクラクションの音などで体調が悪くなることがある。外出時にはサングラスや耳栓が欠かせず、1人での外出は不安でいっぱいだった。

愛知県がヘルプマークを配り始めたのは、2018年7月から。その後、外出時は常にカバンなど目立つところにヘルプマークをつけるようになると、不安はいくらか和らいだ。

「僕にとってヘルプマークは心の安定剤。もし、急に体調が悪くなって動けなくなったりしても、誰かがこのマークを見て助けてくれるのでは、という希望を持てる」

実際に助けてもらったこともある。1人で地元の音楽イベントに出かけ、帰りに混み合うバスに乗った時のことだ。症状がひどく、杖をつき手すりに必死につかまりながら、バスの揺れ以上に体をフラフラと揺らしていると、ヘルプマークを見た若い女性が席を譲ってくれたのだ。「その時は本当にうれしかった」

末守さんの友人で精神障害がある男性が、一緒にいる時に突然倒れたことがあった。末守さんはすぐに救急車を呼んだが、駆けつけた救急隊員からの「病名は? 緊急連絡先は?」という矢継ぎ早の質問に何も答えられなかった。「友人がヘルプマークを持っていれば」と重要性を認識した。

ヘルプマーク活用のために

歌を歌うイベントでも必ずヘルプマークのことを紹介する
歌を歌うイベントでも必ずヘルプマークのことを紹介する

最近、街でヘルプマークを付けている人を多く見かけるようになった。マーク自体の認知度はずいぶん高まったといえるだろう。しかし、末守さんは「まだまだ普及活動は必要だ」と考えている。なぜか?

「ヘルプマークをもらうと、片面に貼る専用のシールをもらえるんです。そこには自身の病状、かかりつけの病院名、いざという時の対処法、緊急連絡先などを書くことができます。未記入の場合、いざ支援してほしいとなった時に、周囲の人たちも支援の方法が分からない。まごまごしている間に、場合によっては命に関わる事態に陥ることもあるかもしれません。また、シールを貼らずに、ただマークだけを持っている人も少なくありません。それでは活用できているとは言えない」と話す。

救護の現場に駆けつけた救急隊員は、まずヘルプマークを確認する。それによって、措置の方法や搬送する病院が変わることもあるためだ。末守さんは、使い方も合わせた普及活動をこれからも進めていきたいと考えている。

見えない困難を抱えている人と周囲の架け橋

外見からは分からない病気や障害を抱えている人は大勢いる。少しでも理解を広げたいと、講演会なども行う
外見からは分からない病気や障害を抱えている人は大勢いる。少しでも理解を広げたいと、講演会なども行う

ヘルプマークを持っている人を見かけた時、私たちはどのように支援すればいいのだろう?

「たとえば重いドアの前で困っている様子だったら、ドアを開けてあげるだけでもすごく助かる。街などで困っている様子であれば、『どうしましたか?』と声をかけるだけで、安心してくれるかもしれません」

末守さんは、歌だけでなく、講演会などでも知られていない病気の啓発を行っている。

「病気にならない人はいない。たとえいまは健常者であっても、いつ自分が難病にかかるか、いつ自分が障害を持つことになるかは分からない。もし、そういった困難を抱えながら生活をしなければならなくなった時、ヘルプマークを思い出してほしい。ヘルプマークは、見えない困難を抱えている人と周囲の人たちとの架け橋になるもの。高齢化社会を迎えている日本、見えない障害や病気を抱えている人への配慮がもっと進めば、多くの人がもっと過ごしやすく、生きやすくなる」

そんな社会を目指し、末守さんの活動は続く。

本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。


「#病とともに」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人生100年時代となり、病気とともに人生を歩んでいくことが、より身近になりつつあります。また、これまで知られていなかったつらさへの理解が広がるなど、病を巡る環境や価値観は日々変化しています。体験談や解説などを発信することで、前向きに日々を過ごしていくためのヒントを、ユーザーとともに考えます。

写真家・映像作家

愛知県一宮市出身。大阪芸術大学写真学科卒。2009年より地元の地場産業である繊維産業の工場の取材を続ける。職人の姿やものづくりの美しさをテーマに写真作品、映像作品を制作。様々な分野で、ものづくりをしている人たちに注目している。社会福祉にも関心がある。

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