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劉暁波は大陸に残ったがゆえに永遠に発信し続ける――習近平には脅威

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
オスロのノーベル平和センターの前で(写真:ロイター/アフロ)

劉暁波が逝ってしまった。しかし彼は中国に残り続けたがゆえに永遠に民主活動家たちを導き続け、発信し続ける。中国とはどのような国かを世界に知らしめ、国際社会を目覚めさせ、習近平に大きな脅威を与えるだろう。

◆中国の民主活動家には二つの道がある

天安門事件のときもそうだったが、その後の多くの中国大陸の民主活動家には二つの道がある。一つはアメリカなど、西側諸国に亡命することであり、もう一つは中国大陸に踏みとどまり抵抗し続けることだ。

前者は、割合に容易だ。海外亡命に成功すれば、そこで「逮捕されない」日々が送れる。但し、亡命が成功した時点で、国際社会の注目度は一気に下がる。そこが終点なのだ。さらに亡命先の国で、果たして日々の糧を得る生活手段が得られるか否かも問題となる。

特にアメリカのワシントンD.C.には中国からの亡命民主活動家が集中している。

その中には正職を得て、自立的に自らの生活を支えながら中国の民主化のために闘いつづけている人もいるが、中には英語の習得がうまくいかず路頭に迷う人もいる。必ずしもアメリカ政府がいつまでも亡命民主活動家の生活まで支援し続けるわけではないから、中には「金が入る道」を選んで、なんと、中国政府の「五毛党」(わずかなお金をもらって中国政府のために発言する人たち)に身を落す者さえいるのだ。中国政府はそれらの落伍者を信じているわけではないが、最大限に利用し、民主活動家らの内部情報を得る手段にはしている。そして五毛党の中にはリッチになっていく人が少数いて、亡命者に対して魅力を与えて誘い込む仕掛けを中国政府は創りあげている。

劉暁波氏は亡命の道を選ばなかった。

周りから亡命を勧められたが断り続けてきた。それは中国共産党の統制下で「平和的手段」を用いて言論弾圧に真っ向から抵抗し理念を貫き通すことによって、中国の民主化を追い求める勇士たちを励まし続けていたいと願ったからである。また、その手段の方が、中共政府に打撃を与えうるだろうと判断したからである。

劉暁波氏の決断は正しかったと思う。

彼は大陸に踏みとどまることによって、彼の理念を貫き通し、今後も発信し続ける存在となるだろう。

なお、劉暁波氏が最後に「西側諸国で治療を受けたい」と言い始めたのは、あくまでも妻の劉霞さんの抑うつ症が悪化したため、軟禁を解いて西側諸国で治療を受けさせたいと願ったからだと、民主活動家たちは教えてくれた。

◆中国はなぜ言論弾圧をするようになったのか

そもそも中国はなぜ、言論弾圧をするようになったのだろうか。

もちろん独裁国家においては政府を批判する言論は許されない。しかし中国にはそれ以外に重要な原因がある。それは日中戦争中に中国共産党が強大化する過程で、毛沢東が日本軍と手を結び、日本軍とは戦わないようにしながら、庶民には「日本軍と戦っているのは中共軍だ」と宣伝してきたからである。

だから日中戦争時代の中共軍の「ビラ作成のための印刷費」は支出の大部分を占めていた。これは毛沢東の戦略で、それが良い悪いという問題ではない。戦略に長けていた、ということだ。毛沢東のもくろみ通り、一般民衆や末端の兵士は、中共の宣伝を信じた。

しかし中共の高級幹部は、真相を知っていた。だから、一部を除いて、現在の中国を建国するための革命戦争に大きな功労を果たした党幹部たちは、さまざまな理由を付けて粛清されている。

その中の一人に、劉暁波氏にも影響を与えた指導者がいる。

◆劉暁波と胡耀邦

胡耀邦(1915年11月20日- 1989年4月15日)だ。1989年4月15日における胡耀邦の死が、同年6月4日の天安門事件を引き起こした。劉暁波氏はそのとき訪問学者としてアメリカにいたが、急遽中国に戻って天安門の民主化運動に参加した。以来、何度も逮捕されたり釈放されたりしながら、2008年12月に「零八憲章」(中国共産党の独裁を批判し、言論の自由や人権尊重を求める民主的憲章)を発表したことにより投獄され、2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決が下された。

胡耀邦は1979年2月、「もし人民が中共の歴史の真相を知ったならば、人民は必ず立ち上がり、われわれ政府を転覆させるだろう」と、スピーチで述べたことがある(リンク先の画像は、そのスピーチの時のものではない)。胡耀邦は毛沢東の事実、党の歴史の真相を知っていたのだ。毛沢東が逝去し(1976年)、1978年12月から改革開放が始まったので、もう本当のことを言ってもいいと思ったのかもしれない。

しかし真実を語ってもいいだろうと思った胡耀邦の期待は甘かった。中国共産党の総書記だった1987年に下野に追い込まれ、89年4月の会議中に心臓麻痺を起して死去した。民衆はこれを党幹部保守層が追い込んだ憤死と位置付け、6月4日の天安門事件へと発展したのだ。

劉暁波氏は様々な形で中国の民主化、特に言論の自由を主張してきたが、2005年には彼自身のブログで「中共執政後の抗日戦争歴史の捏造」という論評を書いている。このことは2015年12月5日の筆者のコラム<ノーベル平和賞の劉暁波氏が書いた「中共による抗日戦争史の偽造」>でも詳述した。彼は評論の中で、中国の教科書を作成する歴史家たちに「なぜ中共の歴史の歪曲に憤慨しないのか? 」と憤りをぶつけ、「いったい誰が、毎日自国の民に嘘をつき続けているような政権を信頼することができるだろうか? 」と、真相を隠し通す中国政府を堂々と批判している。

2002年にニューヨークにあるMirror Books(明鏡出版社)が中国語で『中共壮大之謎――被掩蓋的中国抗日戦争真相』(中共が強大化した謎――覆い隠された中国抗日戦争の真相)(謝幼田著)を出版したので、彼はそれを読み、胡耀邦がスピーチで言った言葉の具体的な内容を知ったのだろう。中国の言論弾圧の出発点はここにある。

◆習近平政権には脅威――その死を以て発信し続ける劉暁波

胡耀邦も劉暁波も、中共の歴史の真相を知っていた。

そして自らの命を懸け、最後まで中共統制下の大陸に踏み止まり、その死を以て発信し続ける劉暁波氏のこのたびの一連の出来事は、習近平政権にとっては大きな脅威となろう。

EU(欧州連合)のトゥスク大統領とユンケル欧州委員長は共同声明で中国政府の対応を非難し、「中国におけるもっとも卓越した人権の擁護者に一人だった」と劉暁波氏を讃え、言論弾圧により獄中にいるすべての民主活動家を解放すべきだと中国政府に要求した。

ノーベル委員会も13日に声明を出し、中国の対応を非難した。

あのトランプ大統領でさえ劉暁波を「民主主義の自由の追求のために人生を捧げて勇気ある活動家」と礼賛し、ティラーソン国務長官はさらに劉暁波氏の妻・劉霞氏の受け入れを表明している。

劉暁波氏にノーベル平和賞を授与したことで中国との関係が悪化し経済制裁を受けていたノルウェーのソルベルグ首相だけは唯一、中国政府の対応に対し一切、言及しない形で中国政府への非難を避けた。EUやノーベル委員会は、その姿勢を批判した。

こういった国際社会の声は、習近平には大きな脅威となるだろう。

国内でいくら言論弾圧を強化しても、国際社会は黙っていない。

習近平が、毛沢東の化身を装って弱まっていく中国共産党への敬意を復活させようとしても、それは失敗に終わるだろう。

◆日本は?

そのような中で、日本はどうだろうか?

日本は、劉暁波存命中に、遂に救いの手を差し伸べる声明を出す道を選ぶことができなかった。筆者は人権派弁護士等から、飛行時間が短く医療レベルも高い日本が劉暁波を受け入れてくれるといいのだがというメールを受けていたが、それを発信する前に事態が動き、そのチャンスを逸したことを残念に思う。

彼らは今では、ドイツ・ハンブルグのG20での日中首脳会談で、安倍首相が日本のパンダの誕生を例にとって「中国政府流の日中友好」を強化していくよう懇願し中国の顔色ばかりを見ているとして、日本への期待を捨ててしまった。

日本は国際社会で、どのような位置づけで生きていくつもりなのか?

勇気を持って、真実に向かう者の方が真の勝利を収めることを、劉暁波氏の死は私たちに教えてくれている。せめてそこから教訓を学び取ってほしい。

劉暁波氏の魂は、永遠に自由と民主と人権とともにある。求めているのは、真実を語っていい言論の自由と、命を賭して真実を語る勇気だ。それが世界を動かす。

劉暁波氏に心からの敬意を捧げたい。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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