【京都市右京区】嵐山随一の紅葉名所庭園のある寺院で秋の特別拝観始まる 竹内栖鳳襖絵や幕末の刀傷も!
ようやく秋らしくなってきましたね! いよいよ京も紅葉シーズンが近づいてきました。嵐山のメインストリートのほぼ真ん中に位置する世界遺産でもある臨済宗大本山天龍寺。山門を入ると直ぐのところに、塔頭寺院の一つで室町幕府管領・細川持之が創建した禅刹の「弘源寺」があります。2024年10月5日(土)から12月8日(日)まで秋の特別拝観が行われています。
山門を入って直ぐの処にある毘沙門堂では、重要文化財の迫力のある毘沙門天立像が公開されていました。インド、中国、比叡山からこの寺へと三国伝来の像です。そしてお堂に掲げられている扁額はなんと! 弘法大師空海の直筆と伝わっています。また、天井には日本画家初代藤原孚石筆による美しい四季草花48面の絵画が描かれています。
本堂には、日本画家・竹内栖鳳(たけうちせいほう)とその一門を代表する西山翠嶂、徳岡神泉、山本紅雲、上村松園など文化勲章受章画家らによる数多くの日本画作品が展示されています。「栖鳳の間」は、昭和31年(1956年)にこれら門下生らが師恩に報いようと嵯峨名所色紙や扇面、襖絵などを揮毫して以来68年に亘って、ほぼそのままの形で温存されています。
嵐山を借景とし、禅の悟りの境遇を表現したとされる枯山水庭園「虎嘯(こしょう)の庭」は錦秋の頃には特に嵐山屈指の眺望を誇るといわれています。
また、1864年(元治元年)の池田屋事件をきっかけに起こった「蛤御門の変」の際には、長州藩士が天龍寺、弘源寺などに滞在していしました。柱には、その際の長州藩士の試し切りなどの傷跡が多数残っています。
「蛤御門の変」は、京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた事件です。畿内での大名勢力同士の交戦は大坂夏の陣(1615年)以来で、京都市中が戦火に見舞われ、約3万戸が焼失しました。
ちなみに京の街にうなぎの寝床が増えだしたのはこのころからだといわれています。一言では語りつくせない魅力満載の「弘源寺」へ出かけて見られてはいかがでしょうか!
「弘源寺」(外部リンク)京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町65 075-881-1232