【京都市中京区】早朝参拝寺社めぐり 京の真ん中へそ石のある聖徳太子創建の六角堂は生け花発祥の地!
連日の危険な暑さが続いていますね。そんな中、早朝から参拝できる寺社仏閣が人気のようです。まだ涼しさのあるうちに、人も少なく静かに参拝できると新型コロナ禍以降に多くなりました。早朝参拝できる寺社仏閣を2023年8月7日にめぐってみました。
丸竹夷に押御池姉さん六角蛸錦……と続く京の通り名数え歌は有名です。その中にも出てくる六角通は京都の中心部の通りと言えます。その中でも通り名の由来と考えられる六角堂には、まさに京都の中心と言われる「へそ石」があります。
もとは六角通にあったのですが、明治初期に境内へと移されました。この石には、平安京造営の際、少し南の方に位置したかつての本堂の位置に道を通すことになり、桓武天皇が本堂に祈願したところ、一夜にして本堂が現在の場所へ移動したとの伝承もあります。あとにはこの礎石がひとつ残されていたのだそう。
頂法寺六角堂は、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子が、用明天皇2年(587年)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れた際、太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれます。(六角堂ホームページより)
そして何より、六角堂は代々「池坊」が住職を務め、室町時代に池坊専応がいけばな理論を確立し、一般に「池坊専応口伝」と呼ばれる花伝書を著したことにより「いけばな」を確立し、「華道発祥の地」として世に知られています。
また、六角堂は、鎌倉時代の初め、比叡山で修行していた親鸞上人が二十九歳の時、六角堂に百日参籠し、九十五日目の暁に如意輪観音からお告げを受け、浄土真宗を開くきっかけを得た、とされている真宗の聖地でもあります。
11年にもおよび、京都の町を焼き尽くした応仁の乱(1467年)の後、京都には上京と下京しかありませんでした。その一つ下京の町堂として町衆たちが集い、最初に再建したのが六角堂でした。一時期、京都に自治の制度を作り、下京の拠点を六角堂にしたのです。天文法華の乱においてもここから一揆に立ち上がったと言います。
織田信長入洛に際しても、町衆に金銀の納入が命じられましたが、上京の町衆はこれを拒否したため焼き討ちに遭いました。下京の町衆は信長の要求を飲み、銀13枚を献納したことから焼き討ちを免れたと言われています。また、祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式は、江戸時代末まで六角堂でおこなわれていました。
境内には、いつもにこにこした可愛い十六羅漢やお地蔵さんがいっぱいあります。京都御所を守るために北を向いている「北向地蔵」。その横には、小さな子供を守ってくれる「わらべ地蔵」。さらに、一つだけ願い事を叶えてくれる「一言願い地蔵」、願いを手のひらにやさしく包み込んで祈る「合掌地蔵」などのお地蔵さんたち、中には手作りのカラフルなニット帽を被っているものも。
早朝参拝楽しいですよ。ぜひどうぞ!
紫雲山 頂法寺 六角堂(外部リンク)京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町 075-221-2686