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クリスマスのフライドチキン、日本独自の風物詩が根付くまでの100年史

畑中三応子食文化研究家/料理編集者
(写真:アフロ)

江戸から明治になって、クリスマスがやって来た

 クリスマスといえば、フライドチキンとケーキ。江戸時代までは仏教国だった日本に、クリスマスをお祝いする習慣が根付き、このふたつが定番になるまでの歴史をふりかえってみましょう。

 江戸から明治になると、政治経済からはじまり、すべてのものが近代化をめざしました。近代化とは、イコール西洋化。キリスト教に改宗する人も多く、彼らはメディアを通して西洋にはクリスマスという祝日があることを知らせていきました。

いちはやく紹介した日本で最初の女性誌

 ごく早い時期から熱心にクリスマスのことを紹介したのが『女学雑誌』。1884年(明治17)に創刊された、日本で最初の女性誌です。編集長の巌本善治(いわもとよしはる)と、その妻で『小公子』の訳者として有名な若松賤子(わかまつしずこ)は2人ともクリスチャンでした。

「十二月廿五日はクリスマスと申して開花の國々にては正月の様に祝う時なり我國も西洋の風習次第に行るるより夙に(つとに)此の儀式を行う家も少なからず」ではじまる1886年(明治19)12月号の記事は、どちらかといえば教訓的な内容で、まだご馳走は出てきません。しかし、明治になって20年も経たないのに、クリスマスを祝う家庭が少なくなかったとの記述には驚かされました。

『女学雑誌』1986年12月号の「クリスマス佳話」の挿絵(国立国会図書館デジタルコレクションより)
『女学雑誌』1986年12月号の「クリスマス佳話」の挿絵(国立国会図書館デジタルコレクションより)

七面鳥の代用だったチキン

 私の調べたかぎり、女性誌ではじめて本格的なクリスマス料理のレシピをくわしく紹介したのは、『婦人之友』1915年(大正4)1月号の「クリスマスの食卓」。『婦人之友』は今日も刊行が続く、約120年もの歴史がある女性誌です。創刊者である女性ジャーナリストの先駆け、羽仁もと子はやはりクリスチャンでした。

 この記事ではミセス・ドレーバーというアメリカ人女性が、6品からなるクリスマスのフルコースのレシピを解説。メインディッシュは、腹に詰め物をして丸ごと蒸し焼きにした七面鳥のローストでした。鶏で代用しても構わないが、両方とも値段は同じくらいで、肉の付き方が違うので、七面鳥を選んだほうが経済的と書かれています。1960年代にブロイラーが普及するまで鶏肉は高級品で、いまと違って牛肉と豚肉のほうが手頃でした。大正時代はさらに高価だったのかもしれません。

子どもの祭日になってチキンも定着

 大正時代になると、クリスマスはサンタクロースが贈り物をくれる、子どもにとって最高に楽しい家庭の祭日として定着していき、昭和に入ると女性誌の12月号ではクリスマス特集が定番になっていきました。

『婦人之友』1926年(昭和元)12月号のクリスマス特集のリードは、「一年に一度の楽しいクリスマスが近づきました。又今年も例年におとらないうれしいクリスマスであってほしいと願っております。御家族の方達のため、分けてお子様のため出来るだけ賑やかな食卓を拵(こしら)えて上げて下さいませ」と、子どもが主役です。

 メインディッシュは「チキンオルレアンヌ」と名づけられたローストチキン。お腹のなかにパンやゆで卵、栗などをあえたスタッフィングを詰めて焼き、肉汁で作ったソースをかけてクレソンを添える。とてもしゃれています。

 ほかにガチョウやカモ、七面鳥を使ったレシピも見られますが、鶏の丸焼きがもっともオーソドックスなクリスマスメニューになり、お菓子は英国式のプディングが人気でした。プラムやレーズンなどのドライフルーツや洋酒をふんだんに使った濃厚なお菓子で、カスタードソースをかけて食べるもの。こんなにモダンな食文化が戦前の日本にはあったのです。

若鶏を丸ごと焼いたローストチキンは戦前からクリスマスの定番に
若鶏を丸ごと焼いたローストチキンは戦前からクリスマスの定番に写真:イメージマート

戦後いちはやく復活したケーキとチキン

 1937年にはじまった日中戦争から、日本社会のムードは一変します。「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません勝つまでは」といった当時のスローガンが示すように、子どもから高齢者まで戦争遂行が生活の中心となり、クリスマスどころではなくなってしまいました。

 しかし、やっぱり日本人はクリスマスが大好きでした。戦争に負け、食料不足による栄養失調で多くの人が亡くなっていた1946年、はやくも『主婦之友』12月号は「主食にもなるクリスマス菓子の作り方」と題した記事を、イラスト付きで裏表紙に掲載しています。なお、表表紙はモミの木のクリスマスツリーとサンタクロース。待ちに待ったクリスマス号でした。

 どんなお菓子かというと、野菜パンを芋クリームでデコレーションするという、アイデアケーキ。配給の小麦粉と雑穀粉(トウモロコシ粉、コーリャン粉など)で生地を作ってすりおろしたニンジン、タマネギの油炒めを混ぜ込み、フライパンでホットケーキのようなパンを2枚焼きます。

 芋クリームは、サツマイモまたはジャガイモを蒸して裏漉しにかけ、薄塩で甘みを引き出したもの。パンで芋クリームをサンドして、まわりを飾ってケーキ風に仕上げますが、まだ砂糖が手に入らなかったので、パンもクリームも野菜のほのかな甘みしかありません。いまの感覚だとヴィーガン風でヘルシーですが、主食にもなるという発想に泣けました。

「鶏丸焼き」レシピが戦後初で掲載されたのは『婦人之友』1948年11月・12月合併号。自分で飼っている鶏を使うのが前提で、羽を抜くところからスタート。鶏はトサカまで無駄なく1羽を完全利用し、食品ロスは限りなくゼロのレシピでした。

どんちゃん騒ぎの日になった高度経済成長期

 と、このように質素だった戦後のクリスマスですが、高度経済成長期に入った昭和30年代(1955年〜)からは“どんちゃん騒ぎ”の宵に変わってしまいました。

 12月になると街はクリスマス商戦でごった返し、クリスマスイブともなるとキャバレーはオールナイトでダンスに興じる男女で熱気を帯びるといった具合。クリスマスツリーは師走の風物詩となり、「神なきXマスの一夜」(『週刊新潮』1956年12月31日号)によると、1955年に使われた木は302,000本、1956年はその1.8倍の544,000本と右肩上がり。同じ頃から、切り分けて食べる大きなクリスマスケーキの売り上げも飛躍的に伸びていきました。

 キリスト教とは関係なく、ともかくクリスマスは徹底的に楽しもうという日本独特の習慣が根付いていきました。その背景には、景気がよかったのと、この時期がボーナス直後だったことがあります。

若いカップルの勝負デートの日になったバブル期

 クリスマスの大騒ぎが最高潮に達したのは、なんといっても、1980年代のバブル期でしょう。「ヒト、モノ、カネが動くビッグビジネス—クリスマス商売繁昌記」(『SPA』1989年12月20日)によると、ケーキ市場150億円、プレゼント市場1500億円、パーティ市場30億円。いまでは考えられないほどの内需の拡大がありました。

 バブル期の男子に課せられたクリスマスの使命は、彼女のために夏から人気レストランの「クリスマスディナー」とシティホテルの予約を取り、スペシャル・デートのお膳立てをすること。プレゼントは「ティファニー」のオープンハートか「カルチェ」の三連リングが定番でした。

 食事代、プレゼント代、移動費、ホテル代合わせると、最低でも10万円は必要。いかにバブルとはいえ若者たちにとってバイトのかけ持ちは苦しく、クリスマスならぬ「クルシミマス」と揶揄の対象になったものです。

 そのクリスマスディナーたるや、お店側からすれば1年にクリスマスしか来ない一見さん用ですから、普段より4、5割は高く、贅沢な材料は使ってはいても手間はかけないお仕着せメニューで、しかも時間制。1日3回転から、5回転のレストランもありました。

バブル期のクリスマスディナーにはフォアグラやキャビアがふんだんに使われた
バブル期のクリスマスディナーにはフォアグラやキャビアがふんだんに使われた写真:イメージマート

「ケンタッキーでクリスマス」の転機はパーティーバーレルの発売

 バブルが弾けたあとも「クリスマスディナー」の習慣はしばらく残りましたが、さすがに一晩で10万円を超える散財は、その後の長い不況ですたれました。

 そのかわりに広がったのが、家族や友達同士、カップル同士でささやかに、しかし親密な雰囲気のなかで楽しむおうちのクリスマス。そのお供にうってつけだったのが、ケンタッキーのフライドチキンです。

 ケンタッキーのクリスマスキャンペーンは1970年代にはじまりましたが、大きな転機になったのが、1985年の「パーティーバーレル」発売。樽形をしたKFC独自のパッケージに熱々のフライドチキンと冷たいサラダ、アイスクリームなどを詰めたもので、大きな評判を呼びました。

 以来、毎年変わるバーレルのデザインとデザートの内容で年々ファンを増やし、90年代から「クリスマスにはケンタッキーを食べること」が日本のクリスマスの風物詩になっていきました。いまではケンタッキーに限らず、フライドチキン自体がクリスマスの主役になった感があるほどです。

 フライドチキンも、戦後のどんちゃん騒ぎも、バブル期のお仕着せクリスマスディナーも、実はすべて日本独自の習慣でした。さて、これから日本にはどんなクリスマスの楽しみ方が登場するでしょうか。

食文化研究家/料理編集者

『シェフ・シリーズ』と『暮しの設計』(ともに中央公論社)の編集長をつとめるなど、プロ向きから超初心者向きまで約300冊の料理書を手がけ、流行食を中心に近現代の食文化を研究・執筆。第3回「食生活ジャーナリスト大賞」ジャーナリズム部門大賞受賞。著書に『熱狂と欲望のヘルシーフード−「体にいいもの」にハマる日本人』(ウェッジ)、『ファッションフード、あります。−はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史』『カリスマフード−肉・乳・米と日本人』(ともに春秋社)などがある。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。

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