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そしてすべてが善悪二元論になる

橘玲作家
(写真:松尾/アフロスポーツ)

東京オリンピックを目指す女子体操選手へのパワハラ問題で、日本体操協会が大混乱しています。一連の経緯をざっとまとめると、こんな感じになるでしょう。

(1) 女子代表候補選手を指導する男性コーチに対して、日本体操協会が、暴力行為(体罰)を理由に無期限の登録抹消処分を課した。

(2) 当の女子体操選手が記者会見し、コーチの体罰を「指導」だと受け入れていたことを認めたうえで、調査の過程で体操協会の役員夫婦から、自分たちが運営するクラブに移籍するよう強要されたと「パワハラ」を告発した。

(3) 体操協会が第三者委員会による調査を発表し、役員夫婦は職務一時停止の処分を受けた。

(4) 民放テレビが、体操クラブの練習場で男性コーチが女子選手をはげしく平手打ちする「暴力映像」を公開。

(5) 女子選手が、「自分を貶めるために無断で過去の映像を放映した」とテレビ局に抗議。

こうした出来事が2週間ほどのあいだに次々と起こるのですから、部外者にはなにがどうなっているかまったくわからず、だからこそひとびとの興味や関心を掻き立てるのでしょう。

ここで興味深いのは、事件の進展とともにメディアの態度が大きく変化したことです。

第一報では、大学アメフト部の事件と同様に、選手を暴力で支配しようとしたコーチに非難が集中しました。しかし「被害者」本人が記者会見で体操協会のパワハラを告発すると、こんどは協会を牛耳っている(とされた)元メダリストの夫婦に非難の矛先が向けられます。ところが「暴力映像」で体罰の実態が明らかになったとたん、「こんなコーチを擁護するのは洗脳されているからだ」と女子選手を批判する論調が出てくるのです。

ここからわかるのは、メディアの役割が「事実(ファクト)」を追求することではなく、読者や視聴者に事件をわかりやすく伝えることだという単純な「事実」です。

複雑な出来事を複雑なまま理解しようとすると、脳に負荷がかかって苦痛を感じます。こうしてひとは、善悪のはっきりした単純な物語だけをひたすら求めるようになります。

このように考えれば、大衆メディアが善悪二元論になっていくのは宿命みたいなものです。

メディアの役割は「悪」を特定し、読者や視聴者を「悪」を叩くよう誘導することです。そうすると気分がよくなって、視聴率が上がったり部数が増えたりします。なぜなら、「悪」を叩くのは「善」に決まっているから。――これがメディア商売の基本です。

今回の事件の背景には、体罰による「指導」を容認する日本のスポーツ界の軍隊的な体質があり、それはパワハラが蔓延する学校や会社も同じです。なぜこんなことになるかというと、日本社会が「先進国のふりをした前近代的な身分制社会」だからです。

新卒一括採用という軍隊の徴兵みたいなことをやっているのは、いまでは世界で日本だけです。日本人は「右」も「左」も軍隊が大好きで、だからこそ自分たちにぴったりの抑圧的な組織や社会をつくりだすのです。

もっともこんな「むずかしい」話をしても面白くもなんともないので、誰も相手にしてくれないでしょうけど。

『週刊プレイボーイ』2018年9月25日発売号 禁・無断転

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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