世界遺産の島の若き教会守 東京から五島列島に移り住んだ青年が「よそもの」でなくなる日
長崎県・五島列島の久賀島は、本土と直接結ばれた公共交通がない人口300人あまりの離島だ。その東の海沿い、原付バイクも通れない山道の先にある集落に建つ四畳半ほどの小屋のデスクに、航空機の小さな模型が飾られている。小屋の主は、隣接する旧五輪教会堂の教会守である永松翼さん(27)。2019年の春まで、羽田空港の地上作業員として航空機の誘導などにあたっていた。しかし、永松さんはその仕事をあっさりと辞めてしまい、九州の西の端へとやってきた。転身のわけは。
【滑走路から祈りの場へ】
福岡県出身の永松さんは東京の大学で観光地理学を専攻し、長崎の教会群をテーマに卒業論文を書いた。その現地調査で長崎県内各地や五島列島を何度も訪れ、空港の地上作業員として就職してからも、自社の航空機に乗って長崎に通い詰めた。「自分の好きなものに正直でありたい」という永松さんが抱いていたのは、「大学で学んだことを活かして世界遺産に携わりたい」という思い。それは日に日に強くなり、周囲に説得されても揺るがず、ついに五島列島に移住した。目的は、2021年で建立140年となる旧五輪教会堂の教会守になることだった。
旧五輪教会堂が建つ久賀島は、島全体が世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産となっている。永松さんは久賀島ではなく、生活インフラの整う隣の福江島に住むことにした。フェリーと原付バイクを乗り継いで、1時間半かけて教会堂に通っている。教会守の主な仕事は、見学客へのマナー周知と見守り業務、そして案内役となって教会堂や島の歴史を説明することだ。
五島のキリスト教史には厳しい迫害の歴史がある。久賀島でも1868(明治元)年、「牢屋の窄(さこ)殉教事件」という大きな迫害があった。信仰を表明した約200人が投獄され、42人が殉教した大事件だったが、それでも信仰を捨てる者は一人としていなかったという。この迫害から生きて帰ってきた人たちが1881(明治14)年に建てたのが、旧五輪教会堂である。教会堂は明治初期の久賀島のキリスト教徒の信仰の証しであり、激しい弾圧に耐え抜いた証しであると言っても過言ではない。
【クリスチャンではないけれど】
こうした苦難の歴史を淀みなく説明をする永松さんは、実はクリスチャンではない。非キリスト教信者の教会守は、長崎県下でもほとんどいない。旧五輪教会堂はすでに教会としての役割を終えているため、クリスチャンでなくとも教会守を務めることができるのだ。航空機の模型が置かれている小屋は、教会守の待機所だ。永松さんは普段はここで業務をしながら見学客を待つ。壁には、五島列島を含めた長崎県周辺の広域地図が貼られており、地図にはその土地ごとに起きたキリスト教の歴史がわかりやすく書き加えられている。本棚には、キリスト教史に関する書籍がずらりと並ぶ。永松さんは、座学だけに頼らない。教会堂や島の歴史をさらに深く知るため、島の住民を足繁く訪ね、聞き取り調査も行っている。
特に頼りになるのが、教会堂の3代前の教会守である脇村富美子さんだ。教会守の仕事を引き継いだ当初から、何度もアドバイスをもらいに訪れているという。
「私にとっては大事な教会堂ですね。先祖を思い出す一つの手段というか、建物ですよね」と脇村さんはいう。「私はもう言い伝えみたいな、ここで生まれて育ったので聞いた話しかないんだけども」と語る脇村さんの言葉を、永松さんは頷きながら聞く。
「脇村さんの実体験だったり、教会堂の昔の姿っていうのは脇村さんにしか分からないことなので、ものすごくうらやましく感じます。なかなか臨場感だったりそういったものは、やっぱり僕もよそから来た人間なので、どうしても限界があるんです」
永松さんは、信者ではない自分が教会守を務めることについては、これまでも葛藤を抱えてきたという。永松さんがクリスチャンではないと知るとがっかりする客もいて、その度に傷つくことがあったそうだ。
「これじゃあちょっと、自分としても良くないのかなっていうふうに思うときもあったんですけど、でも教会守だから洗礼を受けるっていうことは、そういった理由で洗礼を受けてしまったら、周りの方々にも対してもやっぱり失礼ですし」
【親身になってくれるから】
旧五輪教会堂のある五輪集落には、2世帯の夫婦が漁業をしながら暮らしている。教会堂から歩いてすぐのところに住む坂谷秀雄さん、サチ子さん夫妻は、永松さんを孫のようにかわいがり、休憩中の永松さんをよく自宅に呼び出してはお茶を飲む。永松さんもまた、昔の教会堂や島のことを詳しく知る坂谷さんをよく訪ねていた。
坂谷さんは代々のクリスチャンであり、今も定期的に教会に通っている。坂谷さんは、非クリスチャンの永松さんが旧五輪教会堂の教会守を務めることをどう思っているのか。
「そげんことは気にしてないよ。やっぱりこの子が親身に、なんばゆうても親身になるでしょ。そこがいいところじゃなかと。別にそんなことは、宗教のことについては全然気にしてなかもん。やっぱりなかなか、こんなところに来てくれる人は、おらんじゃろ。感心よ、ほんと」
よく笑う坂谷さん。永松さんのことを話す時は、表情がさらにやわらぐ。
休憩時間が終わり、「また立ち寄らせてもらいますね」と言って玄関から出ていく永松さんの後ろ姿を、坂谷さんが笑顔で手を振って見送る。
「自分が島に馴染めているのか、そうでないのかっていうのは、あんまり考える必要もないのかな。それを考えても埒が明かないので」と永松さんはいう。「いただいたご厚意は素直に受け取る、感謝してそのご厚意をいただく。そこはやっぱり忘れちゃいけないことだと思いますね」
旧五輪教会堂を訪れたツアー客を見送る永松さんが、顔なじみのガイドに「永松さん、泣かないでね」と声をかけられた。「なんで泣くの?」と不思議がる客に「私達が帰ったら寂しいから」と答えるガイド。永松さんは「そうですね」と笑ってみせる。水上タクシーを、堤防の先まで出て両手を振って見送る永松さんの耳に、船内の拡声器から「永松さん泣かないでね!」という声がもう一度聞こえてくる。
「ありがとうございます!」深々と下げた頭を上げた永松さんは、次の客を受け入れる準備のため、教会堂に戻っていく。
自ら抱えていた葛藤を、永松さんが乗り越えられたのかどうか。答えは、その後ろ姿に浮かんで見えた。
クレジット
監督・撮影・編集 小澤雅人
プロデューサー 井手麻里子