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障がいを持つ胎児の中絶をどう考えるか?

橘玲作家

茨城県の教育委員が、「妊娠初期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないのか」「茨城県では(障がい児を)減らしていける方向になったらいい」などと発言したことで辞職に追い込まれました。これが差別的な発言であることは明らかですが、しかしそれを封殺すればすむ問題でしょうか。

傷がいを持つ胎児の中絶はもちろん、出産直後に障がいがあることがわかった場合も安楽死を認めるべきだ――こんな主張を聞いたらほとんどのひとは仰天するでしょう。しかしこれは、倫理学の分野で1970年代後半に提起され、数々の論争を経て(批判も含め)いまでは一定の評価が定まっています。

重度の障がいを持つ乳児の安楽死を議論の俎上に載せたのはオーストラリアの哲学者ピーター・シンガーですが、彼はネオナチやファシストの類ではなく、「動物の権利」を提唱して動物保護運動に画期をもたらしたリベラルの“過激派”です。

なぜ動物に権利があって胎児や出産直後の乳児には権利がないのか。シンガーはこれを意識の有無で説明します。

実験用のチンパンジーが、殺されるときに自分の運命に気づいて恐怖を感じるとしたら、チンパンジーにもその恐怖=意識の度合いに応じて権利を認めるべきだ(ここから、意識レベルの低いネズミの動物実験は容認されます)。それに対して(シンガーの知見では)胎児や出産直後の乳児が意識を持つという科学的な証拠はなく、恐怖を感じないのなら安楽死を否定する倫理的な根拠もない――という理屈になるのです。

生まれた子どもが重い障がいを持っていたら、親はたいへんな苦労を覚悟しなければなりません。このとき子どもの「生きる権利」と親の「幸福」が対立したとすると、シンガーは、胎児や乳児の意識レベルがきわめて低い段階では、親の権利を優先することが「倫理的」であるというのです。

ここで誤解のないようにいっておくと(というか、必ず誤解されるでしょうが)、これは「障がい児には生きる権利がない」ということではありません。

医師の義務は、胎児の検査や出産直後の診断により、子どもの障がいについて親に正確な説明をすることです。そのうえで親は、子どもを産み育てるかどうかを、第三者の介入を排して、自分たちの自由な意思で判断する権利を有します。そして障がい児を育てようと決めたのであれば、社会はその子どもの「人権」を尊重し、じゅうぶんな保護と援助を与える義務を負うのです。

ナチズムの暗い過去を持つドイツでは安楽死への心理的抵抗がことのほか強く、シンガーが生命倫理のシンポジウムに参加したときには「人権団体」から激しい抗議を受けました。彼らはシンガーの安楽死論を「(ユダヤ人絶滅を計画した)ホロコーストの正当化」だと批判しましたが、実はシンガー自身がユダヤ系で、親はナチスを逃れてヨーロッパからオーストラリアに移住したのでした(シンガーの著作の多くは日本でも翻訳されており、生命倫理を論じるうえでの必読文献になっています)。

2013年度に新出生前診断が始まり、受診数と、その結果を受けて中絶を選択するひとの数は増えつづけています。だとすればいま必要なのは、「差別はけしからん」という空虚なヒューマニズムではなく、当事者によりそった現実的な議論ではないでしょうか。

参考文献:ピーター・シンガー『実践の倫理』(昭和堂)

『週刊プレイボーイ』2015年12月14日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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