見栄を張るのに疲れたら、一度、試してみるといい習慣。
この3連休、首都圏は天気にも恵まれ、レジャー日和。フェイスブックやツイッターも、さまざまな観光地の写真でにぎわいました。そう、もはや人が過ごす楽しい時間と写真とSNSは切っても切れない関係にあります。
若者の間で大人気のSNSツール
先日、知りあいの大学生がスマホを見ながら笑っているので、「何を見ているの?」と聞くと、「スナチャの写真です」と返ってきました。「どんなの?」と画像を見せてもらおうとすると、「あ、もう消えちゃいました」と彼女。スナチャ=Snapchatというアプリには画像が残らないことは前から知っていましたが、実際に目の当たりにすると「そんなに早く消えちゃうのか」とびっくりしてしまいました。
Snapchatは、動画や写真を友達に送ることができる画像チャットアプリ。アプリ内で撮影から加工、送信まで行えるシステムです。Snapchatの最大の特徴は、Snapchatで送られた画像は数秒で消えてしまうということ。送られた相手がその画像を見ると消えてしまうのはもちろん、送った自分ですらその画像を二度と見ることができないのです。
また他のSNSと違い「いいね!」や「既読」の機能がないのも特徴的。2011年9月に立ち上げられ、現在のユーザーは世界中で2億人を超えているともいわれています。
送っているのは写真ではない!?
「私たちがSnapchatで送っているのは写真じゃないんだと思います」
その大学生はSnapchatの魅力をこう話しました。
「もちろん、形としては写真や動画を送っているんですけど…。Snapchatのカメラでは、絶対にスマホのカメラでは撮らない写真を撮るんです。すごくくだらないものや写真に残す価値がないくらい普通のものや、その時の感情をただ垂れ流したものまで。スマホのカメラロールに残る写真やInstagramに上げる写真と、Snapchatアプリでとる写真のジャンルはあまりにも違っています」
「今までのカメラで『撮りたい!』と思うものと、Snapchatで『撮りたい!』と思うものは絶対に被らない。私たちが送っているのは、既存の人が思っている写真の概念とは全く違うものなんです」
SNSの隆盛が招いた弊害
SNSの代表といえば、Twitter。私たちは思いや行動を140字で切り取ることを覚えました。手軽に、短い言葉で自分の考えや気持ちを表現することができるようになったのです。
さらに、Instagramの普及で、写真をメインとして気持ちや行動を伝えられるようにもなりました。
その結果起きたのが「ついSNS上で見栄をはってしまう」ことです。自分をちょっとだけよく見せたいという思いが働き、キラキラした投稿をしなければという思いに駆られたり、生活が充実していることをアピールしようとしたり。
そして当然、そのようなSNSでのアピール合戦は正直疲れる。ごくごく普通に気取らず、書き込んだり、変な写真を見せたりする時間もほしい(いわゆる”面白い写真”ではなく、本当にどうでもいい写真)。Snapchatは、まさにその欲求を満たしてくれました。
彼らがSnapchatで送るモノとは
数人のSnapchatユーザーと話した結果、Snapchatでやりとりされているのは、写真や動画ではなく、もっと抽象的ななにか、言うなれば「瞬間」だという結論に至りました。
あるユーザーはこう語ります。
「InstagrmやTwitterに上げる写真は、何度も撮りなおしたり加工したりして素敵な写真にしなきゃいけないんですよ。上げる以上良い写真がいいし、そのほうがいいね!がたくさんつくから。でもSnapchatの写真はどうせ消えるし、いいね!だってない。だから良く見せようと撮りなおす必要はないし、本当に何でもいい。ぶれてたって大丈夫なんです」
等身大の自分、素の「瞬間」を切り取って友達と共有するのが目的。だから、Snapchatの写真は「普通っぽい」SNS上の写真とは違って、「本当に普通の」くだらないものが望ましい。
英語で言うならばPhotoじゃなくてSnap。まさにアプリの名前にこそ、その精神が色濃く出ているということでしょう。
SNSの表と裏
SNSが見栄をはるための道具となっている時代。
個人的にはそれほど悪いこととは思いません。むしろ、広くあまねく多くの人に、自分の顔を取り繕うのは、大人として当然のマナーです。
逆に言うと、他人に聞かせられないような罵詈雑言をつぶやいたり、周囲から「連絡が取れなくて不便」と嘆かれているのにいるまでもSNSを始めなかったりするのは、大人としていかがなものかとさえ思います。
社交辞令、ウソ、見栄、ブランディング。どれも、社会で生きていくためには必要なモノです。
いっぽうで、そうしたものが息苦しく、疲れるという気持ちもよく分かります。大人として気取るのは疲れる。だからこそ、気の置けない仲間・家族・友人には、ダラダラと絡みたい……。
閉じられた仲間内の連絡ツールであったLINEでさえ、これだけ認知され一般的なモノになると、徐々にオフィシャルというか、肩肘の張ったものになりつつあります。
だからこそ、もっとダラダラしていて、もっとどうでもいい「つながりツール」のニーズが高まる。いまはその役目をSnapchatが担っているということでしょう。
SNS疲れの駆け込み寺
”表SNS”を補完する存在としての、”裏SNS”、それがSnapchat。いわゆる「SNS疲れ」を患った人たちが、ひととき自分を取り戻すことのできる駆け込み寺として、当分の間、流行するものと思われます。
(「察しない男 説明しない女」著者 作家・心理カウンセラー)